真蔭流(しんかげりゅう)とは、幕末に幕臣の今泉八郎(号 柳定斎)が天神真楊流をもとに開いた柔術の流儀。第五代は菅野久師範である。現在は弟子の山田實師範が埼玉(鶴ヶ島市)で伝承している。今泉八郎の養父・今泉智明(号 柳雲斎)は、関口新心流、楠流拳法、天神真楊流、荒木流の4流の柔術を学んでいた。八郎は父より柔術を学び、後に天神真楊流の家元・磯又右衛門柳関斎源正足より柔術を学び、天神真楊流より真蔭流を開いた。今泉八郎は下谷区同朋町一番地に演武館と称する道場を開いていた。。第5代の菅野久師範は大正9年宮城県に生まれる。滝沢常三郎柳幹斎と戸張喜兵衛柳振斎に師事し免許を得て道統を継いだ。現在は菅野久師範から免許皆伝を受けた山田實師範が埼玉県で伝承している。源流の天神真楊流の技数は124手であったが、真蔭流では48手とコンパクトに纏め上げている。技そのものも、最初の段階では天神真楊流と似た技もあるが、極意の段階では独自の内容となっている。当身については、空手道の突き技のように腕を捻り込みながら当てる。これは柔術の当身としては珍しい技法である。稽古方法については、明治以降に広まった講道館柔道式と同質の乱取り法を伝えている。このため、明治期に隆盛した。初段居捕の居別絞は、天神真揚流の眞之位とほぼ同じ技である。また、三本目の襟絞は、天神真楊流の中段袖車と同じ技である。今泉八郎は明治39年2月2日に亡くなり、墓は東京都港区三田、「長運寺」にあります。
出典:wikipedia
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