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佐賀家喜昇・旭芳子

佐賀家喜昇・旭芳子(さがのやきしょう・あさひよしこ)は昭和期に活躍した夫婦の漫才コンビ。戦前、戦中は端席、戦後はトップホットシアター、新世界新花月の劇場に出た。芳子が椅子に腰掛け三味線を演奏、喜昇が立って新磯節や八木節の民謡を唄う。一節終わり客から喝采を浴びると調子に乗り延長するので席亭を困らせた。最長1時間20分演じたと事もある。「おとろしや漫才」の異名をとった。珍芸で蝿取りや乞食。猿(エテ公)の物真似は彼が唯一の芸で至芸である。乞食の物真似では流行歌「満州娘」の替え歌で「御嫁に行きます天王寺。喜イやん待ってて頂戴ね。」に合わせて細身で小柄の喜昇が珍妙な踊りを演じ、あわせて、色白美人の芳子が「投げ銭、おくんなはれ」と言って客席からおひねりが客から投げ込まれる。新世界新花月では「おい!! キー公(喜昇のあだ名)!! おもんないねん。帰れ!!」等の野次が飛んでくると欠かさず喜昇は「誰がキー公や アホんだら!!」と客いじりをよくしていた。この二つの芸はあまりにも下品だったので角座やラジオ・テレビで披露される事はなかった。新花月をホームグラウンドとし人気を博した。しかし、注目すべきは、NHKの脚本家だった長沖一を昭和10年当時、既に売れっ子になっていた横山エンタツが、「ほんまもんの漫才、見せたげまっさ・・・・わたしら、この漫才には勝てまへん」と連れて行ったのは、この乞食漫才の喜昇の出ている天満の小屋であり、場末の小屋だった。喜昇の舞台を見に来たのは、芸を知っている芸人や関係者、東京から来た大衆芸能好きな見豪奢、京都大学の教授達もだった。また、放送に乗せられなかったのは、喜昇は自分の芸に時間の規制を設けられるのを嫌ったらしいこともある。晩年、桂米朝が司会をした朝日放送のテレビ番組の『和朗亭』に喜昇を招き出演させたことがある。尚1975年放送のNHKの「新日本紀行 浪華芸人横丁」でも初めてテレビ出演した時の取材の模様が残されている。「蝿取り」は、立花家扇遊、高砂家ちび助なども行っていた。

出典:wikipedia

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