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秋葉原通り魔事件

秋葉原通り魔事件(あきはばら とおりまじけん、)とは、2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した。マスメディアや本件に言及した書籍においては秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれることが多い。2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員の加藤智大(かとう ともひろ、1982年9月28日 - 、犯行当時25歳)の運転する2トントラック(いすゞ・エルフ)が西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。このトラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていたが、トラックを運転していた加藤は車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら17人を、所持していた両刃のサバイバルナイフ(ダガーナイフ)で立て続けに殺傷した。さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口を加藤に対して向け、ダガーを捨てるよう警告し、応じなければ拳銃を発砲することを通告した。それに応じナイフを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店(現・クラブセガ秋葉原新館)脇の路地で現行犯逮捕にて身柄を拘束した。これらはおよそ5 - 10分間ほどの間の出来事だった。事件当日は日曜日で中央通りは歩行者天国となっている区域だった。この日も多くの買い物客や観光客でごった返しているなかの凶行であり、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また、負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇であった。加藤はナイフは他にも5本所持していたことが明らかになった。一方、これらの犯行に対する救命活動はおおむね迅速に遂行された。犯行現場にいた一般の通行人は加藤がまだ拘束されていない段階から積極的に被害者たちに対する一次救命処置を開始し、また、携帯電話などを活用しての迅速な通報がなされた。東京消防庁は12時36分に最初の119番通報を受信、通常の交通事故による救急事案として、救急隊1隊と救急隊支援のための消防隊1隊を出場させたが、さらに通報が相次いだことから、指揮隊1隊と救急隊4隊を応援隊として出場させた。12時43分には最初の救急隊(浅草消防署浅草橋出張所)が現場に到着した。現場到着部隊は、通常の態勢で対処できる状況ではないと判断し、現場到着とほぼ同時に、災害派遣医療チーム (DMAT) の出場を要請、東京消防庁は東京DMATに対して出動要請を行った。12時47分には消防の現場指揮本部から応援要請を受け、多数の傷病者に対応するための「救急特別第1出場」を発令、救急隊10隊や、東京DMATの支援のための消防隊(東京DMAT連携隊)等を追加出場させた。12時49分には、先に出場を指令された救急隊5隊が現場での活動を開始している。東京消防庁がDMATチームに出動を要請してから12分後の12時55分、現場から最も近かった日本医科大学付属病院高度救命救急センターのDMATチームが現場到着した。日本医大DMATチーム指揮官は、犯行規模の大きさからDMATチームをさらに2チーム追加投入するよう要請し、13時8分に東京医科大学病院のDMATチームが到着、これにより、殺人事件としては初のDMATチーム複数投入が実施されることとなった。最終的には、日本医大、東京医大に加え、白鬚橋病院と都立広尾病院の4チームが現場に展開している。13時過ぎにはDMATチームの現地指揮所が設置され、最初に現場に展開した日本医大チームが全体の指揮を執ることで指揮系統が確立された。これらのDMATチームが主導することで、救急活動はおおむね円滑に遂行されたと評価されている。