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逢初夢子

逢初 夢子(あいぞめ ゆめこ、1915年12月25日 - )は、日本の元女優。本名は遊佐 八千代(旧姓:横山)。愛称・おゆめ。1915年(大正4年)12月25日、福島県の猪苗代湖畔に生まれる。逢初が生後半年の時に公務員で父の横山次郎を亡くし、10歳の時には母のひで子も死去した。逢初は両親を失い、家財もすべて伯父に委ねて兄と共に上京し、浅草区栄久町精華尋常小学校に入学する。精美高等女学校を中退後の1930年7月、14歳で東京松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団)に入団。「メリー・ゴーランド」で初舞台を踏み、この舞台で演じた海賊役で絶賛を浴びた。1932年2月1日、当時の所長である城戸四郎に、新時代の女性映画のホープとして松竹蒲田に迎えられ、菊池寛原作、成瀬巳喜男監督の『蝕める春』で同じ松竹歌劇団で活躍していた後輩の水久保澄子と共に銀幕デビューを果たした。水久保が先に人気女優となるが、逢初はデビュー2年後の島津保次郎監督作品の『隣の八重ちゃん』に主演し、一躍人気女優となる。逢初はモダン派のホープとして多くの作品に主演し、モダン派のなかでは他を断然引き放すほどの存在であった。1935年、重宗務が独立プロダクションの東京発声映画製作所を設立するにあたり、逢初にも転機が訪れた。逢初はこの独立プロ創立に参加しないかと誘いを受け、松竹蒲田で腐っていた豊田四郎や名シナリオ作家として名高い八田尚之も設立に参加。積極的に活動し、『乾杯!学生諸君』(1935年)を皮切りに、数々の作品に出演。1938年には林芙美子原作の『泣蟲小僧』、真船豊原作の『太陽の子』といった秀作に主演し、逢初の全盛時代を築くことになった。フリーとなった後も逢初は活躍を続け、1942年、ベルリンオリンピック金メダリストの遊佐正憲と入籍した。娘に女優の遊佐ナオコがいる。戦後も活躍し、1947年に没落していく華族の一家の姿を描いた傑作『安城家の舞踏会』で、原節子、森雅之の姉役でも気の強い女性を好演している。1955年に映画界を引退したが、1965年、再び松竹映画の『霧の旗』に出演した。趣味は読書と散歩で、嗜好はコーヒー。1985年には『隣の八重ちゃん』で共演した高杉早苗と共に伊藤つかさからインタビューを受けている。しかしその後の消息は明らかになっておらず、存命であれば100歳近い年齢である。松竹蒲田時代日活=協同映画時代東京発声時代新興キネマ時代大映時代松竹大船時代

出典:wikipedia

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