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ラッセル・ウェストブルック

ラッセル・ウェストブルック(Russell Westbrook, 1988年11月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチ出身のバスケットボール選手。NBAのオクラホマシティ・サンダー所属。出身大学はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)。ポジションはポイントガード。レウジンゲル高校卒業後、名門校UCLAに進学する。1年目の2006-07シーズンは36試合に出場するものの殆ど出場時間はもらえず、平均9.0分で3.4得点0.7アシストの成績だった。2年目の2007-08シーズンには先発ガードのダレン・コリソンが負傷欠場したことにより、チャンスを得たウェストブルックは大きく成績を伸ばし、12.3得点4.3アシストを記録。コリソンが復帰して以降は先発シューティングガードとして出場した。このシーズンにはPac-10の最優秀守備選手賞に選ばれ、また通算1318分出場はUCLAのシーズン記録となった。コリソンとウェストブルックのバックコートコンビに、そして大黒柱のケビン・ラブに率いられたUCLAはNCAAトーナメントを勝ち抜き、ウェストブルックはSweet16では14得点11リバウンドでキャリア初となるダブルダブルを達成、Final4では22得点を記録するなど活躍したが、チームはFinal4で敗退した。この1年で一気に名を上げたウェストブルックは、2008年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。2008年のNBAドラフトではシアトル・スーパーソニックスから全体4位指名を受けた。チームメイトだったケビン・ラブはメンフィス・グリズリーズから全体5位指名を受けた後、ミネソタ・ティンバーウルブズに交渉権が移り、そのままウルブズと契約している。ソニックスはこのオフにオクラホマシティに移転したため、ウェストブルックのNBAキャリアはオクラホマシティ・サンダーで始まることとなった。プレドラフトキャンプ時の身体データ迎えた2008-09シーズン、序盤こそベンチスタートだったが、11月末にはアール・ワトソンから先発の座を奪い、以降持ち前の得点力を発揮。12月と2月にはウエスタン・カンファレンスの月間新人賞に選ばれた。3月2日のダラス・マーベリックス戦では17得点10リバウンド10アシストを記録し、サンダー(旧シアトル・スーパーソニックス)史上アート・ハリス、ゲイリー・ペイトンに続く3人目となるトリプル・ダブルを達成した。最終的には15.3得点4.9リバウンド5.3アシストを記録し、オールルーキー1stチームに選ばれた。一方でFG%が4割を切り、ターンオーバーも多く、先発PGとしてシュート精度とゲームメイクが課題となった。2009-10シーズンは、チームも自身も開幕から好調を維持し続け、チームは5年振りにシーズン6割を達成し、プレーオフ進出を決めた。最終的には82試合すべてに先発し、16.1得点4.9リバウンド8.0アシストをマークし、またFG%もアップさせ、ターンオーバーも減らしゲームメイクも改善した。2010-11シーズンは、ウェストブルックは更なる飛躍を遂げ、2年連続82試合すべてに先発出場し21.9得点4.6リバウンド8.2アシストをマークし、また初めてオールスターにも選ばれ、オールNBA2ndチームにも選出され、一躍スター選手の仲間入りを果たした。チームも21世紀に入って最高となる55勝27敗で地区優勝を成し遂げ、ウエスタンカンファレンス第4シードでプレーオフに進出した。しかしプレーオフに入ると強引なドライブとターンオーバーが目立ち始め、PGとしてゲームメイクを放棄し続け主に第4Qに入るとエリック・メイノーと変えられて大事な場面はベンチに下げられるようになった。それでもチームは15年ぶりにカンファレンスファイナルへ進出しダラス・マーベリックスと対戦。ウェストブルックはベテランスターガードのジェイソン・キッドとマッチアップした。