しかし、一方で、DMATチームの出動に頼ったために、初動のトリアージに遅れが出た可能性も指摘されている。17名がトラックではねられたり刺されたりするなどの被害を受け、その内、7名が死亡した。通り魔事件としては過去30年で最悪の事件とみられている。被害者数は平成時代に起きた無差別殺傷事件としては7年前の同じ日に発生した大阪教育大学附属池田小学校の児童殺傷事件に次ぐ惨劇になった。犯行に使用されたトラックは犯行日前日に静岡県沼津市でレンタカーとして借りた車であった。当人はより大きな車両を借りたいと考えていたが、借りるにはクレジットカードが必要であり、当人は所持していなかったため犯行に使われたトラックになった。犯行に使用されたダガーなどのナイフ類6本は犯行日2日前に福井県福井市のミリタリー輸入雑貨店で購入したものであった。トラックで人を跳ね飛ばすのは2005年(平成17年)4月に発生した仙台アーケード街トラック暴走事件(加藤は仙台市の事件現場の近くに住んでいたことがある)を参考にし、ナイフで人を襲うのは2008年(平成20年)3月に発生した土浦連続殺傷事件を参考にしたと供述している。加藤はそのトラックを自ら運転し、東名高速道路を経由して上京し、ネットの掲示板荒らしに対する抗議の表明手段として、通り魔殺人を行った。加藤は拘置所においては弁護士以外との面会を拒否し、手紙の受け取りを拒否し、マスコミの取材を拒否して自著以外ではコメントを発してこなかった。神戸親和女子大学教授の片田珠美は、加藤の屈折した人格形成について母親の影響があったと意見している。さらに、加藤は心のよりどころとしていた携帯サイトの電子掲示板で千回を超える書き込みをおこなっていた。そこでは「不細工スレの主」という独自キャラを確立していたが、成りすましによる偽物が現れたために次第に孤立感を深めていった。加藤は、掲示板との関係について「依存と一言で片づけてるものではなく、全ての空白を掲示板で埋めてしまうような使い方をしていた」という。加藤は「掲示板の成りすましによる偽物に間接的に攻撃するために大事件を起こす」ことを決意し、「近年大きく報道されていた大事件として記憶していたのが無差別殺傷事件」として、次第に殺人を予告する書き込みを行うようになっていった。加藤は「大事件は大都市、大都市は東京、東京でよく知っているのは秋葉原」として襲撃場所は秋葉原に決まり、「日曜日なのは秋葉原の歩行者天国が思い浮かんだから」として日曜日に秋葉原の歩行者天国に襲撃することが決まっていく。6月8日5時21分、「秋葉原で人を殺します」とのタイトルで、「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」との犯行予告を行った。その後、沼津市から犯行現場まで移動する間に約30回のメッセージを書き込んでいた。同日12時10分に犯行現場で最後の投稿をし、その20分後の12時30分に事件が発生した。加藤が派遣労働社員であったことから、若者の雇用環境が厳しくなっていることで将来に希望を失い、事件の動機になったとする見方も出た。また、この事件をもって若者の雇用環境悪化を問題視する意見が報道機関から多数出て、読者からの投稿でもそれに追随する意見が出された。だが、刑事裁判において、加藤は本件犯行の動機も原因も雇用形態が派遣であることとは無関係であると供述し、弁護人も検察官も裁判官も、その供述が事実であると認定した。加藤は短期大学卒業後の最初の就職から事件を起こす直前まで働いていた最後の就職先まで、全ての就職の雇用形態が登録型派遣労働社員だったわけではなく、青森県の運送会社では正社員として、宮城県の警備会社で準社員として、直接雇用されている(後に自己都合退職)。加藤は、短期間で転職を繰り返した理由は、上記のように職場や人間関係に対して不満があると、雇用主や同じ職場で働いている人と話し合いをせずに、不満への抗議の表明手段として、無断欠勤してそのまま職場放棄して退職するという、極端な考え方とその現象としての言動が原因であると、裁判で供述している。また加藤による自著『解+』においても否定している。加藤は一貫して否定しており、加えて取り調べ段階において、供述の文言を書き換えて勝手に動機とした捜査機関による捏造行為があったことを述べている。