ヒムヤー(、1875年 - 1905年)は、アメリカ合衆国で生産・調教された競走馬、および種牡馬。1893年のアメリカリーディングサイアーで、後世のアメリカ競馬界に息づく傍流系統ヒムヤー系の祖となった。アメリカのオーナーブリーダーであった、バラク・トーマス少佐が生産した馬の一頭である。1877年にデビューし、5歳まで競走生活を送った。最高で1マイル4分の3戦(14ハロン・約2816メートル)での勝鞍があるが、スタミナよりはその卓越したスピードで名の知られた馬であった。おもな勝鞍に、3歳時に優勝したフェニックスホテルステークスなどがある。1878年のケンタッキーダービーにも出走しており、デイスターの2着に入っている。4歳時には4戦4勝と無敗でその年を終えたほか、ほかの出走馬が回避して単走を経験している。ただ、ヒムヤーはおもにアメリカ中西部地区でのみ競走生活を送り、他地区へと遠征することがほとんどなかったため、同時代の競走馬たちとの能力比較は難しいものである。1881年より種牡馬となった。種牡馬としての代表産駒に、1891年生まれのドミノと、1895年生まれのプラウディットがいる。とくにドミノは2歳時に9戦9勝の戦績で17万ドルもの賞金を稼ぎ、その後押しによってヒムヤーは1893年の全米リーディングサイアーに輝いた。この2頭はヒムヤーの後継種牡馬となり、ドミノはコマンドを、プラウディットはキングジェームズを輩出し、ともにヒムヤーの血統を後世に伝えることに成功した。1905年12月30日に死亡。その遺骸はディキシアナファームに埋葬された。
出典:wikipedia
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