ラウンチー (Raunchy)はデンマークのメタルバンドである。スラッシュメタル、インダストリアルメタル、メロディックデスメタル、メタルコアの要素を含み、「フューチャーハイブリッドメタル」と呼ばれる、厚く重いエレクトロニックメタルサウンドを特徴としている。2002年にニュークリア・ブラスト(欧州メタルの名門レーベル)と契約したデンマーク初のメタルバンドとなった。1992年にイエスパー・アンドリアス・ティルステッドとイエスパー・クヴィストとモルテン・トフト・ハンセンの3人でスタート。メタリカやスレイヤー、一般的なに影響を受け、だいたいの曲はそれらをカバーした曲を演奏していた。1994年にラーズ・ヴォンストラップとラーズ・クリステンセンがメンバーに加わる。そして、バンド名を「ラウンチー」(RAUNCHY)と決め、活動を開始する。1995年には、最初のデモ「Borsing Recordings」をオーフスでレコーディングする。そのデモ中の曲「Space Story」は、後にコンピレーションCD「Extremity Rising vol. 1」に収録された。1996年に、130ものバンドが参加するイベントで2位という快挙を達成する。その賞のひとつに3日間のスタジオ使用権があり、これを2つ目のデモのレコーディングに用いた。そのデモの曲、「Crack of Dawn」は、後にリリースされるCD「Extremity Rising vol. 3」に収録された。1998年に、ギグと作曲のため(インヴォケイター)のアーベンラースタジオに入るのを決める。その理由は、彼のプロダクションはラウンチーの「フューチャー」なサウンドと完璧にマッチする感じがしたからであるとのことである。3枚目のデモCDを作成し、3度目の登場となるコンピレーションCD「Extremity Rising」にデモ「Leech」が収録され、いくつかメタル音楽雑誌から良い反応を得た。1999年には、 デンマークのスタジオから、ラジオショー「Demokramen」でラウンチーの曲「Hypnotized」を流すのと、インタビューに関する連絡を受ける。ハードな曲にもかかわらず、短期間で上位にランクインするのに十分な票となっていた。2000年に入って、レコード会社のサブレーベル・Drug(s)と契約する。数か月後、1stアルバム「」をレコーディングするためにヤコブ・ハンセンのアーベンラースタジオに入った。レコーディング完了後、バンドメンバーはその仕上がり具合に非常に満足し、ヤコブ・ハンセンは「俺が今までプロデュースした中での最高のベストアルバムだよ!!」と述べた。2001年に『Velvet Noise』が北ヨーロッパでリリースされた。このアルバムはいろいろなプレスでもとてもよく受け入れられ、「ラウンチーはヘヴィメタルの新しい時代を開始する」、「デンマークで今までで最もよいデビュー」、「ロサンゼルスからきた最後のハイパーネオメタルバンドは忘れて、ラウンチーに脱帽して挨拶せよ」と評された。リリース後、イエッペ・クリステンセンがザ・ホーンテッド、ウィザリング・サーフェイス、Barcode、Iniquity、Freak Kitchen、Jerkstoreのサポートに加わった。2002年になると、世界で最も大きなメタルレーベルニュークリア・ブラストとデンマーク初のバンドとして契約した。アルバム『Velvet Noise』はヨーロッパ全土でリリースされた。有名なドイツのフェスティバル・でも演奏する機会を得た。そして、コーンやスリップノットのプロデューサーとして知られるRoss Robinsonから、バンドの未来について議論をするためデンマークへ行きたいと連絡があった。そしてワム!の「Last Christmas」のカバー曲と新しい曲「Decemberklar」をデンマーク国有ラジオのプロデューサー・とでレコーディングする。この2曲はデンマークで大成功し、ラジオで毎日何度も何度も繰り返し流された。ラウンチーはラジオスタジオでライブを行い、この様子はデンマークのテレビで放送された。2003年には、Velvet Noiseが北アメリカでリリースされ、評価はヨーロッパと同じくらい良かった。同年には、セカンドアルバム「を7月から8月にかけてレコーディングした。プロデューサーは再びヤコブ・ハンセンです。2004年初頭、ボーカルのラーズ・ヴォンストラップが脱退し、キャスパー・トムセンが新しいメインボーカルとして起用された。2月には、セカンドアルバム「」がリリースされた。同アルバムは、各メディアから、いい反応を受けた。アニメPV「Watch Out」はディレクター・Anders Morgenthalerによって作製され、このビデオはVIA+やMTV2といったチャンネルで放送された。デンマーク国有ラジオでは、コンサートを実施し、8月にはメタルフェスティバル・Wackenで演奏を行った。この年は、セカンドアルバムに伴うツアーを行った。2005年には、3rdアルバム「」を7月から8月にかけてレコーディングした。プロデューサーは今までと同様ヤコブ・ハンセンである。「Death Pop Romance」はキャスパー・トムセンにとってはアーティストとしてデビューするアルバムでもあった。また、テュー・マッドセン(Sick of it all、ザ・ホーンテッド、Himsa、Dagobaなどを担当)がミキシングを担当し、Ziggy (Illdisposed、マーサナリー など) はマスタリングを行った。ライフフォース・レコードと契約した。コペンハーゲンのでEntombedとAs we fightと共に出演した。2006年に『』をリリースし、デンマークとドイツのチャートに同アルバムがランクインした。その後、ソウルフライのサポートをドイツで行った。ライプツィヒのWith Full Force Festivalでは、イン・フレイムス、Clawfinger、ザ・ホーンテッド、Evergreen Terranceといった大物バンドと共に10,000人ものファンの前でパフォーマンスを行った。また、ヘイトスフィアとと共に、彼らとしては初のヨーロッパ全体のツアー・を開始し、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、イタリア、スイス、オーストリアといった国でパフォーマンスを行った。
出典:wikipedia
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