LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

秋田弁の文法

秋田弁の文法(あきたべんのぶんぽう)では、秋田県で話される日本語の方言である秋田弁(方言学では秋田方言と呼ばれる)の文法について記述する。秋田方言の文法には、様々な特徴的な現象が見られる。秋田県内でも地域差があり、また周辺の県と連続する現象もある。以下では日本語の共通語を平仮名で、秋田方言を片仮名で表記し、共通語と適宜対照しながら記述する。秋田方言として不適格な表現や、過去に存在したと思われるが現存しない形式などには*を付して記す。他の語に付属して用いられる語は「-ドゴ」のように-を付けて表記し、併用される形式は「コレ(ヨリ/ヨッカ) マシダ」のように表記する。何かが存在しないことを示すのにはØを用いる。単独で文節を構成できる自立語のうち、動詞、形容詞、形容動詞など、活用をする品詞を用言という。秋田方言の用言の活用は、共通語に比べると単純化が進んでいる部分があり、特に形容詞はほとんど活用をしなくなっている。日本語の動詞の活用の種類は、平安時代には四段活用、上一段活用、上二段活用、下一段活用、下二段活用、カ行変格活用、サ行変格活用、ナ行変格活用、ラ行変格活用の九種類があった。現在の共通語では、四段活用が五段活用と呼ばれるようになり、下一段活用、ナ行変格活用、ラ行変格活用が五段活用に、上二段活用が上一段活用に、下二段活用が下一段活用に変化して、活用の種類は五段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用の五種類に減少している(現代語では上一段活用と下一段活用を一括して一段活用とすることもある)。秋田方言でも同じ統合が起こっているが、五段活用以外の活用が五段活用に近付く傾向が見られる。秋田方言の動詞の活用を表にして示すと以下のようになる。使用地域が限定されているものは括弧に入れて示す。秋田方言では終止形と連体形は動詞、形容詞、形容動詞のいずれにおいても全く差がないため、ここでは便宜上両者を合わせて「基本形」とする。また、意思を示すときに使われる形を「意向形」、連用形のうち五段動詞で音便が現れる形を「音便形」とする。五段活用の活用形は秋田県内で大きな差がなく、また共通語とも大きな差がない。意思を示す形のカゴ(ー)、トロ(ー)などの形も共通語の「書こう」、「取ろう」などとほぼ同じである。五段活用は「-テ」「-タ」が後続した場合に音便形を取る。音便形の形も共通語と同じく、語幹の末音節がカ行、ガ行のものはイ音便、サ行のものは原型、タ行、ラ行、ワ行のものは促音便、ナ行、マ行、バ行のものは撥音便を取る。ただしイ音便は母音単独音節のイがない大部分の地域ではエになる。鹿角地方と北秋田地方では、ワ行五段活用動詞のほとんどが規則的にラ行五段活用に変化している。例えば「買う」「しまう」「思う」「縫う」「習う」「違う」「貰う」などが「カル」「シマル」「オモル」「ヌル」「チカ゜ル」「モラル」などになる。ただし「会う」は「有る」と同音衝突を起こすため、「アル」にはなりにくい。「言う」はこの地域では「ヘル」になっている。これ以外の地域でも、「撓う」(しなう)は全県的に「シナル」になっている。ワ行五段動詞の「食う」は様々な音変化により独特な様相を呈している。基本形は長母音の短呼により「ク」と発音され、仮定形と命令形は「クエ」が連母音の融合により「ケ」となっている。さらに未然形は、「クワ」から母音脱落による合拗音化により高年層で「クヮ」となり、やや年代が下がると合拗音の衰退により「カ」となって、「クヮネァ」「カネァ」(食わない)となっている。一段活用では、命令形と意向形に特色がある。一段活用の命令形は共通語では「着ろ」「見ろ」「居ろ」「寝ろ」「起きろ」「止めろ」のようにオ段になるが、秋田方言では「キレ」「ミレ」「エレ」「ネレ」「オギレ」「ヤメレ」のようにエ段になる。これはほとんど全県で広く用いられているが、鹿角地方では「キロ」「ミロ」「エロ」「ネロ」「オギロ」「ヤメロ」のように共通語同様のオ段になる。また仙北地方や雄勝地方の県境に近い山間部では、命令形にエ段とオ段のものが並存している。隣接する青森県や岩手県、宮城県、山形県内陸部ではほとんどの地域で命令形にオ段が用いられており、それらの地域に連続するものとも考えられる。一段動詞で意思を表す形は、共通語では「着よう」「見よう」「居よう」「寝よう」「起きよう」「止めよう」のように「ヨー」の形式が使われるが、秋田方言では意向形は「キロ(ー)」「ミロ(ー)」「エロ(ー)」「ネロ(ー)」「オキロ(ー)」「ヤメロ(ー)」のように、ラ行五段動詞に類推した「ロ(ー)」の形が用いられる。一段活用は基本形と仮定形が元々ラ行五段動詞に似ており、さらに秋田方言では命令形と意向形が類推によりラ行五段活用のような形になっているため、全体としては共通語よりもかなりラ行五段活用に近付いているが、未然形、連用形、音便形は違うままであり、完全には五段化していない。例えば「見る」に対して「*ミラネァ」(見ない)、「*ミリテァ」(見たい)、「*ミッタ」(見た)のような形式は出現していない。カ行変格活用(カ変活用)では、未然形がコ、連用形がキ、基本形がクルになるのは共通語と同じである。仮定形は全県的に「コエ-バ」が用いられるが、鹿角地方では共通語と同じ「クレ-バ」が用いられ、男鹿市や秋田市など県中央部では「コエ-バ」と「ケ-バ」が併用される。命令形は「コエ」が普通であるが、母音融合を起こした「ケ」が用いられることもある。意向形は一段動詞への類推により生じた「クロ(ー)」や、「コヨー」から他の意向形への類推により生じた「コロ(ー)」が用いられる。カ変活用は全体としては変格活用としての特色をよく保っており、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県などに見られる未然形の「キ」や基本形の「キル」のような一段化した形は用いられない。一方で仮定形、命令形の「ケ」は五段活用に近付いた形であり、秋田方言のカ変活用には弱いながらも五段活用に近付こうとする動きがあると言える。サ行変格活用(サ変活用)では、未然形が「サ」になっているのが特徴的である。これはほぼ全県的に見られるが、仙北地方には未然形に「シ」の形も現れ、「シネァ」(しない)「シラエル」(される)のような形が見られる。また、基本形の「シル」が「シ」となることや、仮定形、命令形の「シレ」が「シェ」や「ヘ」と発音されることもある。これはレの子音が脱落した「シエ」という形を経たものである。