加藤が掲示板に「負け組は生まれながらにして負け組なのです まずそれに気付きましょう そして受け入れましょう」などと書き込んでいたこともあり、事件後加藤を負け組の英雄とし、「神」「教祖」「救世主」とまでみなす共感現象が起きた。これに対し、加藤は「本気で自分を「負け組」だと考える人のことは全く理解できません。また、自分の努力不足を棚に上げて「勝ち組」を逆恨みするその腐った根性は不快です。」と切って捨てている。社会学者の宮台真司は社会の側の包摂が足りないのが原因として「絆のある人間関係の中で生きられること」が必要などと主張したが、加藤は地元の青森や仙台を中心に趣味の合う仲の良い友人が幾人もおり、どの職場でも友人付き合いをし、心を開いて話をする店主がいる行きつけの酒場などもあった。また掲示板を介しても自らオフ会を提案し、全国を旅行して相手先に宿泊し心を通わせるなど、積極的人間関係の構築により友人が多数いた。事件当日も作業着事件で辞めた元職場の友人へ遊ぼうと呼びかけている。また、「若者が希望を持てる社会、などと言われたりしているようですが、意味不明です。何故そうやって社会のせいにするのか、全く理解できません。あくまでも、私の状況です。社会の環境ではありません。勝手に置き換えないでください。」と述べている。北海道大学准教授の中島岳志は「コミュニケーションが下手で、友達がいない若者はたくさんいる。加藤はうまくやっている方で、もしかしたら、私が教えている学生の方が友達がいないかもしれない。なのに、加藤は孤独だった。問題は友達がいないことではなくて、友達がいるにもかかわらず孤独だったこと」と主張している。『夕刊フジ』により氏名不詳の同僚の証言として「加害者は「2D(アニメなど2次元世界)しか興味ない」と公言し「秋葉原のメイド喫茶を案内した」といった、加藤がオタクであることが犯罪の要因となったことを匂わせる報道が行われ、また掲示板の書き込みに基づき「事件数日前にネット掲示板で殺人ゲームであるひぐらしのなく頃にとGTAに言及した」という報道も行われた。しかし、加藤の実弟は、加藤家ではビデオゲームは週に一度土曜にわずか1時間許されるのみで、中学の卒業文集に出ていた「テイルズ オブ デスティニー」は3番目に買ったもの、漫画や雑誌なども読んだことがなかったと証言しており、ひぐらし・GTAもなりすましへの警告として持ちだしただけで未購入、加藤自身も「オタクも理由ではない」と否定している。そもそも加藤は友人関係を維持するために相手に合わせて特定の人格を演じており、「オタクで生身の女性に興味がないキャラ」は友人関係の中でそれを維持し笑いを取るためのネタであった。加藤にとってゲームは他者と交流するための媒介で、それ自体が目的でなく、むしろゲームは万人にとって犯行を抑止する理由となるとしている。加えて同じ加藤の友人への取り調べで、加藤が夢中になっていたとされる同一のゲームのことを警察の調書では「暴力的なゲーム」としながら、検察の調書では「女の子がたくさん登場する、萌えゲーム」とするなど、捜査機関がゲーム原因説に沿うように、矛盾する調書を作ったことなどその出鱈目ぶりを批判している。加藤は掲示板において女性関係や容姿に対する劣等感に基づくとみられる書き込みを繰り返していたが、『解+』において「容姿のコンプレックスなども事件の理由とは関係ない。生え際の後退も自分にとってはネタ」と否定している。また、中学時代に2人の同級生と交際を経験している。加藤は親への恨みから大学に進まなかったことを、不利益であったので後で考えれば損だったとは述べているものの、「事件とは無関係です」ときっぱり否定し、むしろその様な動機を盛る者達の学歴に対する劣等感を指摘している。加藤は繰り返し捜査機関側が都合のいい供述調書を作ろうと様々な動機をでっち上げ、それを前提とした供述をさせようとした事を挙げ、そのような「盛られた動機」を調べもせずに垂れ流す 「広報」と化した大手報道媒体を捜査機関とともに批判している。また「専門家の話もほとんど嘘」と指弾し、そこから出てくる対策に効果などないと結論づけている。加藤は精神的に不安定になり、短大時代には対立していた学生がいる寮へエアガンで襲撃する計画を立てたり、仙台の警備会社では事務所を火をつけるかトラックを突っ込むかして襲撃する計画を立てたり、地元の青森で車で対向車線側のトラックに突っ込んで自殺するという計画を立てたりしていた。