中華人民共和国香港特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくほんこんとくべつぎょうせいく)、通称香港(ホンコン:、)は、中華人民共和国の南部にある特別行政区(一国二制度)である。同じ特別行政区の澳門からは南西に70km離れている。150年以上のイギリス植民地の歴史で世界に知られる。広大なスカイライン及び深い天然の港湾を抱える自由貿易地域であり、の面積に700万人を超える人口を有する世界有数の人口密集地域である。香港の人口は、93.6%が華人、6.4%はその他の民族である。香港の広東語話者の大多数は主に隣接する広東省が起源であり、1930年代から1960年代に中国での戦争や共産主義体制からイギリスの植民地であった香港に逃れて来た人々である。1839年から1842年のアヘン戦争後、香港は大英帝国の植民地として設立された。香港島が最初にイギリスに永久割譲され、1860年に九龍半島が割譲、1898年には新界が租借された。太平天国の乱(1851年 - 1864年)、義和団事件 (1900年 - 1901年)、辛亥革命 (1911年-1912年)、日中戦争などが原因で、香港には難民が続々となだれこんだ。植民地人口の約半分が香港島に住み、残りが九龍半島または舟に居住した。島の方は岩肌に水が浸透しないため、設備なしには真水の供給が難しかった。1885年、香港で利用可能な水は1人1日あたり18リットルであった。1918年になると設置できる土地は貯水池とそこまでの水路でほぼ埋まり、島表面積の1/3にもなったが、それでも人口増加による水需要の増加には追いつかなかった。新界も状況は似て、1936年に大規模なジュビリー・ダムを完工したにもかかわらず、1939年24時間給水は雨季にしかできなくなっていた。このとき香港全体で1人1日あたりの水消費量は75リットルと推定されている。 この水不足問題が、後に英国が、租借していた新界及び割譲されていた香港島も含め、現在の香港全領域を返還せざるを得ない状況を作った。第二次世界大戦 (1941–45) の間、イギリス軍が放逐されて日本に占領されたものの、その後は中華民国には返還されずに1997年までイギリス統治が再開される。この戦後から現在まで、香港は慢性的に水不足である。一方、植民地時代のイギリス及び中国文化の混合は現在の香港の文化を形成した。例えば2009年まで、教育制度はイギリス英語のモデルに従っていた。 中華人民共和国及びイギリス間の交渉及び中英共同声明の結果として、香港はイギリスから中華人民共和国に返還され、一国二制度の原理の下、1997年7月1日に最初の特別行政区になった。1999年12月にポルトガルから移譲されたマカオも特別行政区である。現在も香港は中国大陸とは異なる政治制度を有する。香港の独立した司法機関はコモン・ローの枠組みに従って機能する。共同声明において正式に記された条項に基づいた返還以前に、中華人民共和国側により起草された定款である香港特別行政区基本法において香港の政治は行われ、国際関係及び軍事防御以外の全ての事柄において高度な自治権を有することを規定している。香港は複数政党制であるが、立法会の70議席のうち30議席を少数の有権者が支配し、先進経済諸国の中では政治的権利において最下点で欠陥民主主義に分類される。香港は世界都市であり、アルファ +の都市の1つである。ロンドン及びニューヨーク、東京などと並び、世界的に重要な国際金融センターに格付けされ、低税率及び自由貿易を特徴とする重要な資本サービス経済を有し、通貨の香港ドルは世界第8位の取引高を有する。香港は世界有数の一人当たりの所得を有するが、先進経済諸国有数の所得格差もまた存在する。スペースの不足により高密度な建造物の需要が生じ、現代建築及び世界で最も垂直な都市の中心へと都市は開発された。高密度な空間は高度に発達した交通網ももたらし、公共交通機関の利用率は90%を超え、世界第1位である。香港はさまざまな側面、例えば、経済的自由並びに金融及び経済的競争力において多数の高い国際ランキングを有する。人間開発指数は全面的に高く順位付けされる。しかしながら、隣接する中華人民共和国の先進経済諸国と比較して緩い排出基準及び発癌性のある、高水準のPM2.5で大気汚染及びスモッグは、香港の深刻な問題となっている。香港(ホンコン)という名称は珠江デルタの東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾と沿岸の村の名前に由来する。現在の香港島南部の深湾と黄竹坑にあたる。英語や日本語でのホンコンという呼び方は広東語(厳密には疍民の言葉・)によるとされる。中国語の標準語である普通話では、香港を「Xiānggǎng」(シャンガン)と発音する。中国語での別名に香江があり、略称は港。英文での略称はHK。香港は、香港島、九龍半島、新界および周囲に浮かぶ235余の島を含む。面積は東京23区の約2倍、沖縄本島や札幌市と同程度に当たる。ランタオ島(大嶼山)は香港島の2倍の面積を有する香港最大の島であり香港国際空港の空港島が隣接している。2005年9月には島内にディズニーランドが開園した。香港の地形は山地が全体に広がり、香港全土の約60%、約650平方キロメートルを占める。最高標高は958メートルの大帽山である。中国本土との境界地域に広がる元朗平原を除き平地は少ない。元朗平原付近の海岸部には湿原が広がる。温帯夏雨気候(サバナ気候 - 温暖湿潤気候移行部型)に属し、秋・冬は温暖で乾燥しており、春・夏は海からの季節風と熱帯低気圧の影響で高温湿潤という気候である。秋はしばしば台風に襲われ、スターフェリーやマカオへ向かう水中翼船などの船舶や航空便、トラム路線が運行停止になることもある。台風の警報が発令されると各種イベントが中止となるだけでなく、学校や企業、官公庁も休業となる。冬は北風により中国本土の粉塵、工場や自動車の排ガスが流入することが多く、近年はそれによる霧や靄がしばしば発生している。新界地区では、最低気温が10度を下回ることもあり、凍死者も出るため気温低下が予測される日には暖房設備を準備した公共施設を開放することがある。2011年の人口調査の結果によると、香港の人口は707万1576人で、前回2006年の調査に比べて0.6%の増加であった。香港は世界で最も人口密度が高い地域の一つであり、1平方キロメートル当たりの人口密度は6540人(2010年)である。18の区のうち最も人口密度が高い観塘区では5万4530人に上る。香港の出生率は1000人あたり12.5人(2010年)で、世界でも低水準にある。香港島北部の住宅地と九龍半島に人口が集中している。両者を合わせて127.75平方キロメートルと香港全体の面積の12%弱の地域に、香港総人口の約48%に当たる約338万人が居住している。