意向形には「シロ(ー)」の他に「ショ」「ソ」という形もある。なお、共通語化してシとスを区別する意識のある世代では、基本形が「スル」または「ス」、仮定形、命令形が「スレ」、意向形が「スロ(ー)」となることもある。全体としては、「サ」「シ」「シ」「シェ」「シェ」となる五段活用化への動きと、「シ」「シ」「シル」「シレ」「シレ」となる一段活用化への動きが絡み合って、かなり複雑な様相を呈している。県中央部では「サ」「シ」「シル」「シレ」「シレ」のように混合した状態である。秋田県内では、サ変活用が五段活用に統合している地域としていない地域が混在している。それぞれの活用形の機能を述べる。未然形は独立して用いられることはなく、必ず接辞を付けて用いられる。最もよく使われるのは否定の助動詞「-ネァ」であり、これは共通語の「-ない」に対応する。また、共通語の「-せる」「-させる」に対応する使役の助動詞「-シェル」「-サシェル」も未然形に接続する。共通語では「-せる」は五段動詞とサ変動詞に、「-させる」は一段動詞とカ変動詞に接続するが、秋田方言の「-シェル」「-サシェル」にも同様の使い分けがある。ただし一段動詞とカ変動詞に接続する場合に、「ネラシェル」(寝させる)や「コラシェル」(来させる)のように「-ラシェル」の形が現れることがある。全ての動詞に「-シェル」が接続すると考えれば、一段活用やカ変活用の未然形に「ネラ-」「コラ-」のような五段化した形があるとみなすこともできる。受動や可能を表す助動詞「-レル」「-ラレル」も未然形に接続する。これも五段動詞とサ変動詞には「-レル」、一段動詞とカ変動詞には「-ラレル」が接続して、共通語の「-れる」「-られる」と対応する。県北部や内陸地方の一部で用いられる自発の助動詞「-サル」「-ラサル」も未然形接続であり、「-サル」が五段動詞とサ変動詞に、「-ラサル」が一段動詞とカ変動詞に接続する。「-サル」「-ラサル」は五段活用をする。鹿角地方では、「-バ」が未然形に接続した場合には「これからもしするのなら」という意味の仮定条件となり、仮定形接続は「もう既にしたのなら」という意味の確定条件となって使い分けがある。これは文語の未然形と已然形の区別にほぼ相当する。この区別は岩手県などの旧南部藩地域の方言に残っているものである。この場合の接続の形は、五段動詞は「カガバ」(書けば)、一段動詞は「ミラバ」(見れば)、カ変動詞は「クラバ」(来れば)、サ変動詞は「シラバ」(すれば)のようになる。他地域でも、諺には「ガッコ ホメラバ カガ ホメレ」(香の物を誉めるなら主婦を誉めろ)のような形が見られる。連用形は、「山に行き、山菜を取る。」のように文を一旦切って次に繋げる「中止法」で用いられたり、「山菜取り」のように動詞から名詞を作るときに使われたりする。また、共通語の「-たい」に相当し願望を表す「-テァ」(「-デァ」)も連用形に接続する。基本形は、「手紙を書く。」のように文を言い切る形で使われる終止形としての用法や、「手紙を書く人」のように名詞を修飾する連体形としての用法がある。また、多くの地域で推量を表す「-ベ」や、由利地方沿岸部で推量を表す「-デロ」、由利地方内陸部で推量を表す「-ガロ」も基本形に接続する。さらに、共通語の「-ます」が連用形に接続するのと異なり、秋田方言でそれに近い機能を持つ聞き手尊敬の「-シ」は基本形に接続する。また、多くの地方では、意思を表す場合にも意向形を使わず、単に基本形で表すことが多い。基本形に終助詞の「ハ」を付けた「エグハ」(行こう)のような形や、それが融合した「エガァ」のような形で意思を表すこともあり、基本形に「-ベ」を付けて表すこともある。基本的には全ての動詞がウ段で終わるが、サ行五段およびタ行五段は、スおよびズが秋田方言では欠けているためにシ、ジで終わる。仮定形は、独立して用いられることはなく、必ず「-バ」を伴って用いられる。鹿角地方では前述のように、「-バ」は未然形接続と仮定形接続の場合とを、それぞれ仮定条件と確定条件の意味で使い分けるが、他の地方では共通語と同様に、仮定形に「-バ」を接続させることで仮定条件を表す。命令形は、秋田方言では鹿角地方など一部の地域を除いて、全ての動詞がエ段で終わる点に特色がある。共通語と同じように独立して用い、命令を表す。意向形は、共通語の「書こう」「見よう」のように意向・勧誘を表す形である。仙北地方、平鹿地方、雄勝地方、由利地方など県南部方言では比較的多く用いられるが、それ以外では意思を基本形で表すことが多い。また南部方言でも意思を基本形で表すこともある。由利地方には反語の意味を表す「-バヤ」があるが、これは意向形接続である。共通語の「書こう」「見よう」のように「カゴー」「ミロー」などの長音として発音されることもあるが、短く「カゴ」「ミロ」と発音されることもしばしばある。接続助詞の「-テ」(「-デ」)、助動詞の「-タ」(「-ダ」)が後続する場合、サ行五段以外の五段動詞は音便形を取る。五段動詞の音便の形や、五段動詞以外では連用形と同じである。共通語の形容詞は、全ての語が語尾にイを取るが、秋田方言の形容詞は、イ語尾と語幹が母音融合を起こし、その形が語幹となってそこに語尾が付いていく点でかなりの特色があり、形容詞が活用をしないということができる。秋田方言の形容詞の活用は以下のようになる。形容詞の活用形には動詞のような意向形、音便形はなく、また命令形も欠く。以上のように、どのような語が付いても、形容詞は基本形相当の形のまま変化しない。上の表では共通語での該当形を基準にして後続する接辞を各活用形に割り振ったが、秋田方言の形容詞は語形変化しないから、接辞がどの活用形に接続するかを形態から見分けることはできない。形容詞の活用形には基本形しかなく、全ての接辞は基本形に接続するとみなすこともできる。なお、共通語と同様、文語のク活用とシク活用の区別はなく、活用の種類は一種類のみである。なお、融合前の語幹がウやオで終わっている場合、基本形で「カルエ」(軽い)や「シロエ」(白い)のように語尾が融合しない形が見られることがある。内陸では非融合形が用いられ、海岸部では融合形が用いられる傾向がある。秋田方言では基本形しかないと考えることもできるが、ここでは便宜的に共通語の各活用形に相当する秋田方言の形を「高い」を例にして説明する。共通語での未然形は「高かろう」という形に現れるが、秋田方言ではそれに相当する一般的な形は「タゲァベ」であり、基本形と同じ形に接続する。動詞では「-ベ」は基本形接続であるから、形容詞の場合も基本形接続ともみなせる。