しかし、襲撃計画は短大卒業寸前に退寮したり、警備会社を無断欠勤することで実行する気は収まった。2006年8月末と2007年には自殺計画を練り、友人や家族に自殺予告のメールをした後で実行に着手しようとしたが、最終的には実行しなかった。通り魔事件は、事件当時秋葉原で実施されていた歩行者天国にも悪影響を与えた。事件発生を受けて、千代田区と万世橋警察署、地元町会で歩行者天国の在り方を検討することとなり、毎週日曜日および祝日の12時から17時まで、中央通りで実施していた、歩行者天国の当面の中止を、東京都公安委員会が決定した。その後、自治体や地元町会・商店街の検討会により、住民によるパトロールの実施・監視カメラの設置、安全に関する協定の制定など防犯体制の案がまとまり、2010年(平成22年)の夏休みを目処に再開することを予定していた。しかし警察庁から、地元からも警備要員を出すように要望があり、その体制がまとまらなかったことから、歩行者天国の再開時期が報じられては延期という状態がしばらく続いていた。。最終的には、路上パフォーマンスを警戒する警備要員を一定数、常時巡回させる計画でまとまり、地元住民の同意もほぼ得られたとして、2011年(平成23年)1月からの歩行者天国再開を、2010年(平成22年)12月中に東京都公安委員会に諮ることとなった。その結果、毎週日曜日のみ、実施時間を13時から17時(4月以降は18時)までとし、実施区間も従来より200メートル短縮したうえで、2011年(平成23年)1月23日より歩行者天国が再開されている。また、歩行者天国実施中は事件再発防止の観点から、事件が発生した交差点への車両の進入が禁止となった。再開は試験的なもので、期間は2011年(平成23年)6月26日までを予定している。歩行者天国は2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による、余震や計画停電が懸念されたため一時中止されたが、計画停電の影響が薄れたことや地元商店から再開の要望が多かったため4月17日より歩行者天国が再開された。福田康夫内閣総理大臣(当時)は、泉信也国家公安委員会委員長に対し、事件の再発防止策の検討を指示した。事件後、秋葉原周辺には模倣犯防止のため、警視庁・万世橋警察署の制服警察官や私服警察官、刑事・警視庁公安部の職員が多数配置されており、パトカーによる巡回、不審者に対しては職務質問を随時実施している。事件後複数の電子掲示板において、殺人などの犯罪予告が相次ぎ、7月7日までに33人を検挙した。事件前は月に2,3件だったが、事件後1ヶ月で100件以上になっている。このほとんどが10代と20代で、供述内容などからそのほとんどが悪戯とされているが、実行の意思とは関係なく、このような行為は脅迫罪や威力業務妨害に該当する。小学生や中学生が行ったものもある。また、通り魔事件や犯人に対して言及したものも一定数みうけられる。警察庁は6月24日に、全国の警察本部に電子掲示板への犯罪予告の書き込みを厳正に取り締まり、検挙例を積極的に広報することなどの通達を出した。この事件に伴い、矢野さとるが運営する、犯罪予告情報共有ウェブサイト『予告.in』が作成された。この事件の影響を受け、町村信孝内閣官房長官は刃物の所持規制強化を検討すると述べた。その後、2009年(平成21年)1月5日に銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)が改正された。内容は、「刃渡り5.5cmの剣が原則所持禁止」が主となっている。これによりカキの殻むきナイフの一部なども違法にあたると発表され、各業界で混乱を招いている。千代田区は、要望があれば区内の全小中学校に子供達の精神ケアを行うカウンセラーを派遣することを決めた。2010年(平成22年)1月、千代田区外神田三丁目の一部地域で、防犯目的での監視カメラが公園や電柱上に16台設置・運用開始された。運用管理は末廣町会が行っている。同年4月には外神田一丁目などに監視カメラ34台が電柱などに上などに設置された。これにより一部地区を除き秋葉原全域にて監視カメラが設置・運用されている。窃盗事件や殺人、拉致監禁事件や通り魔事件それらの下見など、犯罪の手段として使用されやすいレンタカーの貸出要件の厳格化(大型の四輪自動車を借りる際には、クレジットカードによる決済を必須事項に加える)を行う動きが見られた。