ティルス(Tyrus)(テュロス(Tyros))は、レバノンの南西部、地中海に面する都市遺跡。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された史跡でもある。ティルスの現在の名前はスール()ないしはティール(アラビア語で岩という意味)といわれる。ティルスは、現在小さな漁村であるスールの位置にかつてあった都市である。都市の起こりは紀元前2500年ごろといわれている。ティルスは紀元前1000年頃、ティルス王ヒラムが陸地から1キロメートルほど離れた小島に移した。紀元前332年に半島となった。以後、フェニキア人の造った都市国家でも最大級にまで発展し、紀元前1000年頃にはフェニキアの首都となった。また、アレクサンダー大王に対して唯一抵抗したフェニキア国家でもあった。テュロス人は、『エフェソス物語』『ダフニスとクロエ』など多くのギリシア文学にバアル信仰や人身御供などの風習を持つ残忍な海賊として登場し、ローマ時代に至るまで文学の伝統となっていた。レバノン内戦ではイスラエルによって占領された。紀元前2500年、ビブロスやベイルートと共に、フェニキア人の都市として成立。紀元前11世紀から紀元前9世紀に最盛期。ティルスの植民都市としてカルタゴを建設。紀元前9世紀から紀元前8世紀にアッシリアの強大化によって勢力を失い、他のフェニキア諸都市と同様にアッシリアに従属する。紀元前701年、エジプトと同盟しアッシリアに反乱。アッシリア王センナケリブの遠征軍に包囲され5年間抵抗するが、服属。紀元前669年、エジプトと同盟しアッシリアに反乱。アッシリア王エサルハドンの遠征軍の攻撃を受ける。紀元前585年、新バビロニア王ネブカドネザル2世の遠征軍に包囲され13年間にわたり抵抗した後、服属。紀元前332年、マケドニアのアレクサンドロス3世(大王)の東征軍に対し、フェニキア人の中で唯一激しく抵抗したが、包囲され、要塞化されたティルスの島に立てこもった。しかし、アレクサンドロス3世は艦隊で海上を封鎖し、7ヶ月かけて島との間を埋め立てて突堤を築き、攻撃を仕掛けた。強固な守りにアレクサンドロス大王も苦戦したが、強力な射出装置によって城壁を砕き、破砕口から進撃してティルス軍を一網打尽にした。この戦いによるティルス側の戦死者は8,000人、陥落後さらに2,000人が殺害され、3万人のティルス市民が奴隷として囚われたといわれる。後にアレクサンドロス3世の許しを得てティルスは再建されるが、政治的にも経済的にも弱体化し、かつての繁栄は失われた。その後、セレウコス朝シリアやローマ帝国の支配下に置かれ、12世紀には十字軍の支配を受ける。その後、イスラム化が進行するにつれ、ティルスは縮小され、ついには放棄される。現在は、ローマ帝国支配時代の遺跡があまり風化せず数多く残るが、都市としての面影は無い。周辺地域にてスールやアナーといった小さな村が点在するだけである。
出典:wikipedia
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