ゴメ島(ごめじま)は、北海道枝幸郡枝幸町(字音標)に属する島。音標岬の南東方約700メートル沖に位置する周囲約1キロメートルの無人島である。島名の「ゴメ」は方言でカモメを意味し、島内はウミネコやオオセグロカモメの繁殖地となっているため、1971年に枝幸町指定天然記念物に指定された。マイナビニュースの記事では「名前が変わっていることで有名な無人島」の一つとしてあげられている。太平洋戦争中から終戦直後にかけては島内で鳥糞採取が行われていた。当時鳥糞は畑の肥料として用いられていたという。文化13年(1816年)の成立とされる『松前蝦夷地島図』では、「ヲチシヘ」の沖に島を記しているが地名は見られない。文政4年(1821年)成立の『大日本沿海輿地全図』には「ヲチシベ島」という名称で記されている。松浦武四郎による弘化3年(1846年)の調査記録では「チヱキチシ」(原文ママ)として見え「廻り凡五六丁」とし、植生について樹木はなく「小草の生えたるのミ」であり、また「岸に鮑、海鼠多し」としている。そして「昔しは此しまニ人家有りしと云伝ふ」ともある。安政3年(1856年)の調査記録では「トンナイウシモシリ」として見え、「周十二丁。鴎多し。周廻皆岩石のみなり」としている。第二次幕領期の『宗谷領古地図』では「オツシヘモシリ」として記されている。また佐藤正克文書では『北見国宗谷郡より斜里郡迄絵図』において「カビウモシリ」として記されているほか、『宗谷郡境字ヤムワッカルより紋別郡境字トンナイウシ迄の図』にも「カヒウモシリ」とあり「周廻五丁程陸ヨリ拾一丁沖ニ有」としている。北海道庁水産課による『北見国枝幸郡礼文村鮭鰊建網場実測図』(1888年10月調査)では「トンナイウス島」として記録されており「一名ゴミ島」とある。1891年刊行の『北海道蝦夷語地名解』では「モシリ」として見え「海中ニアル孤島、鴨卵多シ」(原文ママ)としている。1898年刊行の『日本水路誌』には「モヒリ島」とある。1930年発行の海図には「小島」として見えるが、英字表記は"Pommosiri"となっている。また1945年製版の地図では「ゴミ島」と表記されている。音標ゴメ島遺跡では2007年に試掘調査が行われ、2008年に埋蔵文化財包蔵地として登録が行われた。続縄文時代らオホーツク文化期にかけての遺跡である。オホーツクミュージアムえさしの館長高畠孝宗は、調査の際に「足元にオホーツク人が使った土器片がごろごろあって驚嘆した」と述べている。遺構として続縄文時代のものと見られる焼土と柱穴が検出されており、またオホーツク文化期の竪穴式住居跡の壁の可能性がある落ち込みも確認されている。遺物としてはメクマ式や北大式に相当する続縄文式土器も出土しているが、オホーツク文化期中期後半の沈線文系土器群および後期の貼付浮文系土器群が大部分を占める。出土した石器の大部分もオホーツク文化期のものと見られるが、一部は続縄文時代のものとされている。
出典:wikipedia
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