当初はスピードでキッドを翻弄したが、次第にキッドがディフェンスとゲームメイクと経験の差で内容でも数字でも上回り、第4戦までにウェストブルックは平均5つものターンオーバーをしてしまい、結果サンダーはこのシリーズを1勝しかできずに敗退。ウェストブルックは、しばしばメディアおよびファンからの酷評に晒される羽目になった。2011-2012シーズン、NBAはロックアウトで短縮されたシーズンとなるも、ウェストブルックは前年と変わらずハイレベルなアベレージ(一試合平均23.6得点、4.6リバウンド、5.5アシスト、1.7スティール)を記録し、2年連続でオールNBAセカンドチームに選出された。一躍強豪の仲間入りを果たしていたサンダーは、プレーオフを勝ち上がると、カンファレンス・ファイナルでサンアントニオ・スパーズと対戦。最初の2戦を落とし、サンダーの不利に思われたが、レギュラーシーズン含め20連勝中だったスパーズを、なんとここから4連勝で下し、一気にNBAファイナルへと進出を決めた。フランチャイズをオクラホマシティに移転して以来初のファイナルとなり、相棒のケビン・デュラント対マイアミ・ヒートのレブロン・ジェームズという新世代のスター対決は大きな注目を集めた。サンダーは第一戦を105対94で勝利し、ウェストブルックも27得点11アシストで勝利に貢献。ファイナルデビュー戦で25得点10アシスト以上を記録したのは、マイケル・ジョーダンとウェストブルックのみである。しかし、サンダーはここから苦戦。主力が若く、経験不足も露呈したサンダーは、終盤で競り負け、4連敗でファイナルを敗退。ウェストブルックは第4戦でプレーオフのキャリアハイとなる43得点を記録したりと気を吐いたものの、第3戦の終盤では不用意なファールで相手にフリースローを与えてしまったりと、未熟さが目立つ場面もあった。敗退後、デュラントと共にうな垂れながらロッカールームへ下がる姿からは、悔しさが滲み出ていた。リベンジを誓った2012-2013シーズン、サンダーは60勝22敗の成績でウェスタン・カンファレンスの首位に立ち、優勝候補の一角となっていた。ウェストブルックも好調で、一試合平均23.2得点、5.2リバウンド、7.2アシスト、1.8スティールを記録し、オールスターに選出、また、3年連続でオールNBAセカンドチームにも選ばれるなど、相棒ケビン・デュラントと共に、NBAチャンピオンへ向けて意気軒昂であった。しかし、プレーオフでサンダーに悲劇が起きる。ファースト・ラウンド、ヒューストン・ロケッツとの第2戦。ロケッツのパトリック・ビバリーがスティールを狙った際に、ウェストブルックと激突してしまい、ウェストブルックは右膝を負傷。その後何とかプレーを続行し29得点で試合を終えたものの、痛みに怒りを露にするシーンも見受けられた。その二日後、ウェストブルックは手術を受け、プレーオフ残り試合は絶望となってしまった。リーグ屈指のデュオの一角を失いながらも第六戦でロケッツを下し、サンダーはなんとかセミファイナルへ進出するものの、ウェストブルックの不在はあらゆる面で影響を及ぼし、メンフィス・グリズリーズの前に1勝4敗で敗退することとなってしまった。しばしば熱くなりすぎ、冷静さを失ったプレイを見せるウェストブルックを、一部の人間は酷評していた。しかし、ウェストブルックの闘志溢れるプレイと、縦横無尽にコートを駆け回る運動量がサンダーにもたらしていたものも大きく、ウェストブルックを欠いたサンダーがあっさり敗退してしまったことで、彼はやはりサンダーにとって必要な存在であることが、図らずも証明される形となってしまった。2013-2014シーズン、手術の影響もあって最初の2試合を欠場した後、ウェストブルックは戦線に復帰。しかし、クリスマスゲームの後、再度手術を受けることとなり、しばらくサンダーはウェストブルック不在のまま戦うことを強いられた。再び苦境に立たされたサンダーだが、ここから相棒のケビン・デュラントが獅子奮迅のパフォーマンスを見せ、サンダーは調子を落とすことなく勝ち星を積み上げていった。自分の不在の間にチームを引っ張る相棒の姿は、ウェストブルックにとって自己のプレイを見直す機会になった。