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ミゲル・カブレラ

ホセ・ミゲル・トーレス・カブレーラ(Jose Miguel Torres Cabrera, 1983年4月18日 - )は、ベネズエラのアラグア州マラカイ出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投げ右打ち。現在はMLBのデトロイト・タイガースに所属。2012年にカール・ヤストレムスキー以来MLBでは45年間達成者が現れていなかった打撃三冠王を達成。愛称は「ミギー()」。1983年4月18日、ベネズエラのアラグア州マラカイで誕生した。父は元野球選手、母はソフトボールのベネズエラ代表、おじは元マイナーリーガーという野球一家だった。カブレラも野球をするようになり、10代半ばにはメジャーのスカウトに注目される存在となっていた。14歳時にはメジャー5球団がカブレラのスカウトを始めていたという。に契約解禁年齢となったカブレラは、7月にベネズエラの選手としては当時の最高額の契約金180万ドルでフロリダ・マーリンズと契約。ニューヨーク・ヤンキースやロサンゼルス・ドジャースはマーリンズを上回る200万ドルを提示したが、これを蹴ったのは、カブレラが1997年のワールドシリーズを観戦した時に中南米系選手が活躍したマーリンズのファンになっていたことと、「マーリンズは中南米系若手選手の育成に優れている」とカブレラの父が判断したことが原因である。また本人によれば「野球で芽が出ないまま引退した際には大学進学を認め学費も球団が負担する」という条件を契約に盛り込んだのがマーリンズだけだったことや、ヤンキースやドジャースよりマーリンズの方が選手層が薄くメジャー昇格が近いことも大きかった。、ルーキーリーグでプロとしてのキャリアをスタートさせた。この時の守備位置は遊撃手だった。にA級へ昇格すると三塁手もこなすようになる。にAA級へ昇格すると外野手(左翼手)にも回るようになった。、AA級で打率.365を残し、6月20日にAAA級を経ない "飛び級" でメジャーに昇格。2003年6月20日に、球団史上2番目の若さとなる20歳63日でメジャーデビューを果たした。この試合(デビルレイズ戦)に「8番・左翼」で先発し、延長11回にサヨナラ本塁打を放った。デビュー戦でサヨナラ本塁打を放ったのはMLB史上3人目である。その後は、左打者のトッド・ホランズワースと併用という形ながらメジャーに定着し、打率.268・12本塁打・62打点という成績を残した。本塁打と打点は新人選手としてリーグ2位、長打率.468は同1位であった。この年のポストシーズンにも出場したカブレラは、マーク・プライアー(カブス)、ロジャー・クレメンス(ヤンキース)などMLB屈指の投手から次々と本塁打を放つなど活躍。チームはワールドシリーズでヤンキースを下し、1997年以来2回目のワールドチャンピオンとなった。シーズン終了後に行われた新人王の投票ではカブレラは5位に入った。は左翼のレギュラーとして160試合に出場し、33本塁打・112打点を記録。シーズン100打点達成は史上5番目の若さだった。オールスターゲームにも初選出された他、この年オフの日米野球にも参加している。には打率.323とリーグ3位の高打率を記録。本塁打は前年と同じ33本だったが二塁打が12本増加し、塁打数344は球団新記録となるなど、長打力が増した。シーズン終了後にはシルバースラッガー賞を初めて受賞し、MVPの投票では5位に入った。開幕前の3月に第1回WBCのベネズエラ代表に選出された。シーズンでは、前年までマーリンズの正三塁手だったマイク・ローウェルが放出されたことから、本職の三塁手に再転向された。以前から雑と指摘されていた守備が顕著となった。7月8日のメッツ戦では怠慢な守備が引き金となり、スコット・オルセンとの口論からつかみあいになりかけた。打撃では、打率や二塁打で球団記録を更新。特に打率ではフレディ・サンチェス(パイレーツ)やアルバート・プホルス(カージナルス)と首位打者争いを演じたが、サンチェスの打率.344に約5厘及ばず、自身初の打撃タイトル獲得を逃した。シーズン終了後、球団との契約更改において年俸調停を申請、カブレラ側の主張が認められ、2007年の年俸は前年の47万2,000ドルから約16倍の740万ドルになった。調停官の裁定額としてはアルフォンソ・ソリアーノ(2006年・1000万ドル)、アンドリュー・ジョーンズ(2001年・820万ドル)に次ぐ史上3番目の高額である。は、自己最多となる34本塁打・119打点を記録した。9月4日には、MLB史上3番目の若さとなる24歳139日で通算500打点を記録している。2007年12月4日、ドントレル・ウィリスと若手6選手とのトレードでタイガースへ放出した。3月22日に、タイガースと8年総額1億5230万ドルで契約を延長。