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札幌市電

札幌市電(さっぽろしでん)は、札幌市交通局が運行している路面電車である。1909年(明治42年)に建築用石材として需要が急増した「札幌軟石」の輸送線として山鼻 - 石切山間に敷設され、1912年(明治45年)からは路線網を市街地まで拡張した札幌石材馬車鉄道(のち札幌市街馬車軌道)を基とし、1918年(大正7年)に札幌電気軌道として開業、1927年(昭和2年)に市営化された。以後、現在に至るまで長期に亘り札幌市民の足として利用されている。最盛期には札幌市内の東西南北を結ぶ総延長25 km余りの路線を有していたが、利用客の減少や地下鉄の建設により4次にわたる路線縮小の末、一条線・山鼻西線・山鼻線の3路線を残すのみとなった。その後2015年(平成27年)に都心線(かつての西4丁目線の一部と同ルートだが、軌道位置は中央分離帯から歩道脇〈サイドリザベーション方式〉に変更)が開通し、環状運転を開始した。冬季の除雪のために運転されるササラ電車は、冬の訪れを告げる風物詩として各メディアでも取り上げられている。「市電」という呼び方のほかに、地元では単に「電車」と呼ばれることがあり、札幌市交通局の一部刊行物や各停留場の標識柱においても「電車」という表記が見受けられる。過去の営業所・車庫は「営業所・車庫」の節を参照。以下の4路線からなり、大半の電車が直通運転を行う。全区間を総称して「一条・山鼻軌道線」または単に「軌道線」とも呼ばれる。2005(平成17)年度の一日平均乗車人員は2万1438人で前年度比 +5.99 %となり、1995(平成7)年度以来10年ぶりに増加に転じた。収入には乗車料、広告料、補助金、特別利益を含む。支出には人件費、経費、減価償却費、企業債利息、特別損失を含む。▲は赤字を示す。かつては多数の系統を運行したが、1973年(昭和48年)以降長年にわたり大半の電車が「西4丁目 - すすきの」の全区間を直通運転していた(所要時間は約45分)ほか、「西4丁目 - 西線16条」、「西4丁目 - 中央図書館前」、「すすきの - 中央図書館」の系統もあった。以前は系統番号「2」が設定されていたが、1991年(平成3年)3月限りで廃止された。2015年(平成27年)12月の環状化以降は、中央図書館前を起終点とする周回運行が中心となり、平日の朝ラッシュ時には西線16条 - すすきの間(西4丁目経由)で折り返し運転をする系統も設定されている。中央図書館前発着は、車庫(電車事業所)への回送も兼ねている。電車事業所には「電車事業所前停留場」が最も近く、乗務員の交代もここで行っているが、出入庫線は隣の「中央図書館前停留場」に向いているため、「中央図書館前」発着となる。方向幕は1周以上周回運転する場合は「外回り 循環」または「内回り 循環」、中央図書館前までの運行の場合に「外回り(または「内回り」) 中央図書館前」などの表示が用いられる。他には事故や積雪などで区間運転する場合に表示される終点の停留場名のものや、「貸切」「非営業」(同局での回送の呼称)などがある。2015年(平成27年)12月の環状化以前は、主に「西4丁目←→すすきの」「西4丁目←→西線16条」「中央図書館前」の3種類が使用されていた(中央図書館前発の電車は「西4丁目←→すすきの」表示)。2015年(平成27年)3月から、3300形・A1200形以外の車両を対象に方向幕のLED化が随時行われている(8500形・8510形・8520形では側面も同様)。なお、従来方向幕で矢印となっていた部分にはハイフンを使用し、「西4丁目-すすきの」等と表示される。2015年(平成27年)12月の環状化以降、日中の9 - 17時はおおむね7 - 8分間隔、平日の朝ラッシュ時のすすきの - 西線16条(西4丁目経由)間はおおむね3分間隔で運転される。環状化以前の2012年(平成24年)4月時点では、日中はおおむね7 - 8分間隔で、平日の朝ラッシュ時は西4丁目 - 西線16条間でおおむね3分間隔で運転された。現存するすべての停留場は札幌市中央区にある。すべての停留場には上屋やロードヒーティングが設置されている。また、2015年(平成27年)4月から、各停留場において、液晶モニターによる市電の運行情報の提供や、イベント情報、広告表示、また、藻岩山ロープウェイの運行情報の提供などを行っている。