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ディーノ・206/246

ディーノ・206/246("Dino 206/246" )は、イタリアの自動車メーカーであるフェラーリが製造した初のミッドシップ2座席スポーツカーである。今日ではしばしば「フェラーリ・ディーノ」と呼ばれ、フェラーリのエンブレムを付けている車も多いが、本来別ブランドとされている。フェラーリ唯一のV型6気筒エンジン搭載市販車であり、現代V型8気筒エンジンを搭載するフェラーリの始祖的存在である。フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの長男で1956年に夭折したアルフレード・フェラーリ(愛称:ディーノ)が病床でアイデアを出したとされる65度V型6気筒DOHCエンジンを持ち、V型12気筒エンジン搭載の既存車種とも区別するため、新しく長男の名前で「ディーノ」ブランドが与えられた。当時のF2用エンジンホモロゲートの条件となる台数確保のために、フェラーリが設計しフィアットが製作協力をしてエンジンを作成しフィアットはスパイダー、クーペの2車を、フェラーリは1967年から1969年に206GTを製造し、両社合わせてエンジンのホモロゲートの台数をクリアし、レースに出場が可能となった。1965年のパリサロンで発表されたプロトタイプはV型8気筒エンジンを搭載しており透明で幅が広いノーズであったが、1966年のトリノ自動車ショーで発表されたプロトタイプは少しノーズが長いだけで後の生産車と近いイメージになっている。1967年または1968年から生産開始となった。福野礼一郎は、日曜日のゴルフ用に妥協を重ねた結果という前置き付きながら、その名称とレーシングカー的なディメンションを物証にフェラーリのロードカーに対して冷淡だったエンツォが最も愛した市販車だったのではないかと考察した。生産期間は短く、1968年から1969年までの生産台数は152台に過ぎなかった。全て左ハンドル仕様である。フランコ・ロッキが設計した内径φ85mm×行程57mmの1,987ccのアルミニウム鍛造製V型6気筒エンジン、ティーポ135Bは185PS/8,000rpm、17.85kgmを発揮し、内装なしの軽量ボディとストレートマフラーを備えたプロトタイプは235km/hを出したが、生産車の実際は160馬力ほどで、市販車ではコンディションの良い車両でも200km/h到達は困難のようである。レッドゾーンは8,000rpmからだが、実際はレース用エンジンをデチューンしてあるため9,000rpmまで回る。 ボディはアルミニウム製。エンジン熱排出穴は6ヶ所×2。ガソリン注入口は露出している。ホイールはセンターロック。ルーフの流れがリアエンドに達しており、後の246との比較で全体的に丸みが強く見える。バックランプはリアバンパーに2つ装着されている。カラーは工場出荷時に地味なメタリック系の色が多く、赤や黄は少なかった。ダッシュボードがオーディオを含め住めてコンソールの蓋でカバーされる。正規輸入はなかった。登録は5ナンバーである。ホモロゲートの必要生産台数を満たして2,000ccに止める必要がなくなり、ポルシェ・911が2.4リットルに拡大して対抗するためフィアットの意見を聞き、より実用スポーツとするとともにコストダウンし、一般にも乗りやすい実用スポーツカーへと性格を変えるため、1969年より1974年に246を製造した。エンジン、シャシとも変更を行い、乗り手を選ぶ206から、運転技術の未熟な者でも普通に乗れる車になった。燃料タンクが拡大された。コストダウンにより重量は増えたが2割の排気量アップによりカタログ値の235km/hに近い最高速度まで達することができるなど当時のスポーツカーの中で高い性能を持っていた。小林彰太郎は「ディーノ246ほど、ワインディングロードを速く、安全に飛ばせる車はない。操縦性、ロードホールディングは文句なく絶品で、しかも視界がサルーン並みによいからだ。ドライビングの楽しさでは、ディーノは(同月号でテストされた1973年型)カレラRSに勝るかもしれぬ」と絶賛している。1971年ティーポEの途中からタルガトップの「246GTS」が追加された(アメリカ仕様車は排気ガス対策により175馬力)。2,487台のGTと1,274台のGTS、合計3,761台が作られた。