九龍地区の1平方キロメートル当たりの人口密度は4万4917人、同じく香港島北部は1万5726人である(いずれも2010年)。香港の人口で最も多いのは「華人」と呼ばれる中国系で、全体の93%を占める。華人以外で多いのはメイドなどの出稼ぎ労働者として多くが働いているフィリピン人やインドネシア人で、かつての宗主国のイギリス人が次ぐ。日本人は約1万4000人居住している。香港返還以降の人口増加の大半は本土からの移民による。香港大学アジア太平洋研究センターの鄭宏泰助理教授は「中国本土からの移民人口を総合すると、2001年時点の香港総人口の約1割に当たる」と指摘する。2015年の調査によると、1997年の香港返還以来、中国本土から香港に移り住んだ人の数が87万9000人に達していることが明らかになった。香港の人口(730万人)の8人に1人が本土出身者という計算になる。香港には、18の行政上の下部地域がある。1982年に区議会が設置されたことに由来する。その後、九龍地区から新界への人口移動に伴い、区の再編が行われている。1985年に、荃湾区から葵青区が分離した。1994年には、油尖区と旺角区が合併し、現在の油尖旺区となった。香港の政治の特徴は香港返還(主権移譲)後に施行された一国二制度にある。イギリス時代の行政・官僚主導の政治から、一定の制限の下での民主化および政党政治への移行期に当たり、社会主義国である中華人民共和国の中で2047年まで資本主義システムが継続して採用されることになっている。1997年に香港は香港特別行政区として改編され特別行政区政府が即日成立した。香港特別行政区は中華人民共和国において省や直轄市と同等(省級)の地方行政区とされる。しかし中華人民共和国憲法第31条および香港特別行政区基本法に依拠し、返還後50年間は一定の自治権の付与と本土(中国大陸)と異なる行政・法律・経済制度の維持が認められている。そのため、香港は「中国香港」(英:Hong Kong, China)の名称を用い、中華人民共和国とは別枠で経済社会分野における国際組織や会議に参加することができる。(詳細は香港の対外関係を参照のこと。)しかし、香港は「港人治港」として「高度な自治権」を享受しているが、「完全な自治権」が認められているわけではない。首長である行政長官は職域組織や業界団体の代表による間接・制限選挙で選出されることになっており、その任命は中華人民共和国国務院が行う。また、香港の立法機関である立法会の議員(定員70人)は、半数(35人)が直接・普通選挙によって選出されるが、残り半数(35人)は各種職能団体を通じた間接・制限選挙によって選出される。行政長官と立法会議員全員の直接普通選挙化をどの時期から開始するか、香港返還直後から議論になっている。2007年12月29日に全国人民代表大会の常務委員会が、行政長官の普通選挙の2017年実施を容認する方針を明らかにしたものの、立法会議員全員の直接選挙については今なお時期について言及していない。司長や局長(英語ではいずれもSecretary、閣僚に相当する)は行政長官の指名により中華人民共和国政府が任命する。行政長官と司長局長クラスに限っては中国籍の人物でなければ就任できないが、それ以外の高級官僚(部長クラスなど)にはイギリス人やイギリス連邦諸国出身者も少なくなく、新規採用も可能である。香港基本法の改正には全国人民代表大会の批准が必要であり、香港特区内では手続きを完了できない。同法の解釈権も全国人民代表大会常務委員会が有している。香港の司法府である終審法院の裁判権は香港特区内の事案に限定され、香港が独立という選択肢がない従属領域であり、中国当局がそれを防ぐため香港に完全な自治権を与えないとの方針に由来する。現在、基本法によって香港では集会の自由や結社の自由が認められているため、中国本土とは異なり自由な政党結成が可能であり、一定程度の政党政治が実現している。香港の政党は民主派(泛民主派・英語版)と親中派(親建制派・英語版)に大別され、立法会議員全員の普通選挙化について、民主派は2016年からの実施を、親中派は2024年からの実施をそれぞれ主張している。中華人民共和国本土とは異なり、「香港特別行政区基本法」に基づき、英米法(コモン・ロー)体系が施行されている。基本法の規定により、中華人民共和国本土の法律は「別段の定め」がない限り香港では施行されない。基本法の解釈問題以外の法体系はイギリス領時代と全く同一である。従って死刑制度も存在しない。返還によりイギリス領ではなくなったためにロンドンに枢密院を求めることはできなくなった。そのために1997年7月の返還と同時に裁判も原則として、香港特区内で完結する必要性が生じた。そのため、返還後、最高裁判所に相当する終審法院が設置された。この時点で新たに設置の終審法院の判事のために5人以上のベテラン裁判官がイギリスから招聘された。返還後の司法体制のために旧宗主国から高官に当たるイギリス人の人材を新たに招くという「珍事」は中華人民共和国が英米法を厳格に適用するための人材について不足していることを率直に認めたことを表しており、意外な「柔軟性」あるいは「現実適応性」を確認する事象であったといえる。終審法院の下には高等法院(高裁)、区域法院(地裁)、裁判法院(刑事裁判所)などがある。裁判は三審制である。ただし、基本法の「中央に関する規定」および「中央と香港の関係にかかわる規定」につき、条文の解釈が判決に影響を及ぼす場合、終審法院が判決を下す前に全国人民代表大会常務委員会に該当条文の解釈を求めることとされる。香港の外交権は中華人民共和国中央政府に帰属するが、基本法の規定により香港特別行政区は経済社会分野の条約の締結、国際会議や国際機構への参加が認められている。外交実務に関しては外交部駐香港特派員公署が管轄している。経済分野では香港政府による独自の在外駐在機関を設けている。国外の香港経済貿易弁事処は商務及経済発展局が管轄し、中華人民共和国本土にある駐北京弁事処と駐粤経済貿易弁事処は政制及内地事務局が管轄している。香港域内でも香港政府に外交権限がないことの不利益が次第に認識されている。駐北京弁事処も以前は政務司長(政務長官)の管轄であったが、2005年の行政長官施政方針において対中央(中華人民共和国本土)政策を政制事務局(後の政制及内地事務局)に集中させる方針が出され現在の形態となった。中華人民共和国と対立している中華民国の航空機や船舶の香港乗り入れや、同国民の香港への渡航条件は返還前と変わらないが、航空機や船舶に同国の国旗である「青天白日満地紅旗」を塗装・掲揚することは事実上禁止されている。香港返還を控えた1995年に、チャイナエアラインの保有する航空機が塗り替えられ、青天白日満地紅旗に代わり新しいコーポレートシンボルの梅の花が垂直尾翼に描かれるようになった。