シンボリモントルーは日本の競走馬である。1991年の中山大障害(秋)に優勝した。父はモガミ、伯父にスピードシンボリがいる。1987年9月にデビューを迎えたが、平地時代は6戦して未勝利と結果を残すことはできなかった。3歳の9月に早くも障害競走に転じると、3戦目で初勝利、昇級後3戦目で400万以下にも勝利してオープン入りした。1988年12月に中山競馬場で行われた障害オープンで初めてオープン競走に勝利すると、重賞初出走となった同年の中山大障害(秋)では3番人気に推された。大竹柵後の坂路から先頭に立ち、リードを保って最終障害を迎えたが、ここでバランスを崩して騎手が落馬。競走を中止した。翌1989年は東京障害特別(春)から始動。レースでは5、6頭と共に先頭集団に位置し、最終障害を越えて先頭に立つと並びかけてきた1番人気サイコーホークとの競り合いを制して優勝した。しかし、続く中山大障害(秋)では先頭のパンフレットから離される一方で3.9秒差の3着に終わる。ここから1年以上にわたって低迷期が続き、翌1990年暮れの中山大障害(秋)では水濠障害でトモを落としてバランスを崩し、6頭立ての5着。1991年も東京障害特別(春)を8着、中山大障害(春)を3着と不振だった。同年秋シーズンは東京障害特別では8頭立ての4着だったが、続く障害オープンを連勝して復調を見せ中山大障害(秋)へ出走。パンフレット、シンボリクリエンスなどと共に先頭集団を形成し、最後の直線入口で逃げていたパンフレットを捕らえると、2着となったシンボリクリエンスも抑え、1馬身1/4の差をつけて優勝した。勝ちタイムは春のシンコウアンクレーのレコードを0.9縮める3:37.2であり、この記録は現在も破られていない。翌1992年中山大障害(春)では連覇を狙って出走し1番人気となったが、シンボリクリエンスの前に8.6秒の大差をつけられての2着に終わり、これを最後に引退した。引退後は馬事公苑で競技馬として生活し、1998年の全日本内国産馬場馬術競技で優勝するなどの結果を残した。
出典:wikipedia
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