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大岳院

大岳院(だいがくいん)とは、鳥取県倉吉市にある曹洞宗の仏教寺院。本尊は釈迦牟尼佛。有栖川宮御祈願所。江戸時代初期にこの地で没した里見忠義と8人の家臣(八賢士)の墓がある。『伯耆民諺記』によれば、戦国時代の天正の頃、現在の大岳院の敷地には南条氏家臣・山名氏豊(伯耆守護山名氏の一族)の館が存在したという。倉吉市の発掘調査では、氏豊の時代とずれるものの、室町時代ごろと思われる富裕層の屋敷跡が発見されており、山名氏の守護所跡との指摘もある。大岳院は慶長10年(1605年)、米子藩重臣で打吹城(倉吉城)主の中村栄忠により、父・中村一栄(1604年没)の菩提寺として現在地に創建された。中村一栄は、豊臣政権三中老で駿府城主であった中村一氏の弟で、駿河時代には沼津城(三枚橋城)を預かっていた。慶長5年(1600年)、一氏の子・中村一忠が米子に移されると、一栄は八橋城主となった。父の後を継いだ栄忠は拠点を倉吉に移し、このため本寺も当地に創建されることになった。山号と院号は一栄の法名「萬祥寺殿大岳周碵大居士」に因んでいる。開基には一栄を据え、一栄の実兄である孝山智順を開山とした。しかし、中村氏は1609年に改易された。慶長19年(1614年)、安房国館山藩主・里見忠義は大久保忠隣失脚に連座し、倉吉藩に移封された。実質的には流罪ともいわれ、忠義は打吹城に入ることはなく大岳院門前の神坂村に居住した。大岳院には里見忠義が寄進した「三彩稜花刻花文盤」が寺宝として現存する。忠義はそののち堀村(現・関金町)に移り、元和8年(1622年)に没した。戒名は「雲晴院殿心叟賢涼大居士」。忠義は遺言により大岳院に葬られた。忠義の葬儀ののち、8人の近臣が殉死した(人数には異説もある)。大岳院の過去帳には8人の殉死者の戒名が記されているが、主君の戒名にも含まれる「心」と「賢」の字が共通して入っており、とくに「賢」の字に着目して「八賢士」と呼ばれている。このことから曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』の「八犬士」のモデルではないかという解釈がある。大岳院には忠義と八賢士の墓があるほか、忠義の叔父である正木時茂(正木大膳)や、家老堀江能登守の墓所もある。大岳院の檀中からは、第119代光格天皇の生母・大江磐代(おおえ・いわしろ、1744年 - 1813年)が出た。倉吉で生まれた磐代は、父とともに京に上り、閑院宮典仁親王の女房となった女性である。大岳院には大江磐代(尊称して大江磐代君)の母「りん」の霊廟がある。なお、倉吉市内には大江磐代君を祀った大江神社がある。大岳院は有栖川宮の祈願所となり、有栖川宮織仁親王、韶仁親王の位牌が祀られている。

出典:wikipedia

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