香港人が中国本土へ入境する際には、パスポートや香港身分証の代わりに「港澳居民来往内地通行証(回郷証)」が必要とされる。民主化運動の関係者はその取得が制限されている。返還以来、中国本土の大幅な経済成長により民間交流は活発化している。例えば中国から香港大学へ入学した中国人が香港の大学に入学しその4割が香港で就職、香港から中国本土の大学に入学し就職する香港人が6割という現象が起きている。広東省の曁南大学で学ぶ香港人学生はこれまで80%の卒業生が香港での就職を希望したが、2009年になると50%が本土での就職を希望している。香港男性と大陸女性の婚姻件数は1996年の2215件から2006年の1万8000件となり、香港女性と大陸男性の婚姻件数も1996年の269件から2006年の3400件と大幅に増加している。2006年には香港の婚姻件数5万件のうち4割が香港人と大陸人の婚姻となっている。男女の人口比率は2007年には912:1000であったが、30年後には大陸女性が香港男性と婚姻し定住する案件が増加するため709:1000となる推測も出されている。購買力が高い香港ではメイドを雇用する家庭が多く、その働き手として15万人のフィリピン人が香港に在住している。しかし1990年代にも香港のコンドミニアムで“フィリピン人メイドと犬の使用禁止”の貼り紙が出され、2009年に香港の著名コラムニストが南シナ海南沙諸島領有権問題に絡んでフィリピンを「召使いの国」と揶揄するなど、香港人の差別意識が問題となっている。一方大陸から香港への観光客は飛躍的に増加し最大の観光客となっている。特に香港との経済格差が小さい深圳では非戸籍者へのビザ取得規制が大幅に緩和され、リピーターが増加している。出入国管理は大陸とは別個に実施されており、査証も異なる。ただし、先述の通り経済分野以外の在外駐在機関がないため、申請は各地にある中国大使館が窓口となっている。返還前はイギリス軍が昂船洲(ストーンカッタース)や赤柱(スタンレー)などの基地に正規兵のほかにグルカ兵などの傭兵を含む海軍、陸軍部隊(駐香港イギリス軍)を駐留させていた。同司令官は香港総督の下に位置した。返還後にはイギリス軍に代わり人民解放軍駐香港部隊が駐留している。人民解放軍駐香港部隊の司令部は、返還まではイギリス軍の司令部が置かれていたセントラルのプリンス・オブ・ウェールズ・ビル(現在は「中国人民解放軍駐香港部隊大廈」)にある。人民解放軍駐香港部隊司令官は、中央軍事委員会および中華人民共和国国防部の下にあり、香港行政長官には部隊への指揮権がない。基本法の規定により、イギリスやイギリスの同盟国であるオーストラリアやアメリカを含む外国艦艇の休暇上陸(レスト&レクリエーション)を含む寄港は返還後も中央政府の同意を経て可能とされている。ただし、中央政府の意向により寄港が許可されないケースもある。国際通貨基金の統計によると、2012年のGDPは2632億米ドルである。2012年の一人当たりのGDPは3万6796米ドルである。世界屈指のビジネス拠点であり、2012年5月、スイスのシンクタンクによって、2年連続で「世界で最も競争力の高い国・地域」に選ばれた。2016年には、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人的資本・文化・政治などを総合評価した世界都市ランキングにおいて、世界5位の都市と評価されている。2014年11月、アメリカのダウ・ジョーンズなどが公表した国際金融センターランキングにおいて、ニューヨーク、ロンドン、東京、シンガポールに次ぐ、世界5位と評価された。富裕人口も非常に多く、金融資産100万ドル以上を持つ富裕世帯は約21万世帯であり、フランスやインドを凌いでいる。およそ11世帯に1世帯が金融資産100万ドル以上を保有しており、世界有数の密度を誇る。個人資産10億ドル以上を保有するビリオネアは38人であり、モスクワ、ニューヨーク、ロンドンに次ぎ、世界で4番目に多い都市である。17年連続で「世界で最も自由な経済体」に選出されているように、経済形態は規制が少なく低税率な自由経済を特徴とする。食料や日用品などの対外依存度が高い。もともとイギリスの対中国貿易の拠点であったことから中継貿易が発達していた。1949年に中華人民共和国が成立すると、大陸から多くの移民が香港に流入、それを安価な労働力として活用することで労働集約型の繊維産業やプラスチック加工などの製造業が発達した。1970年代からは、香港政庁が新界における住宅団地開発や交通インフラ整備などに着手(詳細は積極的不介入を参照)、香港経済は急速な発展を遂げる。しかし1970年代後半になると労働コストの上昇や工業用地不足などの問題が顕在化してきた。そして中華人民共和国の改革開放政策により1980年代からは従来の製造業は広東省の深圳市や東莞市をはじめとする珠江デルタへと移転、香港は中華人民共和国を後背地とする金融センター・物流基地へ転換した。1997年の返還後は中国本土への経済的依存は強まり、2003年には中国本土・香港経済連携緊密化取決め (CEPA I) が中国本土と香港の間で調印され、その後も補充協議が実施・締結されている。広東省のイニシアティブによる汎珠江デルタ協力(9+2協力)にも参加している。イギリス時代から完備された法体系や税制上の優遇措置、高い教育水準を有し英語が普及していることから、賃貸物件賃料が世界最高水準であるにもかかわらず、アジア市場の本社機能を香港に設置する欧米企業が多く存在する。香港のGDPの80%をサービス産業が占める。観光産業がGDPの約5%を占めるほか、古くから映画産業が盛んである。香港経済界の代表的人物として長江集団を率いる李嘉誠が挙げられる。地価が高いこともあり、香港はシンガポールと同じく物価高の傾向があり、商品や為替変動によっては東京の消費者物価を上回ることがある。電力や通信などの社会インフラ企業をはじめ建設や運輸、金融や流通、サービス業や報道機関まで、さまざまな業種の大企業がそろっており、東南アジアや中華人民共和国のみならず、日本やイギリス、アメリカなどへ進出している企業も多い。主な財閥、企業グループは、イギリス系、華人系、中国本土系の三つに大まかな分類ができる。華人系には長江実業グループや会徳豊などがある。伝統的にはイギリス系のジャーディン・マセソンやスワイヤー・グループ、香港上海銀行が有力だが、前二者は1970年代以降、ハチソン・ワンポア(長江実業グループ傘下)などの華人系財閥による買収などで勢力を縮小させている。中国本土系の企業としては、華潤集団、招商局集団、中国銀行 (香港)、中国旅行社やCITICがある。