契約総額ではアレックス・ロドリゲス、デレク・ジーター、マニー・ラミレスに次ぐ高給選手となった。平均年俸ではロドリゲス、ヨハン・サンタナ、ラミレスに次ぐ4位である。シーズン序盤は三塁手として出場を続けていたが、あまりにもエラーが多く、開幕1か月もたたないうちに一塁手のカルロス・ギーエンとコンバートされた。打撃では、4月から6月まで3か月連続で長打率が4割台だったが、7月にプレイヤー・オブ・ザ・マンスに選出されて以降、3ヶ月連続で6割台の長打率を記録。4年ぶりに打率が.300を下回ったものの、自己最多となる37本塁打・127打点を記録。本塁打王争いのライバルであったアレックス・ロドリゲスやカルロス・クエンティンらが故障したこともあって、自身初の打撃タイトルである本塁打王を獲得した。30本台でのアメリカンリーグ最多本塁打は、1989年のフレッド・マグリフ以来19年ぶり。開幕前の3月に第2回WBCのベネズエラ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。シーズンでは、自身3度目、自己最多タイとなる160試合に出場。打率.324を記録した他、3年連続30本塁打以上、6年連続100打点以上となる34本塁打・103打点という成績を残した。安打数198本も出場試合数と同じく、自己最多タイ、打点は100打点以上を記録した6度の中で自己最少だった。また、シーズンオフのMVP投票では、1位票を1票だけ獲得し、総合では4位になった。チームが優勝争いしていた10月、夫婦喧嘩が警察沙汰に発展。マスコミに顔の傷を「犬に引っかかれた」とごまかしたが、警察の発表によって全てが発覚した。チームの士気を大きく下げて優勝を逃す原因となり、ファンの恨みの的となった。は、2004年以降、レギュラーに定着後(規定打席に到達したシーズン)としては自己最少の150試合出場だったが、打撃面では自己最高の活躍を見せた1年となった。打率.328は、自身のキャリアで3番目に高い数字でありかつリーグ2位の数字・本塁打38本は、自身が本塁打王を獲得した2008年の37本を1本更新する自己記録であり、リーグ3位の数字であった。また、126打点を記録し、自身初の打点王を獲得した。更に、四球89と三振95はそれぞれ自己最高と自己最少の数字であり、また出塁率でもリーグ1位となり、OPSが1.000を超えたのも2010年が自身初となった。MVPの投票では、ジョシュ・ハミルトンに次ぐ2位に入った。は、通算1500安打(あと100本)・300二塁打(あと2本)・250本塁打(あと3本)・1000打点(あと121打点)・2500塁打(あと35)など、様々な節目の記録が目前に迫った中でシーズンを迎えた。161試合に出場し、48本の二塁打(いずれもリーグ最多)、また2年連続となる最高出塁率(.448)を記録した。また自身初となる首位打者(.344)のタイトルも獲得し、チームの実に24年振りとなる地区優勝に貢献した。はプリンス・フィルダーの加入により、久々に三塁を守ることになった。フィルダーがカブレラの後を打つようになったことで、勝負を避けられることが減った。その結果、本塁打、打点が前年よりも大幅に増加し、9月に入った頃には三冠王が視界に入ってきた。最終的に本塁打ではジョシュ・ハミルトン、カーティス・グランダーソン、打率ではマイク・トラウト、ジョー・マウアーらとの熾烈な争いを制し、チームではのタイ・カッブ以来103年ぶり、MLB史上ではカール・ヤストレムスキー以来45年ぶりとなる打撃三冠王を達成した。MVPを巡っては新人ながら走攻守でハイレベルな成績を残したマイク・トラウトとの争いが注目を集めた。しかし終わってみれば、投票資格を持つ28人中22人から1位票を獲得し(残りの6人はトラウトに1位票)、大差でア・リーグMVPを獲得した。ベネズエラ出身の選手としては初のMVP受賞となった。開幕前の3月に第3回WBCのベネズエラ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした。シーズンではタイガースは地区優勝は当然という選手層を揃え、チームの目標は前年あと一歩及ばなかったワールドシリーズ制覇であった。このシーズンも前年同様の素晴らしい活躍を見せ、よもやMLB史上初の2年連続三冠王という偉業を達成するのではないかというペースで本塁打と打点を量産し、尚且つハイアベレージを維持する。しかし、足の故障のため打撃が失速。代打などで出場を続けるも、このシーズンで本格的な覚醒を見せたボルチモア・オリオールズのクリス・デービスに本塁打と打点でまくられ、最終的に主要三冠の中でのタイトルは打率のみとなる。それでも打率.348(ア・リーグ1位)、44本塁打(ア・リーグ2位)、137打点(ア・リーグ2位)と故障を抱えながらも驚異的な数字を残し、チームを地区優勝へと導いて2年連続のアメリカンリーグMVPを受賞した。3月28日にタイガースと総額2億4800万ドルの8年契約(2023年・2024年のオプション付き)に合意した。