起・終点である西4丁目とすすきの間は徒歩でも約5分、札幌市営地下鉄南北線で西4丁目最寄りの大通駅とすすきの駅間を行くと約1分と距離が近いため、乗客減に歯止めをかける起爆剤として、かつての西4丁目線の一部を復活させて環状線にする延伸方針が固まり2015年(平成27年)春に開業予定だったが、2014年(平成26年)7月25日に札幌市交通局より開業が2015年10月以降になると発表され、その後2015年11月5日の市長記者会見にて、開業予定が12月20日と発表された。また同会見資料では、環状運転の案内名称は「内回り」「外回り」としていた。2015年(平成27年)4月1日より、各停留場に地下鉄ですでに実施されているナンバリングが表示された。SCは路面電車の「Street Car」に由来し、番号は西4丁目から順番に振られている。一方で、札幌駅まで延伸させる構想もある。詳細は「路線延伸についての動き」の項を参照。札幌市交通局では市電・地下鉄とも「運賃」と表記せず、「料金」としている。ただ、本記事内では便宜上「運賃」と表記する。以下の記載金額はいずれも2014年(平成26年)10月1日現在のもの。市電と地下鉄を乗り継ぐ際は「乗継券」を購入すると運賃が割引になる。乗継割引の適用は現金・ICカード(SAPICA、KitacaやSuicaなどSAPICAエリア内で利用可能なICカードを含む)に限られ、SAPICAの場合は地下鉄駅の改札機や市電の運賃箱に搭載された「ICカード読み取り装置」にカードをタッチすると自動的に乗継割引が適用される。なお、乗り継ぎができる停留場・地下鉄駅は指定されている。「停留場一覧・接続路線」の項を参照のこと。現金乗り継ぎの手順1958年(昭和33年)に市営として開業し、現在では札幌振興公社が運営する藻岩山ロープウェイでも、市電との乗継割引が行われる。電車内に置かれている割引券で、ロープウェイともーりすカー(ミニケーブルカー)の往復運賃1,700円(大人)が1,500円になる。1918年(大正7年)8月 - 9月に開道50周年を記念して北海道大博覧会が開催されることになったのを機に、馬車鉄道を路面電車化しようという動きが高まり、1916年(大正5年)10月には「馬車軌道」から「電気軌道」へ社名を変更した。改軌および電化の工事は1918年(大正7年)4月から始められた。当初は軌間を1,372 mm(馬鉄軌)とする計画で、車両はイギリスのデッカー社から輸入する予定だったが、第一次世界大戦の影響でヨーロッパからの海上輸送は困難となり、急遽名古屋電気鉄道から中古の車両を譲り受け、またアメリカからやはり中古のレールを輸入した。この時、軌間は車両に合わせて鉄道院管轄下の国有鉄道(国鉄、JRの前身)と同じ1,067 mmに変更された。こうした混乱のため、8月1日の博覧会開会に間に合わず、8月12日に停公線(札幌停車場 - 中島公園、のちの西4丁目線および中島線)、南四条線(南4条西3丁目 - 南4条東3丁目、のちの豊平線)、一条線(南1条西14丁目 - 南1条東2丁目)が開業した。その後、旧馬車軌道線を中心としてほぼ毎年のように路線の新設・延長が相次いだ。冬季は雪に悩まされ、馬そりによって代行輸送することも少なくなかったが、1925年(大正14年)より運行を開始したササラ電車により改善されている。ササラ電車は現在でも軌道の除雪に活躍し、札幌の冬の風物詩となっている。1927年(昭和2年)12月1日に路面電車が市営化された際の総延長は16.3km、保有車両数は63両だった。その後も路線の拡充は続き、1931年(昭和6年)には鉄北線を除くすべての路線が全線開通した。第二次世界大戦中は節電のために停留場の統廃合や終電の繰り上げ、通学切符の最低距離制限、を行い、さらに乗務員不足を女子挺身隊で補った。戦後の1946年(昭和21年)冬には閑散路線を一時休止(山鼻西線の南19条 - 一中前と中島線の松竹座 - 中島公園、桑園線の桑園駅通 - 桑園駅前)したほか、進駐軍の将兵およびその家族が藻岩山でスキーを楽しむために、都心部と山鼻方面の間に専用電車が運行された。やがて復興が進むにつれて輸送需要も増大し、ボギー車の導入や単線区間の複線化が進められた。