内海 聡(うつみ さとる、1974年(昭和49年)12月9日 - )は、日本の内科医、漢方医。自ら「キチガイ医」と名乗り、医療だけでなく政治や社会の問題点に切り込んでいる。断薬のためのTokyo DD Clinicを立ち上げ、自らが理事長のNPO法人薬害研究センターに食事療法、栄養療法、東洋医学、量子力学を応用した治療法、ホメオパシー、アロマテラピー、発汗温熱療法などを導入し、反精神薬・薬害ネットワークという向精神薬に反対するネットワークも立ち上げている。意に反して親の強い要求で内科医となり、治らない医学の現実を突きつけられ東洋医学を学んだ。2009年2月から意気投合した笠陽一郎の「精神科セカンドオピニオン」にかかわる。2010年8月時点では西洋医学と東洋医学の融合を目指していたが、2011年11月には「精神医学など存在していい代物ではない」として「笠陽一郎とその一派、この稀代の詐欺師たち」と述べ、2013年5月には 『医学不要論』を出版した。日本東洋医学財団に賛同する医師として講演会を行っている。3.11以後に世の中がおかしいことと医療や食の問題は同じシステムであることを主張し、多数の本を出版して多くの講演を行うようになった。1974年兵庫県生まれ。親が内科医であったが、彼は文系で歴史が好きであったために跡継ぎをするつもりもなかった。親からの強い要求によって「不本意ながら」医学部に入学したが、研修時代を患者が詰めかけるような忙しい病院で過ごし、患者の訴えを聞き自分で考えることが重要であるとして、医学に熱心になった。2000年に筑波大学医学専門学群を卒業し、内科を専門とするようになった。彼が当初胡散臭さを抱いていた漢方が、劇的に効果を表した経験から、2004年には漢方を学ぼうと東京女子医科大学附属東洋医学研究所の研究員となる。翌年の2005年に東京警察病院消化器内科に勤務し、さらに翌年の2006年に牛久愛和総合病院内科・漢方科と、勤務医として過ごし、2006年に漢方が得意であったため牛久東洋医学クリニックを開業する。自著『精神疾患・発達障害に効く漢方薬』の冒頭では、自身について「私は地方のクリニックで診療するヤブ医者で、漢方の知識を少々もっているに過ぎない」とし、漢方薬をうまく活用して西洋医学と東洋医学を融合させることで、より多くの患者が救えると主張している。総合病院の漢方科に所属する内科医として、精神科や心療内科から回されてくる患者を診ているころから精神科に疑問をもっていたが、書店で2008年発刊の『精神科セカンドオピニオン』に出会い、誤診誤処方の疑問が解けていく感覚を感じ衝撃を受け、ウェブサイト「精神科セカンドオピニオン」では漢方薬についてのアドバイスをし、そして笠陽一郎からオピニオンそのものを引き継いだ「続・セカンドオピニオン」を開始することになったことを語っている。一方で、別のインタビューでは、薬漬けをなんとかせねばと思っていた中、インターネットで「精神科セカンドオピニオン」というサイトを知り、笠にメールして意気投合したためサイトにかかわるようになったことを述べ、サイトでボランティアのアドバイスを行いはじめたのは、2009年2月からである。2010年11月27日に「精神科セカンドオピニオン掲示板」は、内海への攻撃を契機として状況が一変し、笠陽一郎の意向により突然閉鎖された。2010年8月に発行された『精神疾患・発達障害に効く漢方薬』の「東洋医随想録」にて、内海は「ビタミン剤も同じである。含まれるビタミン剤自体に大きな違いがあるわけでもなく、ビタミンの濃度が高過ぎれば、これだって危険なものとなりかねない。高額なビタミン治療の餌食となっている精神科の患者は後を絶たない」と述べている。しかし後に述べるが、高濃度栄養療法を採用することになる。2011年4月には鍼灸も取り入れたり、また、薬を軽減する際に漢方薬を使うことが多いが、向精神薬を使う場合もかなりあることを述べている。それが同年11月には「この世に精神医学など存在していい代物ではない」として精神科医である笠を「笠陽一郎とその一派、この稀代の詐欺師たち」と述べるまでに至った。2012年4月10日の自由報道協会での記者会見は、内海と共に、サイエントロジー関連団体の市民の人権擁護の会の米田が登場し、『やや日刊カルト新聞』では「サイエントロジー記者会見を主催しちゃった」として批判され、カルト問題に詳しい弁護士からは、こういうものを排除できないと問題集団のプロパガンダに利用されるようになってしまうと指摘された。