2014年11月にアメリカのダウ・ジョーンズなどが公表した国際金融センターランキングにおいて、ニューヨーク、ロンドン、東京、シンガポールに次ぐ、世界5位と評価された。また、イギリスのシンクタンクグループが2013年3月に公表した金融センターランキングにおいても、ロンドン、ニューヨークに次ぐ世界3位と評価された。貨幣である香港ドルは、イギリス系の香港上海匯豊銀行 (HSBC) とスタンダードチャータード銀行(香港渣打銀行)、中国系の中国銀行 (香港)の商業銀行3行によって発行されている。ただし10香港ドル紙幣の一部と硬貨は、香港金融管理局が発行している。イギリスの植民地時代に発行されたエリザベス2世女王の横顔入りのコインも引き続き使用している。返還後の2001年に金利が自由化されたものの、2005年5月18日にアメリカ合衆国ドルとのペッグ制から目標相場圏制度に移行されたことにより、金利は基本的にアメリカ合衆国の金利動向に追従する。主要な証券取引所として、1891年に開設された香港証券取引所(香港交易所/Hong Kong Stock Exchange)があり、東京証券取引所やシンガポール証券取引所と並び、アジアを代表する証券取引所となっている。市場の動きを表す指数として、代表50銘柄を対象として時価総額加重平均で算出した「ハンセン指数(恒生指數/Hang Seng Index)」がある。世界有数の観光都市であり、イギリスの市場調査会社が公表した統計によると、外国人旅行者の来訪数が世界で最も多い都市であり、2012年には約2,380万人が訪れた。観光産業が経済的に大きな位置を占めるということもあり、香港政府観光局や、フラッグ・キャリアのキャセイパシフィック航空を中心に海外での宣伝、観光客の誘致活動が大々的に行われており、現在、観光親善大使を香港出身の映画俳優であるジャッキー・チェンが務めている。香港島中西区には香港上海銀行・香港本店ビルや中国銀行タワー、国際金融中心などをはじめとする超高層オフィスビルやホテルが、九龍区には環球貿易広場、油尖旺区などの繁華街には大規模なショッピングモールやさまざまな様式のレストラン、高級ブランドのブティックやエステサロンなどが立ち並び、活況を見せている。香港は世界三大夜景の一つである。古くから「100万ドルの夜景」の異名で世界的に知られており、特に香港島のヴィクトリア・ピークや、尖沙咀のウォーターフロント・プロムナード近辺からの眺望が名高い。12月のクリスマスシーズンから春節(旧正月)にかけては、ヴィクトリア・ハーバー沿いに建つビルに特別のイルミネーションが施される。郊外や島嶼部では昔ながらの風景や自然が多く残されており、ハイキングなどを楽しむことができる。2005年9月に香港の新たな名所としてランタオ島に香港ディズニーランドがオープンした。1960年代から映画産業が盛んであったこともあり、現在も香港映画の多くにこれらの観光名所が登場するほか、日本やアメリカの作品においてもこれらの観光名所が登場することも多く、観光客誘致に一役買っている。近い上に観光資源が豊富なことから、1970年代の海外旅行ブーム以来、日本人の間で人気の旅行先としての地位を保っている。それに対して日本が香港市民の人気の旅行先として定着しており、当初は東京(東京ディズニーランドや原宿など)を主な旅行先とするケースが多かったものの、東北地方の温泉地巡りや北海道でのスキー、大阪や九州のテーマパークなど、その目的地が日本全国へと広がってきており、香港市民の日本へ対しての興味の幅広さがうかがわれる。コンデナスト・トラベラーやインスティテューショナル・インベスターなどのホテルランキングで高い評価を受ける超高級ホテルや国際的チェーンホテルから、長期滞在者向けの低価格宿泊施設までさまざまなホテルがそろっている。香港では郵便、電話、インターネットなど地球上で使用可能な通信手段は概ね全て享受でき、サービス品質も世界中で最も高い部類に入る。ただし電報は利用者が減りサービスが終了した。電話は多数の通信運営会社が設立され、各社の自由な競争の結果、香港の固定電話や携帯電話市場で消費者は安価で良質なサービスが受けられるようになっている。なお、中国本土の金盾とは異なり、通信の自由は保障されており、中国本土では不可能なGoogleやFacebook、Twitterへの接続も問題なく行える。香港での郵便事業は香港郵政 (Hongkong Post) が行っており、これはイギリス統治時代から引き継がれたものである。1997年の中華人民共和国への返還後も、中国郵政とは切り離して運営されている。ただし返還にあたっては、香港郵政のコーポレートアイデンティティが変更されるなどの変化が見られた。現在、香港にある郵便ポストの色は深緑であり、これはコーポレートカラーにもなっている(イギリス統治のロイヤルメール時代は、香港郵政のコーポレートカラーは赤であった)。香港は「中国香港」名義で万国郵便連合 (UPU) に加盟する。固定電話同士の市内間通話料金は、基本的に無料である(データ通信は課金対象となる)。香港の固定電話事業のサービスは数社が行っている。最大手は電訊盈科(PCCW)で、その後に和記電訊 (Hutchison Telecom) や新移動電訊 (New Mobile Telecom) などが続く。香港では固定電話にも番号ポータビリティ制度が存在するため、各社の競合が見られる。国際電話は、香港ではその運営会社が数十社があるといわれており、料金からサービス品質まで、消費者にとってはさまざまな選択が可能となっている。市内には公衆電話が多数設置されている。中にはクレジット機能を持つIDカードが使用できたり、公衆電話端末の液晶ディスプレイからインターネットを閲覧できる高機能型のものもあるが、携帯電話などの普及によりその数は減少傾向にある。現在香港では、多数の携帯電話運営会社が乱立している状態にあり、その中で競合が激化している。香港の携帯電話普及率は概ね人口比の8割から9割で、世界で最も高い水準にある。各社とも電波受信エリアの人口カバー率はほぼ100%であり、地下鉄やトンネル、超高層ビルなどを含む香港のほとんどの場所で発着信が可能である。香港では、月ぎめによる一般的な契約形態に加えて、プリペイド式携帯電話のような前払い料金制での契約も多い。欧米諸国と同様に着信にも課金される。日本国内で契約された携帯電話端末のうち、香港で使用可能なローミングサービスはNTTドコモ、au、ソフトバンクモバイル、イー・モバイルの4社から提供されている。ただし3G (WCDMA, HSDPA) やGSM方式の携帯電話端末に限る。国際ローミングの対象でない日本の端末は、香港では使用できない。日本国内で契約された端末の国際ローミング料金は非常に高いため、香港によく渡航する人はプリペイド式携帯電話を香港で購入した方が経済的。