仙台アーケード街トラック暴走事件と本事件では、同じレンタカー会社の車両が使われた。このレンタカー会社は後日、追悼の意を表明する旨を公式サイトのトップページに掲載した。なお、トラックにはねられて死傷した5名については、自動車損害賠償責任保険が適用され、自賠責による賠償範囲を超過した部分については「運転者が故意に発生させた事故」であるものの、運行供用者責任を負う立場であるレンタカー会社の故意ではないため、任意保険部分についても補償の対象とされた。また、仙台アーケード街トラック暴走事件で遺族がレンタカー会社を相手取って起こした裁判でも、レンタカー会社に運行供用者責任を問う判決が下っている。日曜日の昼食時間帯に一般市民を巻き込んで発生した重大事件であったため、主要マスメディアが大きく報道した。また、国外のメディアも速報で伝えた。事件の最初の速報では死者2人だったのが度々速報が入るにつれて死者の数が増えていき、最終的に死者7人になる殺人事件となった。事件を受け、事件現場の交差点傍のソフマップ秋葉原本館側の歩道に、仮設テント付の献花台が設営された。この事件の犯人は、1997年(平成9年)の神戸連続児童殺傷事件の犯人(酒鬼薔薇聖斗・逮捕時14歳)や2000年(平成12年)の西鉄バスジャック事件(ネオむぎ茶・逮捕時17歳)を始めとする一連の少年犯罪でキレる17歳と呼ばれた世代(同学年・1982年4月2日 - 1983年4月1日生まれ)と同じ年齢だったことから、「理由なき犯罪世代」として世代論について語られた。また、西鉄バスジャック事件とはインターネットでの犯行予告という共通点もある。ただし、この世代の犯罪率が特段高いというデータは未だ存在せず、世代と事件の関連性は不明である。3ヶ月にわたる精神鑑定の結果「完全な責任能力あり」との鑑定結果が出されたことから、東京地方検察庁は10月6日から被害者や遺族への通知を開始し、10月10日に加藤を殺人、殺人未遂、公務執行妨害、銃刀法違反での起訴に踏み切った。10月31日には公判前整理手続に入ることが決定され、翌2009年(平成21年)6月22日には第1回公判前整理手続が行なわれて、弁護側は起訴事実を大筋で認めた。2011年(平成23年)1月25日、東京地方裁判所で行われた第28回公判の論告求刑で、検察は加藤に対して「犯罪史上まれに見る凶悪事件で人間性のかけらもない悪魔の所業。多数の模倣犯を生み悪影響は計り知れない。命をもって罪を償わせることが正義だ」と述べ、死刑を求刑。同年3月24日に加藤に対して求刑通り死刑が言い渡された。判決では完全責任能力、比較的軽傷だった被害者への殺意、制服警察官に対する公務執行妨害罪について検察の主張通りに認定した。直接的な動機としては掲示板荒らしに対する抗議の表明、根本的な原因としては不満に対して多様な観点から熟慮せず、話し合いで解決しようとせず、自分の意思を相手に分からせるために、直接的行動で相手の望まないことをしたり、相手との関係を遮断したり、暴力を行使する考え方、間接的な原因として母の養育方法が前記のような加藤の人格形成に影響を与えたと認定された。2012年(平成24年)6月、加藤の控訴により東京高等裁判所で第一回控訴審が開かれ、減刑を主張。2012年9月12日、東京高等裁判所(飯田喜信裁判長)は「犯行当時、完全責任能力を有していた。」として加藤の控訴を棄却した。加藤は控訴審に一度も出廷しないまま結審することとなった。同年9月25日、加藤には精神障害の疑いがあるとして、最高裁判所へ上告した。2014年(平成26年)12月18日、加藤の上告により最高裁判所で上告審が開かれた。弁護側は「被告は事件当時、心神喪失もしくは心神耗弱だった疑いがある。死刑判決は破棄されるべきだ」と主張、検察側は上告棄却を求めて結審。2015年(平成27年)2月2日、最高裁判所は「動機に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるをえない。」として被告側の上告を棄却した。、17日付で棄却。これにより死刑が確定判決となった。

出典:wikipedia

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