リットン調査団(リットンちょうさだん)はよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いコンビ。2人とも桃山学院大学出身。水野が設立したプロレス研究会で2人は出会う。当時プロレス研究会には奇妙奇天烈なリングネームのレスラーが存在していた。水野は大学卒業後、お笑い芸人を志し、藤原を誘い1986年(昭和61年)1月にコンビ結成。その際の誘い文句は「俺は黒澤になる。お前は三船になれ」。当時ラジオ大阪で南海ホール(後の心斎橋筋2丁目劇場)から公開収録で放送されていたダウンタウン司会のオーディション番組「心斎橋お笑い探検隊」に出演、プロの芸人となる。同期の芸人は木村祐一、東野幸治(非NSC組であり、4期生の後輩、5期生の先輩に当たる。しかし、4期生よりも相当年上であるため、今田や130Rらに対しても同期として接している)。1990年代には、「かざあなダウンタウン」などのダウンタウンの深夜番組などによく出演し、松本人志とも親交があるが、そのダウンタウンと共演していた当時は無名だった木村と東野らが全国区で知名度を広げていく一方、リットン調査団は知名度を広げることはあまりなかった。心斎橋筋2丁目劇場の後期では「ミスターX」の名で活動していた。コンビ歴は長いが、「永遠の若手芸人」と呼ばれている。東京のルミネtheよしもとをメインに活動しており、新喜劇では石田靖率いる「石田班」に所属する。藤原はプロ野球千葉ロッテマリーンズのファンである。リットン調査団の名称は、1931年に起きた満洲事変で国際連盟から満洲国の調査を命ぜられたイギリスの第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットンを団長とする「国際連盟日華紛争調査委員会」より出された調査団の通称を元にして、桃山学院大学のプロレス研究会の同級生が名づけた。旧2丁目軍団(いわゆるダウンタウンファミリー)の中でも、(ほぼ)同期である今田耕司、ほんこん、東野幸治等と特に交流が深い。プライベート(主に酒の席)では今田、ほんこんから水野は「トーリー」、藤原は「ムーディー」と愛称で呼ばれている。藤原は東野と元ボブキャッツの岩瀬雄大の3人で「バッドバッドクレイジーバッド」なる悪のチームを結成していた。リットン調査団は、彼らを師とあがめる芸人たちによって「リットンファミリー」と呼ばれるグループを形成している。詳しくは該当する項目を参照。
出典:wikipedia
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