同様の意味で、秋田県一般に「タゲァガベ」という形も用いられるが、これは「*タゲァグアルベ」の縮約である。また、由利地方沿岸部では「タゲァデロ」、由利地方内陸部では「タゲァガロ」、鹿角地方では「タゲァゴッタ」のような形が使われる。「タゲァデロ」は「高いであろう」(共通語の口語では「高いだろう」)に相当する「*タゲァデアロー」の形が縮約してできたものであり、「タゲァガロ」は、共通語の「高かろう」(「高くあろう」の縮約)に相当する「タガガロ」(「*タガグアロー」の縮約)が基本形と同じ形に接続するようになったものである。また「タゲァゴッタ」は「高いことだ」にあたる「*タゲァゴドダ」に由来する。共通語での連用形は「高かった」「高く」「高くて」「高くても」のような形に現れる。秋田方言では、「高かった」に相当する形式は「タゲァガッタ」であり、やはり基本形と同じ形に接続する。回想を示す形として「タゲァケ」「タゲァガケ」がある。また、「高く」に相当する形式は「タゲァグ」である。「高くて」に相当する形式は「タゲァグテ」「タゲァクテ」の他に、「タゲァシテ」やその変異形の「タゲァフテ」がある。稀な形に「タゲァグアテ」がある。「高くても」に相当する形は「タゲァテモ」「タゲァクテモ」「タゲァクタテ(モ)」「タゲァタテ(モ)」「タゲァシテ(モ)」などがある。「タゲァグ」「タゲァグテ」「タゲァクテモ」などに見られる「ク」「グ」は共通語の「高く」「高くて」「高くても」に見られる「く」と同じ語尾にも見えるが、これは「タゲァケ」「タゲァシテ」「タゲァタテ」などの形があるように必ずしも必須ではない。また、基本形と同じ形に接続することから独立した用法を発達させている。地域によっては「アルゲルグナッタ」で「歩けるようになった」という意味を表すように、動詞の基本形に接続する用法があり、「グ」は完全に独立した接辞となっている。また後述するように「グ」は擬音語・擬態語から派生した形容詞にも接続する。県南部の一部では、形容詞の過去形を示す語尾「-ガッタ」が動詞や形容動詞に接続した「エダガッタ」(居た)、「シジガダガッタ」(静かだった)のような形もある。共通語での基本形にあたる形には「鳥海山は高い。」のような終止形としての用法と、「鳥海山は高い山だ。」のように名詞を修飾する連体形としての用法がある。秋田方言でもこの用法は同じである。共通語では基本形は全ての形容詞が語尾にイを持つが、秋田方言ではこれが語幹と融合しており、共通語の拍数よりも秋田方言の音節数が一音節少なくなっている。形容詞に接続する接辞は全て基本形と同じ形に接続するようになっており、 秋田方言の形容詞の大きな特色となっている。共通語の「高いのは」に相当する形として、「タゲァノァ」「タゲァナ」がある。これは「タゲァノハ」のように終助詞の「-ハ」が融合した形である。他に「高い奴」に相当する「タゲァヤジ」がある。共通語での仮定形は、「高ければ」のように語尾「けれ」を取るが、秋田方言では「タゲァバ」のように基本形と同じ形に直接「-バ」が接続する。また、「タゲァケァ」「タゲァガラ」が用いられることもある。「タゲァケァ」は「高いければ」にあたる「*タゲァケレバ」に由来する形である。「タゲァガラ」は理由表現の「-ガラ」が接続したように思われがちだが、由来は全く異なり、「高いくあれば」にあたる形が縮約したものである。秋田市周辺で使われる「ンダガラ」(そうだよ)は、形容詞で成立した「-ガラ」が形容詞以外にも接続するようになった例であり、全体としては「*ンダクアルハ」の縮約である。秋田方言には、擬音語・擬態語からかなり生産的に形容詞を派生することができる語尾「-ジ」「-デァ」「-デ」がある。これは「トユウ」(と言う)に由来するものと考えられる。「-ジ」「-デァ」「-デ」が基本形語尾となり、形容詞と同じように語尾が付いて様々な意味を表す。例えば「グラグラ」という擬態語から「グラグラジ」という形容詞が派生し、「グラグラジグ」(ぐらぐらに)、「グラグラジグナル」(ぐらぐらになる)、「グラグラジグネァ」(ぐらぐらではない)、「グラグラジクテ」(ぐらぐらで)、「グラグラジベ」(ぐらぐらだろう)、「グラグラジガッタ」(ぐらぐらだった)、「グラグラジドモ」(ぐらぐらだけれども)、「グラグラジバ」(ぐらぐらならば)のように用いることができる。語尾の「-ジ」「-デァ」「-デ」の形には地域差があり、「-デァ」「-デ」は主に沿岸部で、「-ジ」は主に内陸部で用いられる傾向がある。ただし完全に沿岸と内陸に二分されるわけでもなく、例えば平鹿地方や雄勝地方では「-デァ」「-デ」もかなり見られる。形容動詞の活用形は以下のようになる。共通語では未然形は「静かだろう」のように推量の場合に「だろ」の形で現れるが、秋田方言では推量を「シジガダベ」のように基本形と同じ形で表すので、未然形はないとみなすことができる。由利地方の推量の「-デロ」「-ガロ」も基本形と同じ形に接続する。連用形は用言に接続する狭義の「連用形」と、共通語の「静かで」にあたる「テ形」、「静かだっ-た」にあたる「タ形」に分けることもできる。狭義の連用形の用法は共通語と同じである。「テ形」の用法で共通語と異なるのは、否定の「ネァ」が接続する場合である。共通語での形容動詞の否定は「静かではない」と「は」を挟み、口語ではそれが縮約した「静かじゃない」を用いることが多いが、秋田方言ではネァが直接接続して「シジガデネァ」のようになる。タ形は共通語の口語では「静かだった」が普通で、その一段階前の「静かであった」は文章語だが、秋田方言では県北部から中央部にかけては「シジガデアッタ」となり、県南部では「シジガダッタ」を用いる傾向がある。共通語では、形容動詞に限って終止形と連体形の区別があり、「この森は静かだ。」「静かな森」のように終止形は「だ」、連体形は「な」となる。一方、秋田方言では名詞を修飾する場合にも終止する場合と同じく「-ダ」を用いることに特徴がある。例えば「静かな森」にあたる言い方は「シジガダモリ」となる。これに関連して、「大きな」「小さな」「おかしな」などの連体詞も、秋田方言では「オッキダ モリ」(大きな森)のように「-ダ」で終わる。ただし、県南部では、形容動詞の連体形や連体詞の語尾として「-ナ」が用いられる傾向がある。仮定形は「-バ」が接続する形であり、「バ形」とも呼ばれる。共通語では「静かならば」「静かなら」のように「-なら」の形を取るが、秋田方言では「シジガダバ」のように「-ダバ」となる。ただし、県南部では「-ナバ」の形も用いられる。「-ダラ」「-ナラ」の形もある。活用する助動詞としては以下のものがある。