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ダリネレチェンスク

ダリネレチェンスク(、中国語:伊曼)はロシア連邦沿海地方の町。中国との国境に近い内陸の町で、ハバロフスクとウラジオストクの中間に位置し、シベリア鉄道の駅がある。町を流れるボルシャヤ・ウスルカ川は、すぐ下流でウスリー川に合流している。ウスリー川の対岸は黒竜江省虎林市に属している。人口30,092人(2002年、1989年時点で33,596人)。1895年に建設された。面積108 km²。市外局番は423-56。旧名はニマン(満州語:Niman)またはイマン(、中国語:伊曼)だが1972年に「遠い川の地」を意味する「ダリネレチェンスク」に改名された。年間平均気温は1.5℃。7月の気温は20.7℃、1月の気温は-17.7℃。町の経済は木工企業に代表される。越喜靺鞨が住むこの地を9世紀中盤、渤海が大仁秀の治世(818年 - 830年)に領有。以降もナナイ、ウデヘ、エヴェンキ、靺鞨といったトゥングース系民族の地であった。安遠府の都として寧州が置かれた。1860年の北京条約でウスリー川以東は清領からロシア領となった。イマンの町がコサックによって建設されたのは1895年のことで、マツ、モミ、トウヒといった豊かな森林資源によりいちはやく林業の中心となった。町は小さな丘のある平地に位置し、ボルシャヤ・ウスルカ川(1972年までの旧名:イマン川)の湿地牧野と無数の湖沼と水路が町の北東部にある。マリノフカ川が町域を縦断する。晴天時には町のどこからでもシホテアリニ山脈の山脚を見ることができる。タイガ、鉱泉、無数の河川や湖沼、晴天日の多さ、静寂で調和のとれた自然から観光名所となっている。町にある記念碑の多くは1918年~1922年のロシア内戦と1945年の第二次世界大戦のものである。対岸の中国側には関東軍が築いた虎頭要塞がありイマンのシベリア鉄道鉄橋を睨んでいたが、ソ連の対日参戦後、激戦の末玉砕した。また、1969年のダマンスキー島(中国語名:珍宝島)の中ソ国境紛争で死亡した国境警備隊も埋葬されている。

出典:wikipedia

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