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岡田利兵衞

岡田 利兵衞(おかだ りへえ、1892年8月27日- 1982年6月5日)は、国文学者。号は柿衞。現在の兵庫県伊丹市生まれ。聖心女子大学名誉教授。伊丹市名誉市民。江戸時代より続く酒造業を営む岡田家に生まれる。京都帝国大学文学部国文科卒業。梅花女子専門学校、聖心女子大学教授、1963年定年、名誉教授。1920年(大正9年)ごろから町長に就任する1935年(昭和10年)ごろにかけて、自宅庭に「岡田洋鳥研究所胡錦園」とする禽舎を設け、外国産鳥類の飼育と研究に熱中する。山階芳麿らが創設した「鳥の会」に参加し、飼鳥展覧会の審査員や講演会の講師として活動する。その功績により昭和2年フランス馴化協会鳥類部よりメダルを授与される。その後、紫紺鳥の観察によりその区別を試み、瑠璃鳳凰の新種を発見し、昭和5年に発見者岡田の名を付して、Prosteganura haagneri okadaiと命名された。戦前に伊丹町長、戦後は伊丹市長を歴任し、戦後復興に尽力した。伊丹町長 就任 昭和12年10月 退任 昭和14年7月町長時代には、日支事変のさなか出征兵士の見送り、軍人家族のための伊丹町軍人援護会の設置、戦死者の町葬執行などの政務に当たる。昭和12年に町長室を訪問した俳人により、郷土伊丹の俳人 上島鬼貫の短編を入手したことをきっかけに、俳諧関連資料収集を開始する。第4代市長 在任期間1年 就任 昭和20年12月17日 退任 昭和21年11月26日第二次世界大戦後の戦後混乱期に市町を務め、帰還兵士の出迎えや傷病兵士の見舞い、生活物資の確保などの政務に努める。神津町との合併交渉を進め、離任する直前の昭和21年11月に合併の仮調印式を行う。市町退任後の昭和23年11月、小林聖心女子学園の聖堂で末娘彰子とともにカトリックの洗礼を受ける。洗礼名はフランシス・トマ。俳文学を専門とし、地元伊丹の俳人上島鬼貫をはじめとして、多くの俳人関連の資料を収集し、角川書店で『鬼貫全集』や『芭蕉の本 別冊』を刊行した。また春秋社で編著『芭蕉の筆蹟』を出している。亡くなる直前に、多くの俳諧資料を集めた「財団法人柿衞文庫」を設立した。伊丹市では、同文庫と伊丹市立美術館との共同の建物を建設し、1984年に開館した。実家の建物は旧岡田家住宅として、国の重要文化財に指定されている(現在伊丹市が所有管理)。生物学者の岡田節人は息子、逸翁美術館館長の岡田彰子は娘、音楽史学者の岡田暁生は孫である。号の「柿衞」とは、柿を衞(まも)るの意味。大正10年5月23日に執筆された「江戸文学ト伊丹」と題する原稿が初見。岡田家の中庭には樹齢350年を越える柿が植えられている。この柿のへたを下向きに置くと、低部に台があり、台の上に柿の実が乗っているように見えるので「台柿」と呼ばれる。文政12年10月22日、頼山陽が伊丹の剣菱酒造を訪れた際、酒宴で岡田家の台柿がデザートに供された。その柿を賞味した頼山陽は詩文を記し、同行していた田能村竹田は柿の実を描いた両者合作の「柿記」が岡田家に伝えられた。岡田利兵衛の「柿衛」は、この柿台が由来となる。

出典:wikipedia

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