「形容詞型」のものは語形変化しないため、助詞とみなすこともできる。否定の助動詞「-ネァ」はほぼ形容詞と同じ活用をするが、「カガネァデ」のように「-ネァデ」という形を持つことが形容詞と異なる。これは、共通語でも「書かないで」のように「-ないで」という形を持つのと同様である。断定の助動詞「-ダ」は、形容動詞とかなり似た活用をするが、「-ニ」の形は持っていない。形容動詞と同様に連体形でも「-ダ」の形を取り、「アニダヒド」(兄である人)のように名詞を修飾する。単独で文節を構成できる自立語のうち、活用がない名詞、副詞、連体詞、接続詞、感動詞などの品詞を体言という。名詞には固有名詞、普通名詞、代名詞、形式名詞などの種類がある。秋田方言の名詞の働きは共通語と同じである。秋田方言の人称代名詞の体系は以下のようになる。一人称は、共通語では男性が「俺」、女性が「私」(わたし)であるのが普通だが、秋田方言では男女とも「オレ」が用いられる。「オレ」はしばしば「オエ」とも発音される。ただし現在では共通語化により、特に中年層以下の女性は「ワダシ」を用いることも多い。二人称は、一般に使われるのは共通語の「お前」に対応する「オメァ」であり、対等な相手を中心に聞き手との上下関係に関わりなく用いられる。内陸南部では「ショー」が用いられ、対等または目下の相手への親愛を込めた呼びかけに使われる。同じ地域では「ヤー」「ヨー」も使われる。やや敬意を含んだ二人称として、「あなた」「あんた」に対応する「アンダ」が用いられるが、鹿角地方では「お前さん」に対応する「オメァサン」が代わりに用いられる。目下には「ンカ゜」が用いられるが、これは共通語の「貴様」のような軽卑的なニュアンスがある。仙北地方、平鹿地方、雄勝地方では同じ用法で「ンナ」も用いる。他に、二人称代名詞に「ソナダ」「テモド」を使う地域がある。三人称は指示代名詞の「コレ」「ソレ」「アレ」や、そこから子音が脱落した「コエ」「ソエ」「アエ」を用いたり、共通語の「こいつ」「そいつ」「あいつ」に対応する「コエジ」「ソエジ」「アエジ」を用いる。不定称は、「ダレ」または子音が脱落した「ダエ」を用いたり、「どいつ」に相当する「ドエジ」を用いる。また丁寧な形として「どなた」に対応する「ドナダ」がある。また、軽卑的なニュアンスを伴う不定称として、「誰奴」に対応する「デァジ」や、「どの奴」に対応する「ドノヤジ」も存在する。他に、共通語の「自分」にあたる再帰代名詞(反照代名詞、反射代名詞)として、鹿角地方、北秋田地方、由利地方でわずかながら「ワ」が用いられる。なお、「ワ」は隣接する青森県では普通の一人称代名詞として用いられ、用法に差がある。人称代名詞の複数形を作る接辞としては、複数辞の「-ド」「-ダ」「-ダジ」「-カ゜ダ」が用いられる。秋田方言の指示代名詞の体系は以下のようになる。事物を表す系列は、「コレ」「ソレ」「アレ」「ドレ」で共通語と同じである。ただし子音が脱落した「コエ」「ソエ」「アエ」「ドエ」も用いられる。「コレ」「ソレ」「アレ」は三人称代名詞にも用いられる。場所を表す系列は「コゴ」「ソゴ」「アソゴ」「ドゴ」で共通語の「ここ」「そこ」「あそこ」「どこ」に対応する。「アソゴ」は促音化して「アッコ」となることもある。「コゴ」「ソゴ」「ドゴ」は、方向などを表す助詞の「サ」が後続した場合に「コサ」「ソサ」「ドサ」という形になることがあるが、「アソゴ」は「アッコサ」にはなるものの「*アサ」とはならない。方向を表す系列は「コッチ」「ソッチ」「アッチ」「ドッチ」であり共通語と同様である。方向などを表す助詞の「サ」が後続した場合に、融合して「コッチャ」「ソッチャ」「アッチャ」「ドッチャ」となる場合がある。人称を表す系列は「コエジ」「ソエジ」「アエジ」「ドエジ」で、共通語の「こいつ」「そいつ」「あいつ」「どいつ」に対応する。三人称代名詞として使われる。連体詞の系列には、共通語の連体詞の系列にも対応する「コノ」「ソノ」「アノ」「ドノ」の他に、共通語では形容動詞の系列である「こんな」「そんな」「あんな」「どんな」に対応する「コンタ」「ソンタ」「アンタ」「ドンタ」がある。また、不定称には「ドンタ」の他に「ナンタ」がある。「-ンタ」の系列の語尾としては他に様々なものが用いられている。「-ンタラ」は県北部、中央部で、「-(ン)タダ」は県南部で用いられる傾向が強い。「-ンチクタ」はほぼ全県的に用いられるが、軽卑的なニュアンスがある。男鹿周辺では「-クタ」「-ヤ」も用いられる。県南部では、中称で「ソンタ」の他に「シタ」「シタダ」などが用いられることがある。副詞の系列には、共通語と同じ「コー」「ソー」「アー」「ドー」の他に、不定称で「ナント」が用いられる。また、連体詞の「-ンタ」の系列に「ニ」を付けて副詞化した「コンタニ」「ソンタニ」「アンタニ」「ドンタニ」も用いられる。不定称には「ナンタニ」もある。形式名詞とは、元々は実質的な意味を持って用いられていた名詞が、付属語のように用いられるようになったものである。秋田方言は形式名詞による表現が多様である。「事」(こと)に由来するものとしては、鹿角地方で推量として用いられる「-ゴッタ」がある。これは「-ゴドダ」(事だ)に由来し、動詞の基本形に接続する。また、仮定接辞として全県的に用いられる「-ゴッタラ」「-ゴッタバ」は「-ゴドダラ」「-ゴドダバ」に由来する。また、人を対象とした格助詞的に用いられる「-ドゴ」は、「-ゴド」が音位転倒を起こしたものである。「物」(もの)は、情報を提示する終助詞として「アッコサ オエノ エ アルモノ。」(あそこに俺の家があるよ。)のように用いられる。語り口を柔らかにする機能もある。これが推量を表す「-ベ」に後接した「-ベモノ」や、それが音脱落や融合を起こした「-ベオン」「-ベオ」「-ビョン」が由利地方を除くほぼ県全域で推量辞として用いられる。伝聞に、「トユウモノ」に由来する「-ジモノ」「-デモノ」がある。鹿角地方では、共通語の「-のだ」「-のか」に現れる準体助詞の「-の-」にあたる表現に、「-モノ」に由来する「-オン」を用いる。「奴」(やつ)が県北部を中心に広く、共通語の準体助詞「-の-」に相当するものとして用いられる。基本の形は「ヤジ」だが、地域による変異形が非常に多い。「-のは」の場合には「-ヤジ-」「-アジ-」「-エジ-」「-ジ-」が、「-のか」の場合には「-ヤジダ-」「-アジダ-」「-エジダ-」「-ヤッタ-」「-アッタ」「-アンダ」「-ジダ」が、「-のだ」の場合には「-ヤジダ」「-アジダ」「-エジダ」「-ヤッタ」「-アッタ」「-アンダ」「-ジダ」が、「-のでは-」の場合には「-ヤジデ-」「-アジデ-」「-エジデ-」「-ヤッテ-」「-アッテ-」「-アンデ-」「-ジデ-」が用いられる。