辰国(しんこく、?-?)は『史記』や『漢書』の朝鮮伝によれば、衛氏朝鮮の時代(紀元前2世紀)に現在の朝鮮半島の南部にあったという国である。しかし、後述のように、これは写本のミスによって生まれた錯誤でそもそも実在しなかったという説もある(→後述)。記録は少なく、その詳細はほとんどわからない。民族系統は不明であり、群小の国々の総称なのか一国の名なのかもわからない。『三国志』によると三韓の辰韓の前身にあたる国であると見える。しかし極めて資料に乏しい。衛氏朝鮮の滅亡とほぼ同時代史料といえる『史記』の朝鮮伝の中で「真番旁衆国」として書かれたのが初出である。この部分は版本によっては「真番旁辰国」になっている。約200年後の『漢書』ではこの部分を「真番辰国」と書いているが、単なる誤写なのか、『漢書』が新しい情報に基づいて訂正したのかが論争となる。またこれらの諸例から類推して「真番衆国」が原形だったと想像することも論理上は可能である。原形がどうであったかによって解釈も以下のように分かれる。『史記』よりもはるか後世に書かれた『三国志』には「辰韓者古之辰国也」とあり、3世紀の辰韓は辰国の後身とされている。これに対し、『三国志』よりもさらに新しい『後漢書』では「韓有三種,一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁韩(略)凡七十八国(略)皆古之辰国也」とあり、三韓の地すべてが昔の辰国であるとしていて『三国志』とは異説となっている。いずれにしろ辰国は辰韓または三韓の前身であるとされている。魏略曰:初,右渠未破時,朝鮮相曆谿卿以諫右渠不用,東之辰國,時民隨出居者二千餘戶,亦與朝鮮貢蕃不相往來。辰国が滅びる一前に衛満の孫の寓居王(衛右渠)が漢の武帝(漢武帝)の侵略を受ける前に、彼は王に何らかの建議をしたが、建議が無視されると、自分の足跡集団(族的集團)の2,000余戸(戶)とともにジングク(辰国)に亡命して行って、その後、衛満朝鮮との関係を絶った。馬韓辰王治月支國辰国は馬韓月支国の辰王に滅亡された。実在説を唱えるものには、『資治通鑑』、今西龍、李丙燾、現在の韓国の学界などがある。三品彰英は『史記』の「真番旁衆国」が本来の文面だったとしている。「真番辰国」と誤写した『漢書』に辰国があったという観念が流布して、3世紀の『魏略』や『三國志』の「辰国」説につながった。つまり錯誤から生まれたものであり、辰国という実態は歴史上存在しなかったとした。
出典:wikipedia
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