シーズンも後半に差し掛かった2月20日にウェストブルックは復帰し、サンダーにとって嬉しいニュースとなった。ウェストブルックの復帰後もサンダーは順調に勝ち星を重ね、最終的には59勝23敗の成績でウェスタン・カンファレンス2位でシーズンを終了。このシーズンのウェストブルックの成績は、46試合出場で一試合平均21.8得点、5.7リバウンド、6.9アシスト、1.9スティール。ちなみに、彼の不在の間に鬼神のごとき働きを見せた相棒ケビン・デュラントはこのシーズンのMVPに輝いた。プレーオフ・ファーストラウンドでは、しばしばライバル関係にあったメンフィス・グリズリーズと対戦。このシリーズは稀に見る激戦となり、プレーオフ史上初となる4試合連続オーバータイムにもつれるなど、サンダーとグリズリーズは死闘を演じた。最終的にサンダーは7戦の末に勝利し、セカンドラウンドではロサンゼルス・クリッパーズと対戦。2勝2敗で迎えた第5戦、試合残り49.2秒で97対104と7点ビハインドを背負っていたサンダーは、そこからデュラントの連続5得点と、ウェストブルックの値千金のスティールからオフェンスを繋ぎ、ファウルを受けたウェストブルックがフリースロー3本を冷静に沈めて105対104、最後のポゼッションも防ぎきって逆転勝利を収めるなど、その勢いをまざまざと見せ付けた。セカンドラウンドを4勝2敗で終えたサンダーは、カンファレンス・ファイナルでサンアントニオ・スパーズと対戦。サージ・イバーカの離脱で守備が弱化したサンダーは、最初の2試合を大敗で落とすが、ホームに戻り、イバーカが復帰してから2連勝。2勝2敗のタイに戻し、2年前のような展開も期待されたが、最終的にこのシーズンの王者に輝いたスパーズの前に屈し、2勝4敗でシーズンを終えた。2014-2015シーズンはサンダーにとって、そしてウェストブルックにとっても試練の年となった。開幕前にケビン・デュラントが右足のジョーンズ骨折により離脱を表明しており、ウェストブルックも開幕戦で右手第二中手骨を骨折し、稀代のデュオ二人を欠いたサンダーは苦戦。ウェストブルックが復帰するまでに、サンダーは3勝12敗と大きく負け越してしまい、一時期ウエスト最下位にまで沈んでいた。ウェストブルックは、復帰試合で右手で強烈なワンハンド・ダンクをかまして復活をアピールすると、やがてデュラントも復帰し、サンダーは勝率5割を回復。オールスターでは、バックボードに頭をぶつける豪快なダンクをみせるなど歴代2位となる41得点を記録し、オールスターMVPに輝き、サンダーはこのまま堅調に行くかと思われた。ケビン・デュラントが再度手術のために離脱、当初は2週間程で復帰する予定だったが、状態が改善しないため、最終的にシーズン全休となってしまう。相棒不在の間、ウェストブルックはチームを背負い、奮起することを求められた。昨年のデュラントのように。そしてウェストブルックもまた、ここから獅子奮迅の働きを見せるのである。2月、ウェストブルックはウェスタン・カンファレンスの月間MVPに選出されるが、この一ヶ月のウェストブルックのアベレージは、一試合平均31.2得点、9.1リバウンド、10.3アシストという尋常でないものだった。これは、過去にオスカー・ロバートソンが達成して以来となる月間平均30得点、9リバウンド、少なくとも10試合での平均10アシスト以上を記録するという、快記録であった。3月に入ってからもそのプレイは益々エネルギーを増し、3月4日のフィラデルフィア・76ers戦ではオーバータイムの末に勝利、49得点16リバウンド10アシストのトリプルダブルと、大車輪の活躍であった。この時期、メディアなどはしばしば彼をのことを「Beast(怪物)」という形容で語っていたが、これは最大級の賛辞と言える。シーズン終盤には守備の要であるサージ・イバーカも離脱、厳しい状況の中、プレーオフ出場権を巡ってサンダーは最後まで戦い続けるも、レギュラーシーズン最終戦で勝率同位ながらタイブレーカーを保持していたニューオーリンズ・ペリカンズがプレーオフ進出を決め、サンダーと、ウェストブルックの激しい一年は幕を閉じた。このシーズン、サンダーは45勝37敗。ウェストブルックは一試合平均28.1得点7.2リバウンド8.6アシスト2.0スティールを記録し、自身初の得点王を受賞。