兵庫県立星陵高等学校(ひょうごけんりつ せいりょうこうとうがっこう)は、兵庫県神戸市垂水区星陵台四丁目にある県立高等学校。1948年9月1日、学制改革に続く公立高校の総合制を背景に、1878年創立の兵庫県立第一神戸商業高等学校(旧県商。旧制時代は兵庫県立第一神戸商業学校)が、普通科の兵庫県立垂水高等学校(1941年に兵庫県立第四神戸中学校として創立)を吸収合併して、普通科・商業科の「兵庫県立星陵高等学校」に改称した(なお、旧両校の校長ともが離任し新校長が就任したのは同年11月1日で、この日を、星陵高校では1950年から創立記念日としている)。その後、1962年に本校隣接地に兵庫県立神戸商業高等学校(県商)が新設されたことに合わせ、本校商業科は募集停止を経て1964年3月の全生徒卒業をもって廃止、本校は普通科単独校となった(普商分離)。したがって、本校の学校自体の誕生はこの経緯ゆえに1878年にさかのぼるが、普商分離後は商業学校の流れを一切分離し神戸四中のみを前身とする1941年の創立とみなすようになった(県商側が創立を1878年とみなしている。また、普商分離以前の星陵高校では学校創立年を1948年としていた)。本校の校地および旧校舎が1932年に兵庫県立第一神戸商業学校のものとして整備されたのは、この経緯ゆえである。同窓会組織については、四中同窓会・財団法人神商同窓会・星陵同窓会があったが普商分離の際に神商同窓会は県商に帰属(星陵とは離別)、その後四中同窓会と星陵同窓会は統合した(したがって星陵商業科卒業生は、普通科卒業生と同様に星陵同窓会の会員である。ただし、神商同窓会に参加することも可能となっている)。1948年4月1日の学制改革に際しては、県立第一神戸商業高等学校・県立垂水高等学校ともに旧制に引き続き男子校であり、さらにそのまま同年9月1日に統合し県立星陵高等学校となったため、男女共学化は、翌1949年の小学区制実施に伴い女子生徒が普通科・商業科に入学した際に実現している(星陵4回)。ちなみに、県立垂水高等学校の近所には県立第四神戸女子高等学校(県四高女。神戸四中開校の1年後に開校)が歌敷山にあったが、県四高女は垂水高校よりもはるかに遠距離にある県立第二神戸高等学校(旧制神戸二中)に移転・合併し兵庫県立兵庫高等学校となった。この経緯として、垂水高校が、神戸四中の創立から5年程度という比較的歴史の浅かったことに加え、戦後1946年2月3日に校舎(戦時中の1944年に完成した木造校舎)を焼失し仮校舎状態であったことから、県四高女との統合を構想しつつも受け入れられる状態になく県四高女側からの拒否もあり破談となったうえ、当初は在校生の輩出をもって廃校にする予定があったとされている。学校の存続を模索するなかで、健在であった校舎を新制中学に払い下げられるのを危惧し旧制神戸二中との統合を拒否した兵庫県立第二神戸女子高等学校(県二高女。現:兵庫県立夢野台高等学校)への統合を生徒側が望むも、県当局より「垂水から旧制中学=新制普通科高校がなくなるのは好ましくない」とされ、立ち消えとなっている。その後、公立高校の総合制を受け、同じく垂水区内にあった県立第一神戸商業高等学校が、普通科独自新設に代えて県立垂水高校を吸収することになり、垂水高校側から見ればようやく独自の校舎を持つことになったうえ、学校自体が一転存続することになった。兵庫県立第一神戸商業学校以来の校舎は、1990年代前半に全面的に改築された。なお、この改築の間、本校は一時的に、当時隣接地に(学園都市にキャンパスを移転した跡として)残っていた旧神戸商科大学の建物に移転している。
出典:wikipedia
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