1950年代後半から60年代初期にかけて、隣接自治体との合併や郊外の人口増加に伴い、路線網の拡大が計画されたが、実現したのは鉄北線の新琴似延伸のみだった。この当時新設が検討された路線には以下のようなものがあった。1960年代に入ると輸送量の増加に対応するため、ラッシュ時のみ増結される親子電車や連接車を導入したが、一方で自動車の交通量も増加し、電車の運行に支障が出始めていた。このころ一部の系統で「婦人子供専用車」が運行されたが、朝晩わずか1往復ずつだったために利用しにくく、程なく廃止されている。1963年12月には、朝夕の通勤輸送の便を図ることを目的に「急行電車」の運転が開始された(当初の運行時間は朝ラッシュ時の7時30分から9時30分の二時間、62ある停留所のうち28停留所を通過)。乗車人員は1964年(昭和39年)度をピークとして減少に転じる。また、急行電車廃止の代替措置として1965年(昭和40年)に各路線で停留場の統廃合(62ある停留所のうち、9か所を統廃合、6停留所を移設)を行ったことにより停留場間の距離が広がり、逆に利便性が損なわれ、利用客の減少に拍車がかかったとも言われている。1966年(昭和41年)に、1972年(昭和47年)の第11回冬季オリンピックを札幌で開催することが決定したことを機に地下鉄が建設されることになり、1968年(昭和43年)から南北線北24条駅 - 真駒内駅間の工事が始まった。さっぽろ駅 - すすきの駅間は市電の最高密度区間である西4丁目線の真下だったため、10 m単位で切断した線路を最終電車の通過後に枕木ごと持ち上げて掘削し、朝までに覆工板を敷いて軌道を復旧するという綱渡り的な作業も行われたが、結局始発電車に間に合わないこともあった。一方、鉄北線を新琴似駅前より当時は地平を走っていた札沼線の下を立体交差で抜け、防風林に沿って新札幌団地(現・石狩市花川南付近)まで延伸する構想が地域住民の間から持ち上がった。北24条駅で南北線と接続し、都心に連絡するというものだったが、市電への投資は難しいことから立ち消えになった。南北線開業直前の1971年(昭和46年、2回)と開業後の1973年(昭和48年)、1974年(昭和49年)の4度にわたって多くの市電路線が廃止され、一条線・山鼻西線・山鼻線の3路線を残すのみとなった。残存路線も全廃が検討されたが、沿線住民からの存続要望を受け入れ、市営バスと同様に地下鉄を補完する交通機関として位置づけることで存続されることとなった。その後は車体の更新、軌道や停留場の改修などとともに経営の健全化が図られ、一度は赤字になっていた事業を立て直すことに成功した。2001年(平成13年)に函館市電と共に北海道遺産に選定された。2002年(平成14年)には再び赤字に転落したことや、車両の老朽化が進んでいること、将来的に乗客数の伸びが見込まれないことなどにより民間委託や廃止、あるいは逆に、環境保護や都心部の活性化の核とすべく、路線の再延長、ライトレール化等が提案されていた。上田文雄札幌市長は2005年(平成17年)2月に市電路線の存続を決定した。1998年(平成10年)に札幌市が策定した『札幌市基本構想』において「魅力的な空間を備えた都心の創造」が謳われ、札幌市は同年に「路面電車活用方策調査検討委員会」を発足。1999年(平成11年)3月に公表された報告書では低床車の導入や輸送力増強に加え、西4丁目 - すすきの間を結ぶループ化が具体的に検討された。2005年(平成17年)8月、まちづくりの中で市電を活用する方法について学識経験者や札幌市幹部が話し合う「さっぽろを元気にする路面電車検討会議」が発足。2006年(平成18年)には報告書を公表した。同月、かねてより札幌市電の延伸・ライトレール化を訴えていた市民団体の一つが3通りの延伸案を公表した。なお、同団体を含む市電存続派の多くは西4丁目停留場とすすきの停留場の間を結ぶこと(再ループ化)を主張していたが、この案ではとりあえず札幌駅前延伸を最優先するとしていた。札幌市は検討会議に対して具体的な路線延伸案(上記民間案の通りになったかどうかは不明)を提案する予定だった。しかし、札幌商工会議所や都心部の商業関係者からの慎重論が大きいことなどにより、2006年(平成18年)5月に当面の間は見送ることとした。