鹿内 寛子(しかない ひろこ、本名同じ、昭和17年(1942年)8月10日 - )は、日本の女優。かつてフジサンケイグループを支配した鹿内一族の出身である。当初の芸名には、「若柳菊」、「菊ひろ子」などがあり、1980年(昭和55年)以降は、「奈月ひろ子」の名前で活動。東京都出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。特技は日舞、三味線。在学中の1965年松竹演劇部に入り、1967年退社。同年、若柳菊の芸名で映画「古都憂愁・姉いもうと」でデビュー。1967年度京都記者クラブ新人賞を受賞した。1969年菊ひろ子と改名して「代紋・地獄の盃」に出演。1971年芸能界から遠ざかり、1973年結婚。1女をもうけるが、1978年離婚する。1980年奈月ひろ子と改名して、カムバック。以後は舞台、テレビドラマを中心に活躍する。父は、初代フジサンケイグループ会議議長鹿内信隆。弟は、第2代フジサンケイグループ会議議長の鹿内春雄。第3代フジサンケイグループ会議議長鹿内宏明は義弟(妹・厚子の夫)。娘は、フジテレビプロデューサーの鹿内植。
出典:wikipedia
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