水野 隆(みずの たかし、旧姓:徳弘(とくひろ)、1931年4月28日 - )は日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。甲陽学院中学校在学中よりサッカーを始め、同中学4年修了後の1948年に関西学院高等部へ編入。1950年に関西学院大学に入学してサッカー部に入部した。在学中の1953年に第33回天皇杯全日本サッカー選手権大会で全関学の一員として優勝に貢献。また、同年にドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)の日本学生選抜として井上健、木村現、平木隆三らと共に選出され、大会に出場した。1954年に大学卒業後は湯浅電池に入社。なお、大学卒業後もサッカーを続け、1955年の第35回天皇杯全日本サッカー選手権大会で全関学の一員として、1958年の第38回天皇杯全日本サッカー選手権大会で関学クラブの一員としてそれぞれ優勝した。日本代表としては1953年11月22日に大阪球場で行われたユールゴーデンIF(スウェーデン)戦で初出場し、1954年アジア競技大会の日本代表にも選出され、1955年10月9日に東京・後楽園競輪場で行われたビルマ代表戦で国際Aマッチ出場を果たした。引退後は指導者の道へ進み、日本ユース代表、日本B代表、中京大学体育会サッカー部などの監督を務めた。また愛知県サッカー協会常任理事としてサッカーの普及にも尽力した。|-!通算
出典:wikipedia
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