空港やコンビニなどで各社プリペイドSIMカードを購入するにはパスポートは必要ない。月額式の加入契約にはパスポート(あるいは香港身分証)と住所証明書のみ必要になる(住所証明書不要の場合もある)。香港以外に渡航した場合でも、渡航した国にてSIMカードを購入すれば日本、韓国以外の全世界で利用可能。オーストラリア・イタリアなどと同様、香港で販売されている携帯電話には電話会社を限定させるSIMロックがかかっていない。iPhoneをはじめさまざまなSIMフリーの電話機が流通しているため、日本をはじめ世界各国で人気が高い。各国のさまざまなSIMロックのかかった電話機のロックを外すサービスも数多く存在する。香港でのインターネット接続は、普及率の高いケーブルテレビやADSLなどのブロードバンドが主流である。FTTH(光ファイバー接続)も普及してきている。香港のインターネット普及率は、概ね8割程度と高水準である。数多くのインターネットサービスプロバイダ (ISP) が事業を展開しており、日本企業ではSo-netやNTT、KDDIなどが進出している。香港では個人のインターネット普及率が高く、市街のいたるところに、無料で使用できる無線LANGovWiFiや、通信会社による公衆無線LANが設置されている。宿泊施設では、高級ホテルから、ゲストハウスといわれるバックパッカー用の安宿まで、無料の無線LANが普及している。1997年の「一国二制度」の方針により特別行政区として高度な自治権を有する香港では、インターネット上の言論および表現に対して、中華人民共和国政府によるいかなる規制や統制、監視も行われないこととなっており、現在はその方針が遵守されている。ただし香港の捜査当局が犯罪捜査のため盗聴を行うことは一定程度認められている。この一国二制度の遵守により香港はマカオとともに、中華人民共和国領内に及ぶ広域ファイアウォールである「金盾」のネットワークの外にあり、イギリス統治期同様に日本や欧米各国と変わらない自由で干渉のない情報交流の環境が整えられている。逆に本土側からは閲覧や検索のできない香港のニュースメディアやサイトが多数存在することが確認されている。香港の国別コードトップレベルドメインは「.hk」である。香港で登録されるドメイン名は、現在ではセカンドレベルドメインによるものが最も一般的となっている。香港基本法は言論および報道の自由や通信の秘密を保障している。言論および報道の自由が極度に制限されている中国本土と異なり、香港基本法の存在のためにこれらの規定は比較的遵守されている。ただし広告主となる企業の多くは、中国本土で活動する上で、中央政府の意向を気にせざるを得ない。香港経済における本土系企業のプレゼンスも増大している。そのため、広告収入に依存するメディアには、「自主規制」する傾向が出ているといわれる。有力なメディアが中国寄りの企業に買収されるケースも起こっている。新聞の値下げ競争が、独立したメディアの存続を危機にさらし、広告収入への依存を強めているという側面もある。主な新聞には、『信報財経新聞』、『明報』、『東方日報』、『蘋果日報』などがある。『蘋果日報』が最も中国共産党政府に批判的といわれる。一方、左派の新聞としては、『文匯報』『大公報』『香港商報』などがある。左派の新聞は、一般読者が少ないものの、中国共産党政府の強い影響下にあり、本土系企業の広告収入も多く得ているといわれる。英字新聞としては、『サウスチャイナ・モーニング・ポスト (South China Morning Post)』がある。これらの新聞は、街のブックスタンドで販売されている。ブックスタンドでは、香港で印刷されている日本など世界各地の新聞や競馬新聞、各種雑誌類を販売している。地上波には無綫電視 (TVB) と亜洲電視 (ATV) の2局があり、両局とも広東語と英語の2チャンネルを設け、合計4チャンネルある。デジタル化に伴い両局のハイビジョン専門チャンネルも新設された。このほか、公営ラジオ局香港電台 (RTHK) がテレビ番組を制作しているが、自前のチャンネルがないためTVBとATVの2局に放送を委託している。香港電台は2018年に自局によるテレビ放送を開始する予定で、一部地域に限定して試験放送が行われている。ケーブルテレビ局有線電視などの有料放送も数社存在するほか、アジア各地を放送エリアとする「STAR」や鳳凰衛視のような衛星放送局も、香港を拠点としている。香港のテレビ放送は、香港周辺のマカオや広東省各地で地上波放送が受信されているだけでなく、世界各地で番組が放送されており、香港文化伝播のメディアとなっている。逆に香港では中国国内の衛星放送をおおむね受信できるが、個人で受信する例は少ない。ホテルでは、客室で日本のNHKの国際放送(NHKワールドTV)や、BBCなど欧米の衛星放送、アジア各地の放送を視聴できるようにしている例が多い。香港政府が、新たに無料放送の免許を与えることとなり、最終的には有料テレビ放送を運営しているケーブルテレビ局や通信企業を親会社とする3局が免許申請していたが、2013年10月15日に、有線電視系列の「奇妙電視」(Fantastic Television Limited)と、PCCW系列の「香港電視娛樂」(Hong Kong Television Entertainment Company Limited)に対して免許交付を認めたのに対し、もう1局の「香港電視網絡」(Hong Kong Television Network Limited)の申請を却下する決定を行った。しかしこの決定に対して香港市民から批判の声が上がり、申請却下理由の公開などを求め、数万人規模の抗議デモが発生した。公営の香港電台 (RTHK) のほか、民間放送の、、DABによるデジタルラジオ局に、がある。香港が中華人民共和国に返還、移譲された後(1997年以降)は、香港特別行政区基本法第9条により、香港の行政・立法・司法の場において用いることができる公用語は中文と英文とされる。基本法の公用語規定では単に「」、「」とのみ書かれているが、事実上の共通語は広東語である。人口の95.2%が広東語を常用もしくは理解し、38.1%が英語を常用もしくは理解する。香港政府は広東語・英語に加え中国語の普及を図る「兩文三語 ()」政策を推進している。中華人民共和国の改革開放政策により、1980年代から中華人民共和国との往来が盛んになったことや、香港の中華人民共和国への返還が背景にある。かつては普通話で授業を行う学校は、中国共産党系または中国国民党系の学校だけであったが、1990年代からは、大部分の小中学校で普通話会話の授業を導入している。返還後、政府の会議も、通常普通話の同時通訳が用意されるようになった。香港では一般的に繁体字で表記されるが、返還後、政府関係の資料は簡体字でも提供される例が増えている。