「-エジ-」系は県南地方の一部で、「-ジ」系は南秋田地方の一部で用いられる。「-のは」の場合の「-ヤジ」は由利地方、平鹿地方、雄勝地方を除く広い地方で用いられ、「-アジ」は山本地方と南秋田地方で用いられる。また、「-のか」「-のだ」「-のでは」の場合に促音を含む語形を用いるのは主に北秋田地方や山本地方で、撥音を含む語形を用いるのは主に南秋田地方、河辺地方、由利地方である。実際の発話中ではさらに直前の動詞などとの縮約が起こることがある。共通語の準体助詞「-の-」に相当するものとして、主に県南部では「ドサ エグナダガ」(どこへ行くのか)のように「-ナ-」が用いられる。さらに、「アノ ナ ヨゴシテケレ」(あのもの(あれ)を寄越してくれ)のように、「-の-」と置き換えられない形式名詞としての用法もある。接続詞とは、共通語の「だから」「けれども」「そして」「それでは」など、文と文などの関係を表す品詞のことを言う。接続の仕方により分類される。順接の接続詞は、文脈を変えることなく文を繋ぐ。共通語では、前の文脈から導かれる当然の結果として後の文脈を導く原因理由の接続詞として「だから」「それで」などがあり、前の文脈からの時間的なつながりを表す継起関係の接続詞として「それから」「すると」「そうしたら」「それでは」「では」などが、前の文脈を条件として次の文脈を導く仮定条件の接続詞として「それなら」などがある。秋田方言では、「だから」「それで」などに相当する原因理由の接続詞には、「-ガラ」が後続する「シタガラ」「ンダガラ」と、「-ハンテ」に由来するものが後続した「シタンテ」「ンダンテ」がある。また、由利地方南部では、「-サカイ」に由来するものが後続した「ンダサゲ」「ンダハゲ」が用いられる。時間的な継起関係を表す接続詞には、「シタバ」「シタッキャ」「シタッケ」が用いられる。このうち、「シタバ」は全県的に用いられ、「シタッキャ」「シタッケ」は県北部を中心に用いられる。仮定条件の接続詞としては、「シタラ」が用いられる。共通語の「しかし」「けれども」にあたる逆接の接続詞には「-ドモ」が後続する「シタドモ」「ンダドモ」や、「-タッテ」が後続する「シタッテ」「シタタッテ」「ンダタッテ」が全県的に用いられる。また、県北部では、「-バッテ」が後続する「シタバッテ」「ンダバッテ」が用いられる。共通語の「そうして」「そして」にあたる並列関係を表す接続詞には「シテ」が用いられる。話題の転換を表す接続詞には、共通語では「では」「じゃあ」が用いられるが、秋田方言では「シェバ」が用いられる。「セバ」「ヘバ」が用いられることもある。また、これを共通語的に置き換えた「そうすれば」が転換の接続詞として用いられることがある。共通語の「そうすれば」は前の文脈を受けた仮定条件を表す用法しかなく、転換の接続詞として「そうすれば」を用いることは他地方の人には奇異に感じられることが多いが、秋田県では共通語的場面でも転換の接続詞として多く用いられ、話者は共通語にない用法であることに気付いていないことが多い。接辞とは、語の前や後ろに付いて、派生語を作ったり語の意味や品詞を変えたりする形態素のことを言う。秋田方言に特徴的なのは、指小辞の「-コ」を多用することである。秋田方言の「-コ」は、「小」「子」に由来するもので、名詞の末尾に付いて、そのものが小さいものであることや、親しみのあるものであることを表す。例えば「チャワンコ アラッテケレ」(茶碗を洗ってくれ)や「アッコノ カワコサ エッテ オヨエダ」(あそこの小川に行って泳いだ)のように用いられる。必ずしも物理的に小さいものにだけ用いるわけではない。例えば「器量コ」のように抽象名詞に付くこともあるし、「山コ」のようにかなり大きいものにも付くことができる。「ジェンコ」(銭コ)は些細な金額の小銭の事を指す。また、語り手の口調を丁寧なものにする効果もあり、些細なものとして謙遜したり軽侮したりする場合に用いることもある。丁寧さを示すために用いられる場合にもやはり指小辞としての性質はある程度残っており、「雨コ」と言えば小雨を指すことが多く、土砂降りの雨には使えない。しかしながら、「オッキダ イシコ」(大きな石)のように「オッキダ」(大きな)とともに用いる用例も認められる。指小辞の「-コ」は必ず名詞の後ろに付くが、独立した形態素として意識されているために原則として有声化(濁音化)しない。例えば「雪コ」はユギコと発音される。「-ッコ」のように促音が入ることもある。ただし、語源意識が失われた場合は濁音化することがある。例えば、「牛」を表す「ベゴ」は、秋田方言で牛の鳴き声を表す擬音語の「ベー」(共通語の「モー」にあたる)に「-コ」が付いたものだが、現在ではそのような成り立ちがあまり意識されなくなっているために有声化するようになっており、さらに指小辞が付いた「ベゴコ」「ベゴッコ」という語形も出現している。名詞に付いて複数形を作る複数辞として、秋田県では「-ド」「-ダ」「-ダジ」「-カ゜ダ」が用いられる。このうち「-ド」が用いられるのは県北部の鹿角地方、北秋田地方、山本地方に限られる。「-ダ」は中央部と県南部の他に山本地方沿岸部でも用いられ、「-ダジ」は県南部で用いられる。「-カ゜ダ」は主に県中央部で用いられる。「-カ゜ダ」には共通語の「-がた」が持つような敬意は特にない。日本語の助詞には格を示す格助詞、複数のものを並立させる並立助詞、他の語に付いて意味を添える係助詞、体言や副詞に付いて副詞的に働く副助詞、文や句の末尾に付いて意味を付け加える終助詞、文節の末尾に付いて語調を整えたりする間投助詞、文と文を接続する接続助詞などがある。並立助詞を格助詞に、係助詞を副助詞に、間投助詞を終助詞に含めることもある。共通語の格助詞には「-が」「-で」「-と」「-に」「-の」「-へ」「-を」「-から」「-まで」「-より」などがある。動作の主体を表す格助詞には、共通語では「-が」が用いられる一方で、口語では省略されることも多い。秋田方言では「エヌØ エル」(犬がいる)のように無助詞が普通で、「-カ゜」をほとんど用いない。現在では共通語化が進んで「-カ゜」も用いられるようになりつつあるが、かなり改まった場面でも「-カ゜」を用いないのが本来の用法である。これは「アメØ フッテキタ」(雨が降ってきた)のような動作の主体を表す表現、「カジェØ チエ」(風が強い)のような状態の主体を表す表現、「コレØ オメァノ エダガ?」(これがお前の家か?)のような一致認定を受ける主体を表す表現のいずれでもそうである。