ロータス99T (Lotus 99T) は、チーム・ロータスが1987年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。設計はジェラール・ドゥカルージュ。ドライバーはアイルトン・セナと中嶋悟。1987年シーズン、ロータスはエンジンをルノーV6ターボから、ホンダV6ターボに変更し、セカンドドライバーには日本人初のF1レギュラードライバーとなる中嶋悟を迎えた。メインスポンサーは長年パートナーだったJPSからキャメルに代わり、ボディーはキャメルイエローをまとった。99Tにはの92以来となるアクティブサスペンションが搭載された。アクティブサスペンションは、速度や加速度の情報を元にコンピューターが油圧式アクチュエータを制御するシステムで、他チームに対して大きなアドバンテージになるはずであった。しかし、信頼性が不足しており、走行中に油圧がゼロになるとマシンが底突きしてコントロール不能に陥ったり、時折制御用コンピュータが暴走してサスペンションが全くストロークしなくなるなど、数多くのトラブルが発生した。結局シーズンを通してこのトラブルが完全に解決することはなく、ドライバーを悩ませ続けた。さらに、タイヤの負担軽減を目的として開発されたアクティブサスが、予選では逆に「タイヤが十分発熱せずグリップが不足する」方向へと影響し、結果として予選順位が伸び悩むこととなった。特にこの年がデビューとなった中嶋は、慣れないコースとともにアクティブサスに手こずり、予選で中段以降に沈むことも多かった。また当時の車載用コンピュータの演算能力では反応速度が十分に得られず、ドライバーからは「ワンテンポ遅れてサスペンションが動く」といったコメントもよく聞かれたという。マシンにラップトップPCを接続してサスペンションの設定を調節できるシステムだったが、チーム側に膨大なデータから最適なセッティングを見つけ出すノウハウが不足していた。平均速度が遅い市街地コースではアクティブサスペンションの反応速度の問題の影響が少なく、モナコGPとアメリカGP(デトロイト市街地コース)で、セナが2連勝を飾った。一方で空力が弱点で、シーズン途中にはサイドポンツーンをコンパクトにし、エンジン吸気用シュノーケルの位置や前後ウイングなど、空力面で大幅に改良を施したが、高速コースでは同じエンジンを搭載するウィリアムズ・FW11Bに大きく離される結果となった。このマシンは一部で「99Tb」もしくは「99TB」と呼称されているが、公式には1987年シーズンのロータスのマシンは常に「99T」となっている。中嶋のマシンにはFOCAとの契約によりシーズンを通じて車載カメラが搭載された。当時はまだ車載カメラに関するレギュレーションが未整備だったため、他の車に比べカメラ及びバッテリー等で数キロほど車重が重くなったほか、カメラ部分で空気の流れが乱されることによるダウンフォースへの悪影響もあり、中嶋にとって大きなハンデとなった99Tは合計6台製作された。99T/1はシーズン前半の中嶋用、99T/3はシーズン前半にセナのTカーとして使われた後、シーズン後半は中嶋用として使用された。セナはシーズンを通して99T/4をメインに使用した。また、比較用にノーマルサスペンション仕様車(99T/2)が用意されていたが、テスト初期に短期間使用されたのみで実戦投入はされていない。その後ホンダに送られ、日本国内で展示用車両として利用されている。99T/5と99T/6は、シーズン後半のTカーとして使用された。セナのドライブにより、モナコGPとアメリカGPで2勝を記録した。このアメリカGPでの勝利は、チーム・ロータスとして最後の勝利となった。また、イギリスGPでは、セナが3位、中嶋が4位に入賞し、1位のナイジェル・マンセルと2位のネルソン・ピケのウィリアムズ勢とともにホンダエンジンの1-2-3-4フィニッシュを成し遂げた。最終戦のオーストラリアGPでは、セナが2位でゴールしたものの、ブレーキダクトのサイズ違反により失格となった。
出典:wikipedia
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