香港では広東語を表記するための方言字も多く使われており、政府が香港増補字符集というコンピュータ用の文字セットを制定している。英語は、イギリスの統治が始まってから1974年までの間、唯一の公用語とされていたが、広東語も事実上の公用語であった。前述の通り英語は、香港返還後も中国語に並ぶ公用語として規定されている。香港はイギリス領(植民地)であると同時に国際自由港であったため社会的上昇の手段として英語の習得は重要であり、英語教育の指向性は高かった。2003年より、学科の内容理解を深めることを目標に、中学・高校で広東語を用いて授業を行うことを奨励する政策(母語教学)を実施しているものの、英語力が低下するおそれがあるため、数多くの保護者に歓迎されていない。歴史上の経緯から、香港で使われている英語はイギリス英語の影響を強く受けている。そのため、日本でよく目にするアメリカ英語による表記と比べて、例えば下記のような違いがある。(詳細は、イギリス英語、アメリカ英語の項を参照)広東語以外には、標準中国語、客家語、潮州語、上海語、閩南語などのほか、香港手話を母語とする人たちがいる。外国出身者では、タガログ語、インドネシア語、ヒンディー語、韓国語、日本語、タイ語などを母語とする人たちが比較的多い。かつてイギリスを宗主国としていたことから、香港には本名とは別に英語名を持つ者が多く存在する。これは、例えば「陳(チャン・Chan)」と「張(チャン・Cheung)」のように漢字の人名が、たった26文字のアルファベットを用いる英語を母語とする者にとって識別が困難であったり、また区別して発音しにくいものであったりするため、個人識別の補助手段としてイギリス人が現地の使用人や生徒などに名付けたのが起源であるとされている。香港人の名乗る英語名のほとんどは、役所への届け出を経て名付ける正式な名前では無く通称のようなものである。例外として、漢字圏以外に出自を持つ香港人が漢字名と外国語名を共に正式な名前とする場合などがある。IDカードやパスポートなどへの記載は各自の選択に任されている。それ故、自由に名乗り、名乗ることをやめたり改名したりすることができる。香港人の英語名は、学校で英語の授業を受ける際に教師などによって名付けられたり、家庭によってはそれ以前の幼少期から本名と並んで名付けられたりする。ほかに、欧米人とのビジネスの機会が多いなど、仕事上の必要に応じて自ら名乗るケースもある。もちろん、その者の社会的な地位や考え方などによっては英語名を持たない場合もあり得る。具体的な名乗り方は、多くの場合「英語名-姓」の順である(例:陳港生(本名)=ジャッキー(英語名)・チャン(姓)/日本ではジャッキー・チェン)。会話上では英語名のみで呼び合うことが多い。ビジネスの名刺など、漢字名と姓名のアルファベット表記を併記する場合は、漢字で本名を記載し、それに併せて「英語名-名(または名のイニシアル)-姓」(例:張卓立・Charles C.L. Cheung)と記載する。姓を中央に配置した表記も見られる。欧米圏の言語を母語としない者が欧米風の名を名乗る以外のケースにクリスチャンネームがあるが、前述のとおり香港人の英語名はこれとは別の由来によるものが多く、英語名を名乗っていることとその者の信仰には関係が無い場合が多い。もっとも、実際のクリスチャンネームをそのまま使用している人もいる。香港人の中には花の名前やトマトやフルーツなど野菜や果物の名前などを英語名として使っている者もいるし、自分の本来の名前を英訳したものを英語名としている者もいる。また英米人に限らず、フランス語圏やスペイン語圏、ポルトガル語圏など、非英語圏の欧米人の名前を英語名(ここまで来れば、もはや英語名とも言えないが)として使用する者もいる。日本ブームにのり、一部の親日香港人の間で、日本風の名前を「英語名」にする例も見られる。香港在住の回族にはアラビア語名(キリスト教徒のクリスチャンネームに相当)を名乗るものもある。(例:王国力(本名)=アリー(アラビア語名)・ワン(姓))中国本土・台湾や朝鮮半島、ヴェトナムも含めた漢字圏では香港の影響からか、香港以外でも英語名など欧米風の名を名乗る場合があるが、それらの多くは自称である。学年度は9月に開始され7月までの2学期制で、1学期目は9月から1月で、2学期目は2月から7月までとなっている。2006年、香港政府は幼稚園児を持つ家庭への「学券」(教育バウチャー)の配布を発表した。当初は、非営利の幼稚園に限定するとしていたが、営利の幼稚園や子供をそこに預けている人々からの反発を受け、政府は2007年9月以前に限って時限適用することを発表した。イギリスの制度に準じ、初等教育6年間、中等教育7年間(前期中等教育3年間、後期中等教育2年間、予科2年間)となっている。義務教育は、初等教育と前期中等教育の合計9年間で、その間の授業料は無料となっている。2009年以降初中等教育は基本無料となっている。英語、中国語(広東語)、数学と通識教育(日本の社会科に相当)は後期中等教育の必修の科目。政府認可を受けた法定大学(公立)が8校ある。1911年に創立された香港初の総合大学であり、香港で最も評価が高くアジアでも有数の大学である香港大学や、1963年に3学院の合併により設立された香港中文大学が国際的に著名である。長らく香港の大学は、この2校だけであった。その後1984年に香港城市大学、1991年に香港科技大学、1994年に香港理工大学と香港浸会大学、1999年に嶺南大学が成立した。新設された香港科技大学以外は、いずれも既存の学院からの昇格である。ほかに香港公開大学がある。2006年12月、樹仁学院が正式な大学への昇格を認可され、香港初の私立大学(政府からの資金援助を受けない)である香港樹仁大学となった。大学以外の高等教育機関としては、法定学院(公立)が2校(香港演芸学院、香港教育学院)、註冊専上学院(私立)が2校(珠海学院、明愛徐誠斌学院)ある。詳細は中国語Wikipedia「」の項を参照。2000年からは「副学士」制度が導入された。アメリカのコミュニティー・カレッジが授与する準学士や日本の短期大学士に相当するが、香港では大学などが実施する2年もしくは3年のコースとして実施されている。3+3+4学制は、返還後、董建華行政長官が推進したの一環である。中等教育における予科(2年間)を廃止し、1年間ずつ後期中等教育と大学に振り分ける。その結果、前期中等教育が3年間、後期中等教育が3年間、大学が4年間となる。新制前期中等教育は2006年度から、新制後期中等教育は2009年度から、新制大学は2012年度から開始される。改革の理由は二つある。従来の予科の教科内容が専門的かつ高度すぎ、むしろ大学入学後に学習するのが適切な部分が多いとの批判があった。