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ハッピールイス

ハッピールイスは日本の競走馬。1986年の中山大障害(秋)に優勝した。1985年1月にデビューし、2戦目のダート1200m新馬戦で初勝利。しかしその後は芝ダートの中距離戦に出走したが10戦して4着が最高と伸び悩み、同年10月より障害競走に転向した。障害競走では初戦が2着、2戦目で初勝利を挙げた。3戦目は生垣障害で踏切が近く、中竹和也騎手が落馬して競走を中止したが、年が明けて1986年2月の障害400万以下の競走で勝利してオープン入りした。オープン初戦で重賞の阪神障害ステークス(春)に挑戦したが、ここは中団から動けず優勝したブリージーラッドから5秒差の11着に敗れた。次走の障害勝入も5着に敗れたが、続く京都大障害(春)では10頭立ての8番人気ながら、1番人気のブリージーラッドを直線入口で捕らえ、ゴールでは4馬身の差をつけて優勝した。4週間後の障害勝入ではキョウエイウオリアから0.6秒差の3着となり、春シーズンの競走を終えた。秋は9月の阪神障害ステークスから始動し7頭立ての5着。その後2戦を叩いて京都大障害(秋)に出走。単勝11倍の6番人気と人気薄だったが、レースではスタートから先行し、最終第3コーナー手前で一旦抜かれたエスエムダイオーをゴール直前で差し返し、逃げたダイタクカピタンから1馬身半差の2着となった。迎えた秋の中山大障害では、1、2番人気のライバコウハク、オンワードボルガがそれぞれ単枠指定となる2強体制と見られたが、オンワードボルガはスタートから2番目の水濠障害でトモを落として競走を中止。ライバコウハクは序盤からメジロアンタレスを従えて逃げていたが、最終障害を越えてハッピールイスがこれを捕らえ、直線はライバコウハクを突き放して9馬身の差をつけて優勝した。同年の最優秀障害馬に選出。翌1987年は2月の障害勝入に出走。競走生活で初めて1番人気となり単枠指定となったが、レース中に右寛跛行を発症し7着に惨敗。3ヵ月後の京都大障害(春)で復帰したが斜飛を繰り返して7着に敗れた。秋シーズンも調子を取り戻せず、2戦を9着、6着と敗れた。中山大障害(秋)は1.4倍と断然人気のトウショウドリームと4番人気ライバコウハクが共に大竹柵と大生垣の中間の生垣障害で競走中止となる波乱がおき、ハッピールイスは後方から追い込んで優勝したシノンシンボリから2秒差の3着という結果だった。ハッピールイスは年明けの1988年1月9日の障害オープンで6着となり、2月に登録を抹消した。引退後は馬事公苑で競技馬として過ごした。

出典:wikipedia

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