徳島海軍航空隊(とくしまかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。戦闘機専修搭乗員の教育を推進するため、実用機練習を推進した。しかし決戦体制に移行した昭和20年3月以降は、特攻実施部隊となって沖縄戦に参加した。 開戦直後からの南方侵攻作戦は順調に推移し、戦線の拡大にともなって航空隊の増設が急がれた。そこで昭和16年に完成した徳島県板野郡松茂村の徳島飛行場に練成航空隊を開き、戦闘機の実用機訓練隊として徳島空を開隊した。しかし昭和19年に入ると、偵察専修生の初歩訓練部隊に改変され、やがて低速の白菊による特攻作戦に従事するようになる。白菊隊は高知海軍航空隊との連合隊で、沖縄戦後期に特攻作戦を実施した。 土浦海軍航空隊より予科練丙飛第6期30名入隊、第23期飛行練習生として訓練開始。 夜間特攻訓練を開始。6月の段階で白菊隊は全滅し、徳島の本隊も稼動機は払底しており、以後は航空隊としての活動は皆無に近い。連合軍の接収を経て、民間と海上自衛隊が共用飛行場として活用されている。同じく海軍の小松島海軍航空隊跡地を活用する小松島航空基地は徳島基地より7年後の昭和40年に設置した。小松島の部隊が災害救難を主とした実戦部隊であるのに対し、徳島の部隊は当初より第202教育航空隊を主力としており、離着陸訓練が頻繁に行われる。このため、民間航空機の就役数は四国最低にもかかわらず、トータルの離着陸回数は四国随一となっており、訓練の激しさを伺わせる。にもかかわらず、平成17年には50万時間無事故記録を達成し、更新を続けている。
出典:wikipedia
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