小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。埼玉県生まれ。東京商科大学(現・一橋大学)1940年(昭和15年)卒業。企画院、商工省、通商産業省大臣官房審議官を経て、日本銀行政策委員。通産省同期にあたる人物として、熊谷典文、吉國一郎、国井真(防衛庁装備局長)、新井真一(通産省繊維局長、日本万国博覧会事務総長)など。退官後、日本精工代表取締役専務、芙蓉石油開発(株)代表取締役社長。この間、経済審議会臨時委員、産業構造審議会委員。その後、日本立地センター理事長、日本テクノマート理事長 上智大学、一橋大学、成蹊大学、名古屋大学講師、経済同友会幹事、社会経済生産性本部理事、近代化研究所所長、参議院議員。ヒューマノミックス研究会主宰、全国小島塾主宰、以上を歴任。叙勲従四位勲三等瑞宝章。エコノミストとして、高度成長の時代から、イギリスの経済学者、思想家 E・F・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』の紹介者として、近代的経済の限界を指摘、それに代わる経済学、ヒューマノミックスを提唱。農業と環境の重要性を訴える。文明の衰亡の原因は1.「自然環境の破壊」、2.「社会システムの機能不全」、3.「モラルと内的意欲の喪失」と指摘、現代社会はこの3つが同時に進行しているとする。それに対して、「人間復興の経済」、「ヒューマノミックス」、「モラルの再生」を提唱する。経済のみならず、文明の諸側面を総合的、哲学的に考察する一方、シューマッハーと同じように、実際家(政策立案者、国会議員)としての側面を持ち、地域共同体レベルから国政レベルに至るまで、全国津々浦々で活発に啓蒙、提言を行ない、多くの実践家(農家、実業家、公務員、政治家など)を育て、あるいは影響を与える。環境問題研究家、レスター・ブラウンの国内での紹介にも努めた。代表作は、『文明としての農業』、『「農」に還る』、『農業が輝く』、『人間復興の経済学』など。著作は87冊を数える。1968年(昭和43年)から2006年(平成18年)まで、小島塾(後期数年間は小島志塾と改名した)を主宰、東京小島塾では毎月、各界より識者を招き講演、討論会を開催、毎年1回、全国レベルで研修会を開き、「人間を中心とした経済学」(ヒューマノミックス)の可能性、農業、環境問題、モラルなど日本が直面する諸問題を、実践的、および哲学的視野の両面から研究を行なった。研究結果を実践に移し、政治、経済界に影響を及ぼす。熊本、鳥取、岡山、神奈川、岩手、北海道など、全国の各地域の地域振興への影響が顕著で、1996年には旭川における小島塾全国大会における議論から、メンバーらが中心となり北海道国際航空(Air Do)の設立に至った。経済、農業、学界、政界などに人材を輩出する。小島志塾は小島の高齢化に伴い2006年に活動を停止。現在はそれを引き継ぎ、小島志塾のメンバーによって小島志ネット(KJKネット)が運営され、小島の考えを継承、発展させ、哲学的な議論をベースにして、農業問題、環境問題、健康問題、教育問題や地域振興等々、激変する諸問題への対応策を提案、地域共同体レベルから国政レベルにわたる官界および民間の双方で活動を行っている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。