また、オールNBAセカンドチームにも選出された。2015-2016、サンダーは長年チームを率いてきたスコット・ブルックスヘッドコーチを解任、新ヘッドコーチとしてフロリダ大学を2度NCAA王者に導いたビリー・ドナヴァンを迎え、新体制で新たなるシーズンに挑んだ。前年の奮闘により、そのポテンシャルを開花させた感があるウェストブルックは、新シーズンになってから特にアシストでの貢献が目立つようになった。また、オールラウンダー化も進行し、頻繁にトリプルダブルを記録した。2月3日のオーランド・マジック戦(117対114で勝利)では、24得点、自己最多の19リバウンド、14アシストを記録すると、3月9日のロサンゼルス・クリッパーズ戦(120対108で勝利)では25得点、11リバウンド、自己最多の20アシストの活躍で、1988年にマジック・ジョンソンが達成して以来となる25-10-20を記録。相棒のデュラントをして、「聞いたことがないくらい凄い。あまりにも簡単に、スムーズにやっていたから、言葉では表現できないね。何が起こっているか理解できないほどさ」と言わしめた。このシーズン、最終的にウェストブルックは18回ものトリプルダブルを記録し、これは1981-1982シーズンのマジック・ジョンソン以来となる快挙であった。ちなみに、このシーズンにウェストブルックがトリプルダブルを記録した試合は、18戦全勝である。NBAオールスターゲームではファン投票により自身初の先発出場を果たし、本戦では2年連続となるオールスターMVPも受賞した(ちなみに、2年連続MVP獲得は、1961年と1962年にMVPを獲ったボブ・ペティット以来である)。最終的にウェストブルックは一試合平均23.5得点、7.8リバウンド、10.4アシスト、2.0スティールを記録。そんなウェストブルックの活躍もあり、サンダーは55勝27敗でレギュラーシーズンを終了。また、自身初のオールNBAファーストチームにも選出された。ただ、このシーズンは前年王者ゴールデンステート・ウォリアーズが歴史的な快進撃を見せており、またサンアントニオ・スパーズも球団史上最多となる勝利数を上げるなど、サンダーは同カンファレンス内において驚異的な2チームを追う立場にあり、依然、優勝への道のりは険しいものであった。プレーオフ・ファーストラウンドではダラス・マーベリックスと対戦。第二戦はデュラントをはじめチーム全体でシュートスランプに陥って1点差で惜敗したものの、それ以外では快勝し、4勝1敗で突破。セカンドラウンドでは、ここ5年で3度目の対戦となった因縁の相手であるサンアントニオ・スパーズと対戦。第一戦ではスパーズの猛攻と堅守を前に成す術なく、124対92の大敗を喫する。しかし、この大敗を機にサンダーは息を吹き返し、続く第二戦、アウェイでの接戦を制し、1勝1敗のタイに戻す。その後も交互に勝ち星を上げて迎えた第五戦、勝った方がカンファレンス決勝に王手を掛ける重要な場面で、残り6.3秒にウェストブルックがカワイ・レナードのディフェンスを振りきり、決勝点となるバスケットカウントを沈め、勝利を手繰り寄せた。勢いに乗るサンダーはホームでの第6戦も制し、4勝2敗で、今季球団最高の67勝を上げていた強豪スパーズとのシリーズに決着を付けた。2年振り、かつ、過去6年で4度目のカンファレンス・ファイナル進出を決めたサンダーは、王者ゴールデンステート・ウォリアーズとの決戦に挑んだ。前年王者のウォリアーズとのカンファレンスファイナル第1戦、ウェストブルックは前半3得点と不発だったが第3クォーターだけで19得点と後半は大活躍。終わってみると27得点、12アシスト、6リバウンド、7スティールとチームの勝利とホームコートアドバンテージ奪取に貢献した。第2戦は2シーズン連続MVPステフィン・カリーを抑えきる事が出来ず91-118と大敗を喫してしまうが、オクラホマに戻っての第3戦、ウェストブルック、デュラントのリーグ最強デュオとの呼び声高い2人が合計63得点と大活躍。レギュラーシーズン73勝9敗と歴代最高勝率をマークしたウォリアーズを第3クォーターまでに117対80と圧倒し133対105と快勝した。続く第4戦も勢いそのままにサンダーは猛攻を仕掛ける。