また、間投助詞の「ハ」が「カサァ ボゴエダ」(傘が壊れた)や「アメァ フッタ」(雨が降った)のように直前の名詞と融合し、共通語の「-が」に相当する主格の格表示の機能を担うことがある。連体修飾節の中の主体を表す場合に、共通語では「子供の鳴く声がする」「雨の降る日が好きだ」のように「の」を用いる場合がある。これと同じ用法は秋田方言にもある。しかしこの場合も、秋田方言では「ワラシØ ナグ コエØ シル」「アメØ フルフィØ シギダ」のように無助詞であることが多い。動作の対象を表す場合には、共通語では「酒を飲んだ」のように「-を」を用いる。また、感情や知覚の対象を表す場合には、「お前が好きだ」「海が見える」のように「-が」を用いる。このような場合にも秋田方言では対象を表す助詞を用いないのが普通であり、「サゲØ ノンダ」「オメァØ スギダ」「ウミØ メル」のように言う。「-オ」類は鹿角地方や北秋田地方北部などに僅かに見られるに過ぎない。動作の対象が有情物(人または動物)である場合に限って、特に対象となる名詞句を取り立てて「-ドゴ」という助詞を用いることがある。例えば「シェンシェーØ タロードゴ ゴシャエダ」(先生が太郎を叱った)や「オレØ オメァドゴ スギダ」(俺はお前が好きだ)のように用いられる。一方、対象が無情物(非生物や植物)の場合には「-ドゴ」は用いられない。例えば「石を蹴った」は「イシØ ケッタ」や「イシコ ケッタ」であって「*イシドゴ ケッタ」はやや不適格であり、「海が見える」を「*ウミドゴ メル」のように言うことはない。「-ドゴ」は「所」と関係すると考えられがちだが、実際には「-ゴド」(事)が音位転倒を起こしたものである。対象が有情物の場合に使用が制限されるという性質は、共通語の「-のこと」に通じる。また、「-ドゴ」が対象格助詞として用いられている秋田県、山形県沿岸部、山形県内陸南部、宮城県北部、福島県北西部の周辺部では、青森県南西部、新潟県中北部、福島県南東部、栃木県、茨城県で対象格助詞として「-ゴド」が用いられ、宮城県北部、福島県北西部では「-ノゴト」も用いられている。現在では、「-ドゴ」は対象を示す格助詞としての文法化が進んでおり、対象が有情物の場合のみという使用制限は強く意識されなくなってきている。特に対象物に対する物理的働きかけが強い場合、世代が下がるにつれて「イシドゴ ケッタ」のような表現も違和感なく受け入れられるようになっている。「-ドゴ」が用いられる地域の中でも、秋田県を含む日本海側はこの文法化が進んでいる。この格助詞化が進んで、対象一般に「-ドゴ」を用いる話者もいる。一方で、共通語化に伴い、「-ドゴ」の使用範囲が狭まっていく動きもあり、特に「コゴガラ ウミドゴ メル」(ここから海が見える)のように、対象が無情物である無意思的な知覚動作では「-ドゴ」が用いられなくなる傾向がある。さらに、「コゴガラ ワラシドゴ メル」(ここから子供が見える)のように、対象が有情物でも無意思的な知覚動作の場合に「-ドゴ」が用いられない段階、「タロードゴ ナク゜ッタ」(太郎を殴った)や「イシドゴ ケッタ」のように物理的な働きかけが強い動作に限って「-ドゴ」が用いられる段階を経て、「-ドゴ」を用いない段階に至る。日高水穂による1999年-2001年の調査によれば、「-ドゴ」の用法を以下のように6種類に分けると、高年層(60歳代-90歳代)、中年層(40歳代)、若年層(10歳代)の各世代のいずれかで回答率が10%を超えた組み合わせは以下の7種類であり、1から3に向かって秋田方言独自の文法化による用法拡大が、3から7に向かって共通語化に伴う用法縮小が起こっている。高年層では1から3までの段階までの話者が多いのに対して、中年層では3から5までの段階の話者が多く、1から2までの段階の話者はかなり少なくなっている。さらに若年層では、1から2までの段階の話者はほぼいなくなり、6から7までの段階の話者が増えてきている。対象一般に用いる若年層も同じ程度いるものの、高年層のように有情物に限った使い方をする話者はほとんどいなくなっている。連体修飾とは、名詞を修飾することを言う。名詞または名詞句による連体修飾は、共通語では「孫の顔」のように「-の」を介することで行うが、これは秋田方言でも同様で「マコ゜ノ チラ」のように言う。また、「娘の結婚」のような格関係的修飾も、「ムシメノ ケッコン」のように共通語と同様の表現をする。南秋田地方など一部の地域では、修飾名詞が「オレ」(俺)、「オメァ」(お前)という人称代名詞であり、なおかつ、被修飾名詞が人や場所ではなく具体物である場合に限って、「オレØ カサ」(俺の傘)や「オメァØ チラ」(お前の顔)のように「ノ」が省略可能になる現象がある。修飾名詞が人称代名詞以外であったり、被修飾名詞が人や場所である場合には、「タローノ クルマ」(太郎の車)、「オレノ マコ゜」(俺の孫)、「オメァノ ハダゲ」(お前の畑)のように「ノ」が省略不可能である。存在の方向や移動の方向を表すには、共通語では「-に」を用い、移動の方向には「-へ」も用いるが、秋田方言では「フィカ゜シサ アル」(東にある)、「ニシノ ホーサ エグ」(西のほうへ行く)のように「-サ」を用いる。これは東北地方で広く使われる助詞であり、歴史的には方向を表す「様」に助詞の「-に」「-へ」が後続した「-さまに」「-さまへ」が語形を短縮するとともに文法化して格助詞となったものである。本来は方向や移動のみを表す格助詞であったが、東北地方では意味の拡張が起きており、共通語で「-に」「-へ」を表す意味領域でも「-サ」が用いられるようになっている。行為の及ぶ相手を表すには、共通語では「俺が太郎に話した」のように「-に」を用いるが、秋田方言では「オレ タローサ シャベッタ」のように「サ」を用いる。また、比較の相手を示すのにも、共通語では「あの子供は母親に似ている」のように「-に」を用いるが、秋田方言では「アノ ワラシ アバサ ニデル」のように「-サ」を用いる。願望の相手を表すには、共通語では格助詞「-に」と音便形接続の「-てほしい」を用いて「私は太郎に来てほしい」のように言う。秋田方言でも同様に音便形接続の「-テホシ」を用いて「オレ タロー(ニ/サ) キテホシ)のように「-ニ」または「-サ」が用いられる。また、「オレ タローガラ キテホシ」のように「-ガラ」を用いることも県内各地に認められる。共通語で「-に」を用いる意味領域には、「-サ」が用いられるもの、「-ニ」が用いられるが「-サ」も用いられるようになりつつあるもの、「-ニ」が用いられて「-サ」は用いられないものがあり、全体としては「-サ」が意味領域を拡大しつつある。