梱包爆薬(こんぽうばくやく)は、持ち運び易い量の爆薬を包み、信管をつけて使用する兵器。工兵資材として、障害物の破壊などに用いられる。時には敵の掩体壕や装甲車両に対する肉薄攻撃にも使用される。梱包爆薬は爆破解体に用いられるが、主に戦闘での使用を構想している。梱包される中身はダイナマイトや、もっと威力のあるC-4プラスチック爆薬のような材料からなり、発火装置つきの肩掛け鞄やメッセンジャーバッグに類似したものに収納して持ち運ぶ。この梱包爆薬という用語は、正規に開発されたものと、即席に作られた物との両方を示す言葉である。梱包爆薬は、1936年にフィンランドの司令官カーッロ・トゥルナによって開発された。第二次世界大戦では、工兵は、巨大で据え付けられた目標物、例えば鉄道・障害物・防塞・掩蔽壕・洞窟・橋梁などの爆破解体のために梱包爆薬を使用した。大戦中のアメリカ陸軍では、8個に分割された高性能爆薬と、2つの信管取り付け器具からなるM37解体機材をキャンバスバッグに収納し、ショルダーストラップによって運んだ。使用する際には、バッグを振り回して、目標に向けて投げ込んだ。この梱包爆薬は、一部または全部を目標に設置するか、開口部に放りこんで使用する。爆発させるには通常なら拉縄(りゅうじょう・信管を点火させる紐)を用い、対戦車戦闘時には、戦車の転輪や履帯などの装軌部分を狙うことで激しい損傷を与えることができる。対戦末期の日本軍は、アメリカ軍の新鋭戦車に対抗できる対戦車兵器が不足しており、兵士が梱包爆薬を背負って敵戦車に体当たりする自爆攻撃に頼らざるを得なかった。梱包爆薬は「布団爆弾」と通称され、九九式破甲爆雷や刺突爆雷とならんで対戦車戦闘によく使用された。日本兵1人が背負った20kgの爆薬は、十分に米軍のM4中戦車を破壊することができた。後のアメリカ軍では、M183解体爆薬機材にC-4爆薬9.1kgを収納した。これは、時限式信管で使用することができる。イラク戦争における第二次ファルージャ戦では、米軍は敵に占拠された家屋の一部屋ずつを歩兵で検索掃討するかわりに、M2 20ポンド戦闘用爆薬で家屋を爆破した。特殊部隊の任務では、特別な目標を破壊するべく改設計された梱包爆薬を使用することもある。
出典:wikipedia
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