その後、2010年(平成22年)に札幌市は「札幌市路面電車活用方針」を策定し、市電の経営基盤強化とまちづくりのために市電を活用すべきとした。延伸先の候補としては都心地区(札幌駅 - すすきの間)、創成川東・苗穂地区、桑園地区、山鼻南地区の4箇所が挙げられており、延伸による収支の推計や具体的なルートを2010年度中に決定するとしていた。2012年(平成24年)1月、西4丁目 - すすきの間の札幌駅前通上を複線で接続する方針が固まったと報道された。狸小路付近に狸小路停留場も新設される。また、既設区間とは異なり、軌道は歩道沿いに設置される予定である。2014年度着工/完成の予定で、同区間の路面電車はおよそ40年ぶりの復活となる。総事業費は約20億円。また、新型低床車両も2013年(平成25年)5月上旬から運行開始、2015年(平成27年)春までに計3車両導入される予定である。これらの延伸や新型車両導入を含めた「札幌市路面電車活用計画」が2012年(平成24年)4月に決定、公表された。西4丁目 - 狸小路 - すすきの間の延伸によるループ化開業は2015年(平成27年)春と発表されていたが、2014年7月25日に札幌市交通局が軌道工事の入札不調と品質管理上の問題で開業が遅れることが明らかにされ、2015年11月5日の市長記者会見にて、延伸開業の予定日が12月20日と発表された。2015年11月11日午前、試験走行を開始。初日は運転士や運行管理担当者の指導員16人が、サイドリザベーション方式のため、歩道に警備員を配置して歩行者や並走する自動車に配慮しながら、交代で運転。新設する狸小路停留場や市電専用信号の位置などを確認した。2015年12月20日、西4丁目 - すすきの間が開業しループ化、同時に狸小路停留場が開業した。一条線山鼻西線山鼻線都心線(西4丁目線)豊平線中島線苗穂線北5条線西20丁目線桑園線鉄北線最盛期の1958年(昭和33年)ごろの系統は以下の通り。1970年(昭和45年)8月時点の系統は以下の通り。気笛としては、JRの暖地向け電車のようなタイフォンではなく、トロンボーン笛が採用されており、現代日本の路面電車においては稀有な存在となっている。なお、旅客車には伊予鉄道松山市内線などと同旋律のミュージックホーンも搭載する。2014年6月現在。1950年代末から1970年代にかけては上が濃いベージュ(デザートクリーム)、下がややくすんだグリーン(モスグリーン)で、前面には白塗装またはステンレス板のヒゲ状の飾り帯を持ち、白ヒゲ車の場合は極細の帯が側面までつなげられ、帯の上縁は水平で下縁は前頭部で1 - 2ヶ所の段差が設けられており、車体側面で最も細くなっている。その後ワンマン改造車は、上下2色の間(窓下)に蛍光オレンジの帯が入れられた。これ以降の帯は一様の幅となった。1980年代の全車ワンマン化の後は帯色は白に変えられた。M101号はこの塗装のまま残された唯一の車両である。1980年代に新製された車両や、その頃に改修された車両は上がクリームホワイト、下が濃淡2種類の緑色だった。1990年代中頃から札幌市交通局のCI活動として市営バス(当時)とともに、床から下のみ白(ライトアイボリー)、他はエメラルドグリーンという現在の塗色に変更された。A1200形「ポラリス」では緑色は使われず、白と黒となった。1998年に札幌市屋外広告物条例の規制が緩和され、市電にもラッピング車両が認められた。2006年現在は現役車両の約半数を占めている。廃車車両の一部は地下鉄自衛隊前駅南側高架下にある札幌市交通資料館に保存・展示されている。なお、10形22号(旧29号)だけは静態保存にも関わらず車籍が残されている。このようなケースは全国的にも珍しい。2007年(平成19年)秋から2008年(平成20年)春にかけて、2種類のバッテリートラムが冬季運行試験を行っていた。いずれの車両も試験終了後は開発元に返却された。現在は全車両が南21条西16丁目の電車事業所内にある車輌センターに所属する。かつては市内各所に営業所や車庫が置かれていたが、路線縮小や合理化に伴う統廃合により廃止・集約された。廃止された営業所は以下の通り。廃止された車庫は以下の通り。札幌市交通局札幌市電の有効活用を唱える地元市民団体

出典:wikipedia

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