移動の目的を表す場合、共通語では「-に」を用いる。秋田方言では、「仕事に行く」のように名詞に後接する場合は「シコ゜ドサ エグ」のように「-サ」を用いる。一方で、「東京へ遊びに行く」のように動詞に後接する場合は「トーキョーサ アソビニ エグ」のように「-ニ」を用い、「-サ」を用いることはない。これは青森県や山形県と共通し、この用法で「-サ」を用いる岩手県、宮城県、福島県とは異なる。なお、動詞に後接する場合、共通語では連用形に接続するが、秋田方言では「ヤキュー ミルニ エグ」(野球を見に行く)のように基本形に接続する地域がある。ただし、語尾がラ行の語では、「クサ トニ エグ」(草を取りに行く)のように基本形語尾が消えたような形が使われることもある。動作の時間を表す場合、共通語では「朝に雨が降ってきた」のように「-に」を用いる。秋田方言でも「アサマニ アメ フッテキタ」のように「-ニ」を用いる。また、「仰向けに倒れる」のような副詞の一部としての「-に」も、秋田方言でも「-ニ」を用いる。いずれの用法でも「-サ」は一般に使用しない。変化の結果を表す場合、共通語では「いい天気になった」のように「-に」を用いるが、秋田方言では「エー テンキ(ニ/Ø) ナッタ」のように、「-ニ」を用いる場合と無助詞である場合がある。「夜に雨が雪に変わった」のように変化の方向性が捉えやすい文脈では「-サ」の許容度が上がる。助詞の「-ニ」は由利地方では子音が脱落し「-エ」と発音されることがあり、共通語の「-へ」(-エ)と似た発音になる。存在の場所を表すには、共通語では「庭に犬がいる」のように「-に」を用いる。秋田方言でも「ニワニ エヌ エル」のように「-ニ」を用いるのが普通である。また、所有の主体を表すのにも、共通語では「お前には母がいるだろう」のように「-に」を用いるが、秋田方言でも「オメァニダバ アバ エルベ」のように「-ニ」を用いる。しかし「-サ」も用いられるようになりつつあり、若い世代では「-サ」を用いるほうが普通である。また、主に県中央部に、これらの用法で「-デ」を用いる地域がある。人の存在場所を表すのに用いられることが多い傾向があるが、地域によっては物の存在場所を表すのにも用いられる。動作や出来事の起こる場所を表すには、共通語では「子供が川で泳いでいた」や「小学校で運動会があった」のように「-で」を用いて表すが、秋田方言でも「ワラシ カワデ オヨエデダ」や「ショーカ゜ッコーデ ウンドーカエ アッタ」のように「-デ」で表される。「-デ」を動作や出来事の起こる場所だけでなく存在の場所を示すのにも用いる地域があるのが秋田方言の特徴であり、独自に用法を拡大したものと思われる。手段や道具を表すには、共通語では「車で町へ行く」や「包丁で大根を切る」のように「-で」を用いるが、秋田方言でも「クルマデ マジサ エグ」や「ホージョーデ デァゴン ハヤシ」のように「-デ」を用いる。原因を表すのにも、共通語では「大雪で電車が動かなかった」のように「-で」を用い、秋田方言でも「オーユギデ デンシャ ウコ゜ガネァガッタ」のように「-デ」のように「-デ」を用いる。空間的起点・着点は、共通語では「駅から家まで歩いてきた」のように起点が「-から」、着点が「-まで」で表される。秋田方言でも同様に、「エギガラ エマデ アリッテキタ」のように起点が「-ガラ」、着点が「-マデ」で表される。また、時間的起点・着点も同様に、「アサマガラ バンケ゜マデ カシェダ」(朝から晩まで働いた)のように起点が「-ガラ」、着点が「-マデ」で表される。行為の起点(行為を及ぼす相手)を示すには、共通語では「先生に怒られた」のように「-に」を用いるが、秋田方言では「シェンシェ(ガラ/ニ) ゴシャガレダ」のように「-ガラ」または「-ニ」を用いる。行為の着点(行為の及ぶ相手)には、共通語では起点と同様に「孫に小銭をやった」のように「-に」を用いるが、秋田方言では「マコ゜サ ジェンコ ケダ」のように「-サ」を用いる。行為の場合、起点で「-ドゴガラ」「-ドッカラ」が、着点で「-ドゴサ」「-ドサ」「-ドッチャ」が用いられることがある。意思的な移動の起点を、着点を同時に含意せずに表す場合、共通語では「家を出る」のように「-を」(「-オ」)を用いるが、秋田方言では「エØ デル」のように無助詞であることが普通である。また、動作全体がある場所で行われ、なおかつその場所が通過点である場合、共通語では「廊下を走るな」のように「-を」を用いるが、これも秋田方言では「ローガØ ハシェルナ」のように無助詞であるのが普通である。共同行為者を示すのには、共通語と同様に「マコ゜ド アリッテキタ」(孫と歩いてきた)のように「-ド」を用いる。引用の表現には、「アエジダバ エガネァッテ ユッテルデァ」(あいつは行かないって言っているよ)や「アシタ アメ フルド オモウナー」(明日雨が降ると思うなあ)のように「-ッテ」または「-ド」を用いる。また、伝聞を表すのに、「ムガシムガシ、ジサマド バサマド エデアッタド。」(昔々、お爺さんとお婆さんがいたそうだ。)のように「-ド」が終助詞的に用いられることもある。共通語では、比較の対象を表すには、「鳥海山は太平山より高いが富士山より低い」のように「-より」を用いる。秋田方言では、比較の対象には「-ヨリ」や、「-ヨリガ」の縮約である「-ヨッカ」を用いる。秋田方言で特徴的なのは、比較の対象に「チョーガエサンダバ タエフェーザンシカ タゲァドモ フジサンシカ フィギ」のように「-シカ」を用いる地域が山本地方、北秋田地方、仙北地方などの一部に僅かに見られることである。これは、秋田方言で「-ヨリ」「-ヨッカ」が否定と呼応した限定の用法にも使われるため、元々は否定と呼応した限定のみに使われた「-シカ」の用法が「-ヨリ」「-ヨッカ」の用法にまで広がったものと考えられる。複数の要素を並立する場合、共通語では「紙とペンを持って来い」のように「-と」を用いる。秋田方言でも「カミド ペンド モッテコエ」のように「-ド」を用いる。共通語では並列される最後の要素の後では「-と」が省略されることが多いのに対し、秋田方言では省略されないことが多いのが特徴である。共通語では、例示列挙の助詞として、「犬だの猫だのたくさん飼っている」のように「-だの」を用いたり、「-やら」を用いたりすることがある。秋田方言ではこのような場合、内陸の鹿角地方、仙北地方、平鹿地方、雄勝地方などでは「-ダノ」や「-ナノ」を用い、沿岸の山本地方、南秋田地方、由利地方などでは「-デラ」や「-デァラ」を用いる。