特にウェストブルックは36得点、11アシスト、11リバウンドとトリプルダブルを記録しチームを牽引。インサイド陣の活躍もあり118対94とこの試合に勝利したサンダーはNBAファイナル進出へ王手をかけた。しかし、相手は歴代最多勝率を記録した王者。ここからウォリアーズは王者の意地を見せ、第5戦、第6戦を競り勝ち、逆王手を掛け、シリーズの行方は運命の最終戦へと委ねられた。ウォリアーズホームのオラクル・アリーナで迎えた第7戦、サンダーはしばしばシリーズでアドバンテージを握ってきた堅守で前半のウォリアーズをわずか42得点に抑え、6点リードで前半を終える。両者のプライドが激突する熱戦は、後半に入ってからスリーポイントを炸裂させたウォリアーズが一気に追い付き、逆転に成功して流れを掴む。サンダーも、試合終盤にデュラントの連続得点で11点のビハインドを4点差まで縮め、猛追を見せて最後までウォリアーズを脅かした。だが、残り1分20秒を切ってから、シーズンMVPステフィン・カリーが3本のフリースローととどめのスリーポイントを沈め、万事休す。最終スコアは88対96で、サンダーは無念の敗退となった。しかし、球団史上最多勝率を記録したスパーズを下し、歴代最多勝率を記録したウォリアーズを相手に王手を掛け、最終戦までもつれる激闘を演じたサンダーの一年は、来季以降にも希望を抱かせるものであった。その激闘の熱も冷めやらぬ2016年シーズンオフ、なんと、チームメイトであった相棒デュラントがウォリアーズへの移籍を決断した。サージ・イバーカも2016年のNBAドラフト開催日にオーランド・マジックとのトレードで放出されていたため、長年組んできたトリオはついに解体され、サンダーは正真正銘ウェストブルックのチームとなった。8月4日(日本時間5日)、ウェストブルックはサンダーと3年8500万ドルで契約延長に合意した。どんな状況でも常に全力を尽くす精神力を持ち、圧倒的なスピードとセンターやパワーフォワードのプレーヤーにも当たり負けしないフィジカルを活かしたペネトレイトを得意とする典型的なスラッシャータイプのポイントガードであり、2014-15シーズンにはシーズン得点王に輝く程のスコアラーでもある。身長は191センチとNBAのプレーヤーの中では大きい方ではないが爆発的なジャンプ力でリバウンド争いにも積極的に参加する。アシスト能力にも長け、2015-16シーズンにおいては1試合平均10.4を記録している。ディフェンス面においてもスティールの能力は特に素晴らしく、1試合平均のランキングでも上位を獲得するほどである。得点、アシスト、リバウンドに優れることからトリプルダブルを記録することが多く、2015-16シーズンには1981-82シーズンにマジック・ジョンソンが記録して以来のシーズン18回のトリプルダブルを達成した。しかし、ターンオーバーの数が多い事やシュートセレクションが悪く、試合の流れを止めてしまうという欠点がある。近年ではシュートセレクションの悪さはかなり改善され、それに伴ってアシスト数も上昇している。 「俺は全ての物事に対して常に「Why not?」という考え方で生きている。これが俺の考え方だ。」  その後、ウェストブルックは名門UCLAから奨学金のオファーを受けるほどの選手に成長した。このとき、元々UCLAがオファーを出すつもりでいた選手は、亡くなったケルセイ・バスであったという。 「俺はいつも自分が成長していることを周りに示し続けなければならない。批評家がどう言おうが、俺は全て出来ることを示さなければならないんだ。だから、誰がいてもいなくても、毎日ハードに練習しなくちゃね。」 「俺は鮮明に憶えている。高校でも、そして大学でもベンチプレーヤーだったこと。その経験が今の俺を駆り立てている。毎日ハードにやるしかないんだ。」  のちにドラフトで全体4位で指名された時、ウェストブルックはそう語った。 「奴(バス)は最高の友達だ。奴はいつも100%でプレイしていた。人生で確かなことなんて何も無いよ。俺は毎日コートに立つといつも思うんだ。明日は誰にも分からないってね。」

出典:wikipedia

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