ルイーズ・ウィンザー令嬢(The Lady Louise Windsor, 全名:Louise Alice Elizabeth Mary, 2003年11月8日 - )は、イギリスの王族。ウェセックス伯爵エドワードと伯爵夫人ソフィーの長女。サリーのフリムリー・パーク・ホスピタルで産まれた。エリザベス2世の孫にあたる。容貌は父親似と言われているが、曾祖母のエリザベス王太后に似ているとの声も聞かれる。出生時から斜視の症状があり、手術を受けて改善したものの現在でも視力は著しくないという。そのことから一時は両親の意向によってメディアへの露出を避けており、弟のセヴァーン子爵ジェームズの洗礼式にも出席しなかった。王位継承順位ではセヴァーン子爵ジェームズに次ぎ2015年5月5日現在11位である。ルイーズは、2003年11月8日(23時32分 GMT)にサリー、フリムリー・パーク・ホスピタルで未熟児として生まれた(出産予定日は12月)。彼女の母はサリーBagshot Parkの自宅から救急車で病院に搬送された。のため緊急帝王切開が行われ、母子共に深刻な血液損失を起こした。ウェセックス伯爵夫人は以前に子宮外妊娠を経験していた。突然の事態だったため、エドワード王子は誕生には立会えなかった。用心のため、ルイーズはロンドンのの新生児棟に移された。その間、回復するまで伯爵夫人はフリムリー・パーク・ホスピタルに留まった。ルイーズは11月23日に退院し、11月27日名前が発表された。彼女は2004年4月24日にウィンザー城の礼拝堂で洗礼を受けた。教父母は、サラ・チャット、アイヴァー・マウントバッテン、ルパート・エリオット、である。ルイーズは、イギリス連邦王国王位継承順位の第11位に位置している。彼女が生まれるまでは、彼女の従姉であるユージェニー・オブ・ヨーク王女の1990年の誕生以後、第10位までの順序は13年間変動がなかった。出生時には斜視を患っており、治療のため2006年1月に全身麻酔下で30分程の手術を受けたことが報道された。しかし2009年に、彼女の両親が治療を決断したと再び報道された。ルイーズは、ユージェニー王女も2001年から2003年まで通学女子生徒として通ったウィンザー城セント・ジョージ学校に通っている。1917年11月にジョージ5世により発表された勅許状によって、Prince(王子)・Princess(王女)の称号とHis/Her Royal Highness(殿下)の敬称は、国王の子、国王の息子の子、プリンス・オブ・ウェールズの長男の長男に与えられるものと定められている。これに従えばルイーズの称号はHer Royal Highness Princess Louise of Wessex(ルイーズ・オブ・ウェセックス王女殿下) となるはずだった。しかしルイーズの両親が結婚した際、その意向によりエリザベス2世女王が「ウェセックス伯爵夫妻の子供は、Prince(王子)・Princess(王女)の称号とHis/Her Royal Highness(殿下)の敬称を名乗らない」ことを宣言したため、ルイーズは伯爵の未婚の女子の名に冠する敬称の「Lady」をその名に付して呼ばれている。ただしこれは、彼女の王室の一員としての身分に影響を与えるものではない。また、このエリザベス女王の宣言がジョージ5世の勅許を覆す法的根拠に欠けるとする意見が一部法学者の間にはあるものの、王族内部の事例に関する限り、王室家長の女王の意向は法的根拠云々以前の問題だとする見方が大勢となっている。Her Royal Highnessの敬称もPrincessの称号も伴わないことから、イギリス王室の成員としては珍しく姓を称しているが、彼女はエリザベス2世女王とエディンバラ公爵フィリップ王配の子孫であるため、姓はウィンザーではなくマウントバッテン=ウィンザーと名乗るべきではないかとの指摘もある。2008年6月、カナダのマニトバ州にウェセックス伯爵が訪問したことを記念するため、枢密院におけるマニトバ州副総督は州北西部の湖をルイーズの名をとって命名した。
出典:wikipedia
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