共通語の係助詞には「-は」「-も」「-でも」「-しか」「-さえ」「-こそ」などがある。文の主題(話題)の提示(提題)には、共通語には「-は」(「-ワ」)を用いる。秋田方言では共通語で「-は」を用いる場合でも、「キンナØ サビガッタナ」(昨日は寒かったな)のように無助詞であることが多い。また、「-ハ」が直前の名詞と融合して、「コレァ オレノ ホンダ」(これは俺の本だ)のように「-ァ」と発音される場合もある。特に提題の意図を明示したい場合には、本来は共通語の「-なら」「-ならば」に相当する仮定条件を表す形式である「-ダバ」を用い、「ソレダバ オレノ ホンダ」(それは俺の本だ)のように言う。「ネゴダバ メンケドモ エヌダバ オッカネァ」(猫は可愛いが犬は怖い)のように選択や対比を示す「-なら」と重なる用法や、「オレダバ ソンタゴド デギネァ」(俺はそんなことは出来ない)のように否定的特立の「-なんか」「-なんて」「-など」と重なる用法もあり、単なる主題提示との間で連続的な用法を持っている。どの用法かは文脈から判断される。「-ダバ」は全県的に用いられるが、それに加えて県北部では「-ダッキャ」、県南部では「-ナバ」が併用される。添加を表す場合、共通語では「お前も行くか?」のように「-も」を用いる。秋田方言でも「オメァモ エグガ?」のように「-モ」を用いる。また、意外性のある添加を表す場合、共通語では「雨だけでなく風(も/まで)強くなってきた。」のように「-も」「-まで」が用いられるが、秋田方言でも同様に「アメバリデネァグ カジェ(モ/マデ) チエグナッテキタ。」のように「-モ」と「-マデ」を用いる。意外性を表す場合、共通語では「子供たちでさえ(も)携帯電話を持っている」のように「-さえ(も)」を用いるが、秋田方言では「ワラシカ゜ダデシャモ ケータイデンワ モッテル」のように「-シャモ」を用いる。これは「-さえも」に由来するものである。十分条件を表すのにも、「コレシャモ アレバ ダエジョーブダ」(これさえされば大丈夫だ)のように「-シャモ」を用いる。秋田方言では「モ」が伴わない形はあまり用いられない。添加の意味合いが強い文脈では「-シャモ」は用いにくい。共通語の副助詞には、「-ばかり」「-くらい」「-ほど」「-だけ」「-まで」などがある。大体の程度・分量を表すには、共通語では「茶碗に半分(くらい/ぐらい)くれ」のように「-くらい」「-ぐらい」を用いる。秋田方言では「チャワンニ ハンブン(グレァ/バリ/ホド) ケレ」のように「-グレァ」「-バリ」「-ホド」が用いられる。これらはそれぞれ「-くらい」「-ばかり」「-ほど」に対応する。大体の時間の経過を表すには、共通語では「東京へ三日ほど遊びに行った」のように「-ほど」を用いるが、秋田方言では「トーキョーサ ミッカ(ホド/バリ)」のように「-ホド」「-バリ」を用いる。程度を表すには、共通語では「飛び上がる(ほど/くらい)嬉しかった」のように「-ほど」「-くらい」を用いるが、秋田方言では「トビアカ゜ル(グレァ/ホド/ダゲ) オモシレガッタ」のように「-グレァ」「-ホド」「-ダゲ」を用いる。程度の限界を示す場合、共通語では「やりたいだけやれ」のように「-だけ」を用いるが、秋田方言でも「ヤリテァダゲ ヤレ」のように「-ダゲ」を用いる。内陸部の鹿角地方、仙北地方、平鹿地方、雄勝地方では、程度の限界を示す場合にも「-グレァ」が用いられる。これらの地方では、「-グレァ」に「-ゴレァ」「-ゴレ」「-ゴロ」などの異形がある。事柄の限定には、共通語では「饅頭を皮だけ食べた」のように「-だけ」を用いるが、秋田方言では「マンジュー カワ(ダゲ/バリ) クッタ」のように「-ダゲ」と「-バリ」を用いる。また、事柄の範囲の限定には、共通語では「毎日雨ばかり降っている」のように「-ばかり」を用いるが、秋田方言でも「メァニジ アメバリ フッテル」のように「-バリ」を用いる。共通語では、限定の意味では、「-ばかり」が多数のものを取立て、「-だけ」が唯一のものを取り立てるように使い分けがあるが、秋田方言では、「-バリ」が多数・唯一に関わらず限定に用いられ、「-ダゲ」が程度の用法に限って用いられるという違いがある。否定と呼応して限定する場合、共通語では「こんなものしかない」のように「-しか」を用いる。秋田方言では「コンタ モノ(シカ/ヨリ/ヨッカ) ネァ」のように、「-シカ」の他に「-ヨリ」「-ヨッカ」が用いられる。また、県南部には、岩手県、山形県、新潟県などにも見られるような「-ガッテ」「-ハッテ」「-エンテ」などの表現が見られる。共通語の終助詞には、「-か」「-な」「-の」「-ぞ」などがある。法性(モダリティ)を表すのに使われるものも多い。疑問を表す終助詞として、共通語では「お前も行くか」のように「-か」が使われる。秋田方言でも「オメァモ エグガ」のように「-ガ」が用いられるが、より丁寧な疑問の表現として、「ドサ オジャルナギャ」(どこにいらっしゃるのですか)のように「-ギャ」が用いられることがある。これは「-ガ」に助詞の「-エ」を付けたものである。鹿角地方、山本地方、南秋田地方などには、疑問の意味を持たない詠嘆の用法で「-ガエ」を用いることがある。例えば「ありますよ」にあたる丁寧な表現として、山本地方、南秋田地方では「アルモノガエ」「アルアンタガエ」を用い、鹿角地方では「アルドガエ」を用いる。なお、現在では、丁寧な疑問が「-ギャ」、詠嘆が「-ガエ」として使い分けられている。禁止を表す終助詞として、「ソッチャ エグナ」(そっちに行くな)のように、「-ナ」が共通語の「-な」と同様に用いられる。丁寧さを加える終助詞として、秋田方言では「-シ」が使われる。共通語の「-です」「-ます」とほぼ同じ機能を持つが、「-シ」は動詞の基本形に接続する。また、主に県北部では「-ッシ」と促音を介し、主に県南部では「-ンシ」のように撥音を介する傾向がある。また、山本地方、南秋田地方、由利地方など沿岸部では「-シ」を用いないことも多い。なお、この「-シ」は と の区別を持たない話者の発音は または であるが、意識の上では「ス」に対応しており、 と を区別する世代の話者は として発音する。観察報告の終助詞として、「サキタマデ ソサ ネゴ エダッケデァ」(さっきまでそこに猫がいたよ)のように、「-ッケ」が用いられる。また、「オレモ ワゲァ ジギダバ ムジャ シダッケナ」(俺も若い頃は無茶をしたな)のように回想の用法もある。共通語では回想に「-っけ」を用いることはあるが

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。