生産中の改良もしくは変更により大きく以下の3タイプに分けられる。製造番号00406から00410を除き(2リットルエンジン搭載)01116の357台が当たり、1969年終盤から1970年を通して作られた。206gtとは形の異なるノックオフ式センタースピンナーを備えるホイールを履き、フロントのコーナーバンパーはグリル開口部に食い込んでおり、リアのライセンスプレート照明灯がコーナーバンパー端部に位置し、トランクリッドのレリーズボタンが外部にあり、ヘッドレストがリアバルクヘッドにマウントされていた。ボディはスチール製だが、フロントリッドはアルミニウム製だった。製造番号01118から02130の506台が当たり、1971年始めの短期間にだけ作られた。ホイールは5本のスタッドにより固定され、トランクリッドのレリーズキャッチが車内に移り、ドアのキーホールがドアのえぐり部分からその下に移動し(Ferrari.comではティーポEからとなっているが、ティーポMから見られる)、ヘッドレストがシートマウントになったほか、エンジンとトランスミッションの細部が変わっている。一方シャシは改良されてリアのトレッドが30mm拡幅された。リアバンパーに2つ装着されていたバックランプが中央に1つに変更された。製造番号02132から08518の2,898台が当たり、1971年初旬から生産が終わる1974年まで作られた。シリーズMの変更点をすべて網羅した上で、ボディパネルは大型プレス製となり、エンジンとトランスミッションにギアレシオ等さらなる改良が加えられた。また生産の途中からワイパーの支点が左ハンドル車では中央から右側に移動している。右ハンドル車では中央のまま変わりない。フロントコーナーバンパーがグリル開口部に食い込まない短いものになった。そのほか、フロントコーナーバンパー下の冷却ダクトが単に角形に切り開いたタイプから成形した丸形インレットに変わり、リアのナンバープレート照明灯がトランクリッド後端部にマウントされたクロームメッキ仕上げの角形ユニットに変わっている。またティーポEよりクーラーの設定もできるようになった。オプションでフレアフェンダーと太いアルミニウムホイールとデイトナを模したシートを用いた、通称デイトナバージョンが存在する。コストダウンのためエンジンが鋳鉄ブロックアルミニウムヘッド、内径φ92.5mm×行程60mmの2,418cc、圧縮比9.0のティーポ135CSに変更されて195hpまたは195PS/7,600rpm、23.0kgmにパワーアップしつつもカムシャフト変更により性格は劇的に変化しマイルドになった。レッドゾーンは7,500rpmからに変更された。後にカムをラリー用に変更しランチア・ストラトスに流用された。レーシングジオメトリーから扱いやすい一般スポーツカーへ変更を行ない、ホイールベースが60mm延長されたことでコーナーの挙動が安定した。段階的に生産効率が良くコストも下げられるスチール製ボディに変更され車両重量は増加した。エンジン熱排出穴が7ヶ所×2に増えた。バンパーが厚くなった。カラーはフェラーリとしての認識が確立したため赤やコーポレートカラーの黄も多くなり、総じてメタリック系の色は少なくなった。しかしながら、工場出荷時の色はソリッドカラー16色、メタリックカラー14色と多彩なカラーが用意されていた。ペダルのオフセットがやや大きくなるなど改良され、ステアリングのユニバーサルジョイントの角度も改善されよりスムーズなステアリング操作を実現した。屋根が高くなり、ホイールベースの延長に伴いキャビンが広くなった。ヒーターには段階的に改良が加えられ、206のほとんど何の役にも立たないものから、最終型では冬場でも暖を取ることができる能力を得た。当時のフェラーリ総代理店である西武自動車販売を通じ正規輸入されたが、1973年当時の価格は900万円と高価だった。ただし、その当時からすでに新車同様の中古車が600万円から700万円で並行輸入されており、その後のスーパーカーブームの時期やバブル景気の時期にも盛んに輸入され、バブル後の日本での人気により多数がが毎年輸入されているため、日本国内に存在する個体の総数は毎年増えている。登録は2,000ccを超えたため3ナンバーとなる。

出典:wikipedia

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