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ブルーフラール

ブルーフラールは、日本の競走馬である。1985年の中山大障害(春)に優勝した。1982年9月に阪神競馬場で初出走を行い、1着のカツラギエースから3.6秒差の13着に敗れたが、3戦目で初勝利を挙げた。その後は芝短距離を中心に9戦したが4着が最高であり、最後の平地出走となった1983年10月の400万以下競走では21頭立ての最下位に沈んだ。その後栗東の橋口厩舎から美浦の大久保勝之厩舎に転厩。翌年より障害競走に転向した。1984年3月に中山競馬場の障害未勝利で障害戦初出走。14頭立ての最低人気だったが、レースではスガノキングに半馬身差で勝利。単勝273倍の高配当となった。続く障害400万以下でも10頭立ての9番人気ながら2着に1馬身半の差をつけて連勝した。オープン入り後4戦は、2度最下位となるなど振るわず、続いて出走した秋の東京障害特別は中段後方から直線やや伸びて4着。中山大障害は中段につけたが、最後伸びを欠いて優勝したライバコウハクから2.6秒差の5着となった。年が明けて1985年1月の障害勝入では9頭立ての7番人気だったがピーチシャダイから0.1秒差の2着と好走。メジロアンタレス、シノンシンボリ、オキノサキガケなどの有力馬に先着した。続く東京障害特別(春)では道中先行から襷を過ぎて一旦先頭に立ち、その後先に抜け出したピーチシャダイからアタマ差の2着となった。そして3月の障害オープンでオキノサキガケにハナ差凌いでオープン初勝利を挙げた。春の中山大障害は10頭立てで行われ、レースはまず単勝1.6倍の圧倒的1番人気ライバコウハクが逃げ、2番手ブルーフラール、そしてメジロアンタレス、ピーチシャダイの順で進んだ。そして大竹柵でまずライバコウハクが躓いたが、体勢を立て直し、続く3頭も飛越。しかしその後方にいたバウンスポート、ナックルフォンテン、エイティレオ、ダイナドルフィンの4頭が人馬転倒し、オキノサキガケ、スマッシングダイナも躓いて騎手が落馬、全て競走を中止した。残った4頭のうちブルーフラールはいったん最後方に下がったが、大土塁を越えて徐々に進出し、直線を向いて逃げていたライバコウハクをかわし、半馬身の差をつけて優勝した。牝馬としては1972年秋のマスヒロ以来13年ぶりの優勝となった。その後は成績が低迷し、秋の大障害は後方から伸び切れず5着、1986年の東京障害特別(春)は優勝したハクホウダンディから9.9秒差の6着、中山大障害(春)も完走馬としては最下位の6着と大敗し、5月の障害勝入で4戦連続となる6着に敗れ、これを最後に引退した。翌年より繁殖入りしたが、初仔のブルーカナリア(父ターゴワイズ)が1勝したのみで、活躍馬を出すことはなかった。1995年7月をもって転売不明となっている。

出典:wikipedia

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