2016年シーズンからの契約で、2008年に結んだ8年契約の残り(2014年・2015年の4400万ドル)を合わせると、総額2億9200万ドルの10年契約となった。レギュラーシーズンでは、右足首の不調の影響もあり、例年よりやや低調な成績に終わった。それでも2004年に初めて規定打席に到達して以降、11年間で9度目・6年連続での打率.300以上となる.313をマーク(ちなみに、打率.300以上をマークしたシーズンとしては、カブレラの中で最低の数値)。本塁打は、2006年以来8年ぶりの30本未満・規定打席に到達したシーズンでは最低の25本に終わったが、それでも11年連続での25本塁打以上。打点は109リーグ2位で、史上5人目となる11年連続100打点を達成した。得点101(5年連続100点以上)は、リーグ3位。二塁打(52本、自己ベスト)・犠飛(11本)でリーグトップ。三振が5年ぶりに100を超え、OPSが6年ぶりに0.900未満だったが、一定の存在感は示した。ちなみに長打数は、本塁打こそ激減したものの二塁打を量産した為、2013年の71本を上回る78本だった。チームは地区優勝してプレイオフ進出を決めたが、カブレラが、プレイオフ進出チームに分配されるボーナス金を受け取らないとした、と報じられた。カブレラはビクター・マルティネスとのスペイン語での会話の中で、「優勝リングが欲しいだけだ (I just want the ring.) 。」と話したという。オフに入った10月24日、右足首の手術を受け、骨棘の除去と疲労骨折を治療した。5月16日のセントルイス・カージナルス戦で通算400本塁打に到達した。このホームランで、ベネズエラ出身の選手としては、アンドレス・ガララーガの399本塁打を抜き、歴代1位となった。7月3日の対トロント・ブルージェイズで走塁中に左ふくらはぎを痛めて途中交代し、キャリア初となる故障者リストに登録された。その後、オールスターゲームに選出されたが、出場を辞退した。8月14日に故障者リストから復帰し、8月16日のヒューストン・アストロズ戦で通算1426打点となり、こちらもガララーガを抜き、ベネズエラ出身選手として歴代1位となった。長期離脱の結果、シーズン180安打が10年連続(歴代4位)、25本塁打が11年連続、100打点が11年連続(歴代4位タイ)、300塁打が11年連続(歴代4位)でそれぞれ途切れた。しかしギリギリで規定打席には到達し、自身4度目となる首位打者のタイトルを獲得。出塁率も4度目のリーグ1位に輝いた。5月23日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で史上62人目となる通算500二塁打、7月22日のシカゴ・ホワイトソックス戦で史上56人目となる通算1500打点を史上5番目の若さで、8月6日のニューヨーク・メッツ戦で史上102人目となる通算3500出塁、9月18日のクリーブランド・インディアンズ戦で史上100人目となる通算2500安打を史上8番目の若さで達成など、さまざまなマイルストーンを達成した。シーズン成績では、3年ぶりとなる3割30本100打点を記録する。一方、13年ぶりとなる無盗塁を記録している。2000 - 2010年代を代表するスラッガーの1人。のメジャーデビューからまでの13シーズンで、三冠王1度を含む首位打者4度・本塁打王2度・打点王2度を獲得している。元々はショートであったが、メジャーデビューから数年間はサード・レフト・ライトを守っていた。だが、三塁守備があまりにも低レベルだった為、タイガース移籍1年目の4月から本格的にファーストにコンバートされた。その後、ポジションが重なるプリンス・フィルダーが加入した事により、サードに再コンバートされたが、フィルダーがレンジャーズに移籍していった後、ファーストに戻っている。ファーストコンバート後も守備力が良くなったわけではなかったが、にはトレーニングを積んだ事で大幅に改善され、ゴールドグラブ賞の候補として名が挙がるほどに成長を見せた。守備力の向上ぶりは守備成績にも反映されており、5失策は自己最少・守備率.995とDRS - 1は、いずれも最も良い数値タイであった (成績は、いずれも一塁守備での数値) 。打撃面での大きな活躍、特に45年ぶりの三冠王を獲得したなどこと、現在のところステロイドなどの薬物疑惑がないことから、現役選手ながら将来の野球殿堂入りが確実視されている数少ない選手の一人である。2014年12月31日にESPNが特集した「現役選手での殿堂入りに近い選手は誰か?」とするランキング特集でカブレラは、デレク・ジーター、アルバート・プホルス、イチローと共に「この4人は議論するまでもなく将来の殿堂入りが確実」としてランキングから外された。

出典:wikipedia

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