3+3+4学制のほうが、アメリカ合衆国など主要な諸外国の教育制度と親和性が高いとされた。後期中等教育(日本の高校に相当)から理科系と文科系に分かれるため、前期中等教育の3年生で選択が求められる。従来の後期中等教育修了テスト「香港中學會考」と予科修了テスト「香港高級程度會考」は、「」に一本化される。映画産業がイギリスの植民地時代から盛んであり、すでに映画制作事業から撤退したがゴールデン・ハーベスト(嘉禾)などの大手映画制作会社の本拠地があるなど、広東語圏における映画産業の一大拠点として君臨しているだけでなく、日本や台湾と並びアジアの映画産業における中心の一つとなっている。1960年代から現在に至るまで、ブルース・リー(李小龍)、ジャッキー・チェン(成龍)、チャウ・シンチー(周星馳)、チョウ・ユンファ(周潤発)など、多くの世界的に有名な映画スターを生み出したほか、チャウ・シンチー(周星馳)、ジョン・ウー(呉宇森)など、その個性が広く欧米諸国においても認められた才能ある映画監督を輩出しており、かけての世界の映画・映像文化への独自の貢献には目をみはるものがある。広東語圏内のポピュラー音楽の流行発信地の一つとして、アジア圏内で人気が高い多くのアーティストを多数輩出している。粤劇や国楽の演奏団や、ロックバンドBEYONDや、イギリスから伝わったバグパイプの楽団などの特徴ある音楽団体も多い。アメリカやイギリスのポピュラー音楽の人気も高いが、日本人歌手、アーティストも安定した人気を保っており、CDショップにはJ-POPのコーナーもある。2006年7月10日から7月13日にかけて、香港文化中心 (Hong Kong Cultural Centre) と香港市民大会堂 (City Hall) で、国際青少年合唱祭がアジアでは初めて開催された。東京と並ぶアジアにおけるファッションの発信地として君臨しており、上海灘、ジョルダーノ、ジョイスなどの有名ブランドやセレクトショップのほか、アラン・チャン(陳幼堅)やジョアンナ・ホーなどの世界的に著名なデザイナーやクリエイターを多数輩出している。地元デザイナーやブランドが多数存在する上、中国本土やアジア諸国など広大なマーケットがあることから、香港ファッションウイーク(香港時装節春夏系列/秋冬系列)や香港国際毛皮時装展覧会(香港ファーファッションフェア)などのファッション関連のフェアやトレードショーなども定期的に行われている。九龍の尖沙咀にある香港芸術館 (Hong Kong Museum of Art) や、新界の沙田にある香港文化博物館 (Hong Kong Heritage Museum) などの美術館や博物館では、新旧の作家の作品を鑑賞することができる。香港の各地にも個人や法人の経営などによるギャラリーが点在しており、湾仔の香港芸術中心 (Hong Kong Arts Centre) では最近の作家を中心とした現代美術作品の展示が行われている。貿易都市である香港にはクリスティーズやサザビーズといったオークション会社がアジアでの本拠を構えており、美術市場が形成されている。隣国の中国をはじめとして、日本や台湾などの東アジア、東南アジア、ヨーロッパ、北アメリカなどから集められた古代から現代美術に渡る幅広い作品が集積している。2年に1度、香港の美術の祭典である「香港ビエンナーレ」が開かれる。イタリアのヴェネツィアで2年に一度開かれる「ヴェネツィア・ビエンナーレ」にも、香港出身のアーティストによる作品が出展される。香港の著名な作家としては、トリコロールのシートを使用した作品で知られるスタンレー・ウォン(又一山人)や、グラフィックデザイナーのアラン・チャン(陳幼堅)などが挙げられる。特にアラン・チャンは日本の三井住友銀行のロゴなど、香港以外での企業CIやインテリアをデザインしていることでも知られる。香港発のデザイン情報誌『Idn』が発行されるなど、香港はアジアの中でも美術に関する意識は比較的高い位置にあると考えられる。香港は広告産業が盛んである土地柄、香港の美術は各種コマーシャルと密接に関わりがあることも多い。香港の生活や歴史、文化などからインスパイアされた作品が多いが、ヨーロッパや日本、アメリカなどの文化から受けた印象を作品に反映させる例も多く見られ、貿易都市ならではの一面もうかがわせる。香港のサブカルチャーは貿易都市として東西の文化が入り交じりながらも、香港の生活や歴史を反映した独自のコンテンツも多く、多彩な一面を見せている。1990年代の後半から、造形作家のマイケル・ラウ(劉建文)やエリック・ソー(蘇熏)、鉄人兄弟(鐵人兄弟:brothersfree)などを筆頭としたフィギュアなどの立体造形作品が隆盛した。日本では渋谷系文化の一端として紹介された。現在の香港では特に日本文化からの影響とその人気は大きい。これは元々香港で放送されているテレビ番組などで、日本のアニメーションやドラマなどのコンテンツが数多く提供されていることが考えられ、特に若年層の生活様式やファッションなどにも多大な影響を与えている。2000年代に入り高速通信網の整備が進み、YouTubeやニコニコ動画といった動画サイトなどIT技術の発達により、香港では日本における最新コンテンツとの親和性はますます高くなっている。また日本では主にアニメや漫画、ゲームなどのコンテンツを指す総称としてMAG(Manga・Anime・Game)と言う言葉が作られたが、香港ではこれに相当するものとしてACG(Animation・Comic・Game)がある。日本のアニメーションや漫画などの秋葉系と呼ばれる萌え文化を題材とした各種ファンイベントや同人誌即売会も香港各地で数多く開かれており、大規模なものは九龍の九龍湾国際展貿中心(KITEX)で開催されている。また毎年夏と冬に東京ビッグサイトで開催される世界最大の同人誌即売会であるコミックマーケットなどを筆頭に、日本国内各地で開かれる各種即売会へ直接出向いて参加する者も増えている。加えて、台湾や中国本土の主に広東省広州などで開かれる日本のサブカルチャーをテーマとした同人誌即売会へ参加する者も多く、逆に台湾や広州の者が香港の同人誌即売会へ赴く例も多い。最近では漫画やアニメの舞台となった土地を巡る、いわゆる聖地巡礼を目的として日本国内を観光する者も数多くいる。香港独自のコンテンツとしては、中国の歴史を基本とした武侠映画やアクション、黒社会などを題材とした香港コミックス(香港漫画)があり、分業制で制作される劇画調のスタイルが特徴である。近年では『時空冒険記ゼントリックス(時空冒險記ZENTRIX)』や、マクダルシリーズに代表される香港製アニメーションも幾つか制作されている。香港でサブカルチャーを題材とした見本市は、毎年夏に香港島の湾仔にある香港会議展覧中心で開かれている香港動漫電玩節(ACGHK)がある。