東京二十三区清掃一部事務組合(とうきょうにじゅうさんくせいそういちぶじむくみあい)は、東京都に存在する一部事務組合の一つである。東京都特別区内に設置されている清掃工場をはじめとするごみ処理施設の整備・管理運営およびし尿処理施設の整備・管理運営に関する事務を、東京都特別区である23区が共同処理する事を目的として、地方自治法第284条第2項の規定に基づき2000年4月1日に設立された一部事務組合である。組合の事務所は東京都千代田区飯田橋三丁目5番1号、東京区政会館14階に設置されている。組合の議会は、区議会議長23名によって構成され、区議会議長が交代した場合は当然に組合議員も交代する。なお区議会議長が欠けた場合は当該区議会の副議長が組合議員を代行する。東京二十三区清掃一部事務組合の長は「管理者」と呼ばれ、東京都特別区である23区の区長の互選により務める。2014年4月1日現在、荒川区長が管理者を務めている。また、管理者を補佐する「副管理者」2名が設けられており、うち1名は常勤職員であることから、実質的に首長の事務を行っている。もう1名の副管理者は、23区の区長のうちから選任される。管理者・副管理者とも任期は2年である。東京二十三区清掃一部事務組合の業務にかかる費用の財源は、東京都特別区である23区から「分担金」として拠出されるほか、ごみ受け入れ手数料などの手数料収入により賄われている。なお、2008年度予算における特別区からの分担金収入は約441億円、手数料収入は約166億円である。なお、東京都特別区内で発生するごみの収集事業、例えばごみ収集車の運用などは同組合の業務ではなく、個々の特別区が担っている。すなわち、収集事業に従事する清掃作業員の身分は各特別区の職員や日雇いの職員であり、一部事務組合の職員ではない。なお、ごみ収集日に仕事に入れなかった職員などは、別途保障手当が支給されている。少なくとも1926年には東京市に保健局清掃課(ほけんきょくせいそうか)が存在しており清掃事業を行っていたことが確認されており、また1937年(昭和12年)12月には同課が「清掃部」(せいそうぶ)として単独の部局に格上げされている。1947年(昭和22年)の地方自治法施行以降、知事部局の一つである清掃局(せいそうきょく)が東京都特別区内の清掃事業を担っていた。1954年(昭和29年)7月1日施行の清掃法は、第6条で、市町村ではその市町村が、特別区では都が、汚物の収集と処分を行わなければならないと定めていた。当時の東京都特別区は、最高裁で「憲法上の地方公共団体にはあたらない」と判例が出るなど、独立性が担保されていなかったこともあり、東京都が主導する形で清掃事業に関する行政が行われていた。ただし、知事部局時代の清掃事業も決して安泰なものではなく、1970年代の「東京ゴミ戦争」に代表されるように、各特別区の間で軋轢が見られたのも事実である。1998年、都区制度改革の一環として、清掃事業を東京都から特別区に移管することが東京都より提案された。ごみの収集事業は各特別区が個別に行い、処理事業のうち可燃ごみについては一定期間の経過措置の後に各特別区が個別に行い、不燃ごみは特別区が共同処理するというものである。これは、可燃ごみの処理事業が組合で共同処理されている点を除けば、2008年現在運用されている清掃事業とおおむね一致するものである。同決定に基づき、2000年3月31日をもって東京都清掃局は廃止され、2000年4月1日に東京二十三区清掃一部事務組合が設置された。なお、清掃事業のうち「リサイクル事業」は2000年以前から特別区が担っており、見方によってはその他の清掃事業をリサイクル事業に統合したと解釈することもできる。上記提案に基づき、組合事務のうち「可燃ごみ清掃工場の管理運営業務」については、2006年3月を目処に個々の特別区に移管することが検討されていたが、2008年現在もなお、同業務は引き続き同組合が共同処理を担っている。同組合は以下の21の清掃工場を管理している。
出典:wikipedia
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