二里頭文化(にりとうぶんか、、, Erlitou culture, 紀元前2100年頃-紀元前1800年頃または紀元前1500年頃)は、中国の黄河中流から下流を中心に栄えた新石器時代から青銅器時代初期にかけての文化であり、都市や宮殿を築いた。殷初期と考えられる二里岡文化に先行する。河南省偃師市の二里頭遺跡からその名をとっている。ほかに現在のところ100近くの二里頭文化の遺跡が発見されている。代表的なものには洛陽市の東乾溝遺跡、矬李遺跡、東馬溝遺跡、陝県の七里鋪遺跡、臨汝県(現在の汝州市)の煤山遺跡、鄭州市の洛達廟遺跡、河南省新密市の新砦遺跡などがある。おおよその地理的範囲は、河南省中部・西部の鄭州市付近の伊河・洛河・潁河・汝河などの流域から、山西省南部の汾河下流一帯にかけてであるが、その影響は上流の陝西省南部や、南の長江中流域にも及んだと見られる。二里頭遺跡は今から3800年から3500年前のもので、遺跡の時期は4期に分かれている。一、二期は新石器時代で、陶器を製造する農耕文明であった。3期・4期は青銅器の本格的使用また都市国家が形成していた。その後の研究で、豫北(河南省北部)地方が漳河型先商文化と二里頭文化の隣接地帯であることが示され、二里頭文化期には、漳河型先商文化・岳石文化・二里頭文化の三つの勢力が黄河中下流域で鼎立していたとみられる。また二里岡下層期には漳河型先商文化が南下し、西の二里頭文化に取って代わり、二里岡上層期には東の岳石文化に取って代わった。この推移状況は、史書での夏と殷に関する記述との対応が考えられる。北京大学の劉緒と徐天進は、二里岡文化が早商文化であり、二里頭文化が夏文化であると推定した。また中国考古学会は一期から三期までは拡大期で四期は衰退期とし、一期から二期までが夏王朝、三期以降は殷に入るとしている。
出典:wikipedia
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