香港でのサブカルチャー文化の消費を支えている地区は主に香港島の銅鑼湾地区や九龍の旺角地区、新界の沙田地区などで、この界隈にはこれらの商品を取り扱う店舗が多く出店し、中には旺角の信和中心など専門店街やショッピングセンターを形成している箇所も見受けられる。香港の国内オリンピック委員会 (NOC) である香港体育協会及びオリンピック委員会は大陸のNOCである中国オリンピック委員会とは別個に国際オリンピック委員会の承認を得ている。このため香港のスポーツは1997年に香港が中国に復帰してからも、大陸のスポーツから完全に独立しており、国際大会には「中国香港 (Hong Kong, China)」として出場する。大陸で盛んな卓球などのスポーツでは、代表選手の選抜が大陸より容易であるため、香港へ移住して出場する選手も少なくない。香港出身のオリンピック金メダリストはヨットミストラル級の李麗姍(リー・ライ・シャン)選手のみである。近年に香港で行われる大規模なスポーツイベントとしては、「香港セブンズ」と呼ばれる7人制ラグビーの大会や、市民約3万人が参加するスタンダード・チャータード香港マラソンなどがある。香港はイギリス植民地であった影響から競馬が盛んである。このためウマの輸出入に対する検疫の制度整備は大陸より進んでいる。一方で大陸はこの検疫が厳重であるため2008年北京オリンピックの馬術競技は大陸での開催ではなく、香港の沙田競馬場および隣接施設で開催された。大陸と香港は異なるNOCの管轄領域となるが、オリンピック競技の一部が異なるNOCの領域で実施されたのは1956年のメルボルンオリンピック以来である(競馬に関する詳細については香港の競馬を参照)。2009年には第5回東アジア競技大会が開催された。1965年に香港を代表する花になった洋紫荊は、1880年頃にて香港で発見された新しい品種。1967年に台湾に輸出、1984年には台湾の嘉義市を代表する花にもなった。(台湾では豔紫荊という)仏教・道教、ついでキリスト教徒(1993年ではプロテスタント25万8000人、カトリック24万9180人)が多い。道教に根ざした思想や風習が広く市民の間に浸透している。関帝や天后など道教の神を祀った寺院(道観)が、中心部・郊外を問わず、各所に建てられている。近代的なビルの一角やオフィス、店舗の片隅に関帝が祀られていたり、路傍などに土地神を祀る小さな祠がしつらえられていることも多く、そこには多くの場合、線香や供物が絶やさず供えられている。イギリスによる長年の統治の影響により、キリスト教も比較的広く信仰されている。歴史的な建造物であるものから雑居ビルの一室のものまで含めた各宗派の教会や、キリスト教系の団体を母体とする福祉施設や学校などが数多く存在している。ほかにも仏教寺院やイスラム教のモスク、日本の宗教団体の施設などもある。香港では外食産業が発展しており、世界各地の料理を出すレストランが庶民向けの安価な食事を出す店から世界的に名を知られる高級レストランまで、さまざまなものが存在する。広東、潮州、四川、上海、北京、台湾、マカオ、客家、日本など、世界各地方の料理を出すレストランが香港中にあるが、このうち約8割が広東料理のレストラン(酒楼)である。このほか海の幸を専門に取り扱う海鮮料理店が西貢などに多数存在し、日本人にも人気がある。椒鹽排骨、豉椒炒蜆、金銀蛋莧菜、咕嚕肉などは代表的な香港料理だと言われている。香港政府観光局では毎年「Best of the Best - 香港料理大賞」を開催して、料理界の盛り上げに一役買っている。日本料理は比較的古くからも高い人気を保っており、在留邦人向けでなく、地元住民を主なターゲットとした寿司屋やラーメン店、居酒屋などが数多く存在する。日本料理店は大きく2種類に分けられ、日本人の経営者もしくは料理人がいる日本料理店と、香港人による「日式」と呼ばれる「日本風」の料理を出す店がある。在港日本人に人気があるのは当然前者であり、日本企業間での接待の場所、各方面の在港日本人会の会合場所として利用されるが、価格は日本国内と同等あるいはそれ以上である場合が多い。後者の評判は日本人の間ですこぶる悪く、もっぱら香港人の舌に合う料理として、香港人の間ではやっている。イギリス統治時代の影響から、欧米の料理にも人気があり、イタリア料理やフランス料理、ドイツ料理などのヨーロッパ各国の料理の人気も高い。香港では、古くから、イギリスの植民地であったインドから働きに来ていた人も多く、インド料理店も各地にある。家政婦や警備員、IT関連の職種に従事するためフィリピンやインドネシア、タイなどからやってきている人たちも多く、これらの国の料理を中心としたエスニック料理店も多く、輸入食材を扱う店もあちこちにある。ベトナム料理店や韓国料理店も多くある。日本のインスタントラーメン会社・日清食品が製造販売する袋麺『出前一丁』は1969年から香港に輸出販売され、1985年に香港に現地法人による工場を建設して『出前一丁』の現地生産を開始、香港による日本ブランドのインスタントラーメンではトップシェアを誇っている。そのためか、香港での『出前一丁』のフレーバーは日本で販売されている物よりラインナップが多い。香港では、「茶餐廳」と呼ばれる洋風または香港風の軽食を出す店が至る所にあり、チェーン店も存在する。各種ファストフード店や、「餅店」と呼ばれるケーキ屋やパン屋も香港中で見ることができる。コンビニエンスストアでも軽食を買える。かつて多かった屋台は衛生上制限を受け、決められた場所でまとまって営業をしているにとどまる。マクドナルド、ケンタッキーなどの米系ファストフードのほか、吉野家も数多く出店しており、日本国内とほとんど変わらない味を日本より安価で提供している。日本の菓子(零食や点心()と呼ばれる)の人気も高く、コンビニエンスストアやスーパーマーケットでは「ポッキー」や「コアラのマーチ」、「かっぱえびせん」などの日本直輸入や現地生産の日本ブランドの菓子を多く見かける上、「零食物語/OKASHI LAND」や「優の良品/AJI ICHIBAN」など、日本語表記の菓子チェーン店も存在する。香港では、特に中心部の市街である香港島北部において、山がちで狭い地勢からヴィクトリア湾沿いに超高層建築が林立している。1972年に建てられた中環のジャーディン・ハウス(怡和大廈/Jardine House: 地上52階建/高さ178.5m)を皮切りに、現在では世界第4位の高さを持つ西九龍 (West Kowloon) 地区ユニオンスクエアの環球貿易広場(International Commerce Centre:地上118階建、高さ484.0m)や、2003年竣工でシーザー・ペリ設計による国際金融中心・第二期(地上
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。