2012年4月に発刊された『大笑い!精神医学』の「おわりに」では、市民の人権擁護の会の米田らに「資料提供にてお世話に」なったことを謝辞している。この著書では、「精神科は存在自体が悪」、「結論をひと言でいえば、精神科は不要であると断言できる」などと述べるようになっている。そして同年12月の『精神科は今日も、やりたい放題』では「またサウナや岩盤浴を使って汗をかき脂肪を燃焼させて解毒する意識を持つことも大事です。なぜなら精神薬は脂溶性であり、皮下脂肪、内臓脂肪、何より脂質の塊である脳内に溶け込むからです」とある。現在はその理論を応用して、栄養療法と発汗温熱療法を組み合わせて、精神薬の減断薬に役立てている。2012年12月には、「精神薬の断薬を目指すためのクリニック」Tokyo DDC(drug-deprivation-support-clinic)を立ち上げることを宣言し、内容としては「保険医療機関として精神薬断薬、内科薬の整頓や減断薬に特化して治療するためのクリニック」であり、栄養学、東洋医学、薬物離脱学をミックスさせるとし、併設するNPO法人の「薬害研究センター」では、(ナルコノンの)ピュアリフィケーション・プログラムを導入するといった構想を紹介した。2013年3月に牛久東洋医学クリニックを閉院。2013年4月2日にTokyo DD Clinic開業、NPO法人薬害研究センターを設立した。「薬害研究センターの治療における主たるプログラム」として、「薬が脂溶性であることを考慮し、低温サウナによる薬物排出」を患者に実践させていることを明記しており、その根拠として「薬害研究センターでは、海外における精神薬離脱の方法を参照として、サプリメントによる高濃度栄養療法と、サウナによる発汗と脂肪燃焼法、食養プログラムが中心となります」と述べられている。2014年からは自費診療に転じ、薬の減断薬だけでなく難病、膠原病、アレルギーやアトピー、癌などの治療も行うようになっていった。2013年4月の『心の病に薬はいらない!』では、市民の人権擁護の会とかかわりがあり、ヘロイン、コカイン、大麻、覚醒剤などの違法ドラッグを中心とする薬物から離脱することを支援する組織であるナルコノンのシステムを参考にしていることや、前著に比べてサプリメントを高く評価するようになり、Tokyo DDClinicでもナルコノンでも用いられているサプリメントを使って、一定以上のビタミンやミネラルを必要とする高濃度栄養療法に言及している。また、ナルコノンのプログラムではサウナは5時間であり、カルシウムとマグネシウムときれいな油をとることを説明し、また、脂肪分解とともに何年も後に薬物が脳に影響を与えるという「薬物性フラッシュバック」を説明し、「残留薬物が再活性化すると、理由もなく過去の記憶が次々と蘇ってきたり、まさにトリップ状態に陥るのです」と説明している。船井メディアの月刊CDマガジンの『JUST』2014年3月号で特集記事が掲載された。現在は同クリニックとNPO法人薬害研究センターを運営する傍ら、(株)日本再生プロジェクトを新たに立ち上げ、通販ショップ「うつみんのセレクトショップ♪」、伊豆の研修施設「アマービレ」、メールマガジン「うつみんのメールマガジン~あの人に聞きたい業界の舞台裏と対策~」、HP「うつみんのセレクトしたけど通販出来ない商品たち♪」、動画による通信教育「学びTV」などを配信している。全国で講演を実施しているが、家族がハワイに移動したことをうけ、近年は講演回数が徐々に減っており、FB、ツイッター、インスタグラム、youtubeなどによる情報啓発を主として行っている。これに対し産婦人科医の宋美玄は、とコメントを寄せた。さらに乙武洋匡は「うちの親にも深く反省するよう、よく言っておきます(笑) 」と発言した。一方、三宅洋平は、「たまにおかしなことを言う、ぶっ飛んだ人だなーと表現者として思うときは僕もあるけれど、それって内海さんのキャラクターだと思うし、そのバイアス差っぴいて有益なことを医者としてたくさん発信していると思う」と述べ、炎上しているのは、批判する人の読解力がないか、情報が「歪曲」されていることが原因だと述べた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。