清水 健太郎(しみず けんたろう、1952年10月11日 - )は、日本の歌手、俳優。愛称はシミケン。株式会社オフィスKS所属。嘗ては、株式会社田辺エージェンシーや株式会社ニューセンチュリーレコードに所属していた。1952年(昭和27年)、福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)に生まれる。足利工業大学卒業。芸能界入りする前の1973年(昭和48年)には、自動車を運転中に歩行していた女性を轢いてしまう死亡事故を起こしている。この事故では、業務上過失致死の容疑で現行犯逮捕され、起訴後に罰金15万円と免許停止180日の行政処分を受けた。学生時代、北九州市小倉魚町の東映会館前でスカウトされ上京。TBSの若者向け情報番組『ぎんざNOW!』の1コーナー「素人コメディアン道場」に、大学の後輩である清水アキラが出場しものまねを披露する際、バックでギターを弾いていたのが好評を受ける。1975年から『ぎんざNOW!』で木曜日のコーナーを担当し、そのアイドル的なルックスで大きな話題となる。1976年11月にデビュー曲「失恋レストラン」(作詞・作曲:つのだ☆ひろ)がリリースされ、翌1977年にかけて爆発的な大ヒットとなる。その後も「帰らない/恋人よ」「遠慮するなよ」「泣き虫」などのヒット曲を飛ばした。1977年12月31日に『第19回日本レコード大賞』最優秀新人賞を獲得するなど、同年の新人賞受賞を総ナメにし、さらに『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。歌手活動と並行し、ドラマ『太陽にほえろ』で俳優としてもデビュー。『ムー』『ムー一族』などにも出演した。また、アイロンパーマをかけてから髪を短くカットする「健太郎カット」が当時の男性の間で流行した。しかし、人気の絶頂が過ぎた1983年に大麻取締法違反で逮捕される(起訴猶予)。皮肉にも、『Gメン'82』で刑事役を演じていた最中での逮捕であった。1985年にはアメリカ人モデルと結婚するが、1986年にも同じく大麻取締法違反で2度目の逮捕(懲役1年執行猶予4年の有罪判決)。また、アメリカ人モデルとは1991年に離婚している。以後はテレビなどの表舞台から遠ざかり、『雀鬼』の桜井章一役などオリジナルビデオ作品を中心に仕事をするようになる。1994年、大麻取締法違反及び覚せい剤取締法違反で3度目の逮捕。懲役1年6月の実刑判決を受けた。この時もドラマ『横浜心中』で刑事役を演じていた為、出演が予定されていた『雀鬼・外伝 東海道麻雀無宿』は加納竜が代役として出演した。出所後はどこからも声がかからず、本人も役者の道に戻れるとは思っていなかったため、飲食店で皿洗いのアルバイトをしていたところ、夜通し働いているのを知った先輩俳優の岡崎二朗が、「こんなに頑張っているんだから、何とかしてやりたい」と、業界関係者にかけあい、芸能界復帰がかなった。なお、出所の際に兄貴分の安岡力也から私的制裁を受け、肋骨を折られている。復帰後は主に暴力団の組長役が当たり役となり哀川翔、竹内力と並んで“Vシネマの帝王”と呼ばれるまでになった。特に1998年からの『首領への道』シリーズはヒットとなり、ビデオ販売に大きく貢献した。また、青少年向けの薬物防止の講演も行い、「僕の歯は全て入れ歯です」などと自身の経験を踏まえて薬物の恐ろしさを説いていた。また、4時間超の長編アダルトビデオ「さすらい 愛が泣いている」(AV監督・村西とおる)にも出演した。2002年には22歳年下の女優・森香名子と結婚し、公私ともに順調に見えていたが、2004年4月に離婚。同年5月29日、覚せい剤取締法違反で4度目の逮捕。芸能界で親しい間柄だった安岡力也や梅宮辰夫も厳しい非難のコメントを出した。8月9日に実刑2年4月の判決を受け、群馬県前橋刑務所に収監される。2006年5月に仮釈放となった。仮釈放後は身元引受人の新日本キックボクシング協会市原ジム(千葉県市原市)会長・小泉猛の元に住み込み、再起に向け体を鍛錬する日々を送る。一方で、2007年3月22日に日本テレビ系列の特別番組『あの人は今!?』で約3年ぶりにテレビ出演し「失恋レストラン」を披露した。同年4月、格闘家としてのデビューを発表し、俳優の押尾学にキックボクシング対決を申し込むが、押尾は「自分は格闘技観戦は好きだが、戦う根性はない」といった内容の文章を自らのブログに掲載し対戦を拒否した。また、2度の未成年喫煙の発覚で事務所との契約を解除された加護亜依に対し、「覚醒剤で何度も逮捕された自分よりはやり直しがきく」とエールを送っている。2008年1月31日、記者会見にて芸能界への復帰を表明。看板シリーズ『首領への道』の原作家である村上和彦を後見人とし、一か月ごとの覚醒剤定期健診を条件に、俳優・歌手業の再開を宣言したものの、どこのプロダクションも清水を獲得しようとしなかった。2008年2月6日、宮川賢司会のラジオ番組『バツラジ』に出演し、薬物の怖さを語った。薬物に手を出したのは「大事なものが何なのかまだわかっていなかった」と言い、薬物から抜け出すには「その人(自分)を心配してくれる人がいたら止まる(やめる)んじゃないか」と語った。2008年10月27日午後に東京都台東区の交差点で乗用車を運転中、自転車で交差点を横断していた男性と衝突し、軽傷を負わせそのまま逃走。3日後、警察に出頭し逮捕。自動車運転過失傷害と道交法違反の罪で起訴され、2009年1月28日に懲役7ヶ月(求刑懲役10ヶ月)の実刑判決を受けた。このとき実刑を言い渡した秋吉淳一郎裁判官は「事故が警察ざたになれば芸能活動再開の支障になるとの身勝手な理由で逃走した」と非難している。2010年8月18日に覚せい剤取締法違反(使用)容疑で逮捕。薬物関連容疑での逮捕は5度目。2010年11月1日に東京地裁で開かれた公判では「刑務所を出た時は薬物をやめられたと思い違いをしていた。振り返ると、これまではやめる努力をしたことがなかった。今回は薬物依存という病気を治すことに専念する」と述べた。同年11月16日、懲役1年10月(求刑懲役2年6月)の実刑判決が下され、弁護側・検察側とも控訴せず確定。2012年7月に出所し、支援者とともに社会復帰を目指していた。2013年5月22日午後6時ごろ、東京・渋谷区の路上で足下をふらつかせながら歩いているところを警察官に職務質問され、尿検査を受けたところ合成麻薬「α-PVP」を使用した疑いの成分が検出されたため2013年6月6日に麻薬取締法違反(使用)容疑で逮捕。「α-PVP」は以前は合法ドラッグとして流通されていた物だが、2013年3月に厚生労働省が麻薬として指定した物である。薬物関連容疑での逮捕は6度目。前述の芸能界入り以前の業務上過失致死容疑の逮捕を含めると通算8度目の逮捕となったが、6月24日に処分保留で釈放され、7月3日には不起訴処分が決定した。2013年7月9日午後11時ごろ、台東区にある自宅マンションから「ハーブを吸って吐き気がする」と119番通報があり、30代の知人男性と共に都内病院へ搬送された。搬送時には軽度の意識障害があったが、病院で意識と体力の回復を待って帰宅した。2013年10月11日、61歳の誕生日を迎え、台東区根岸の歌謡曲カフェ「Lover's」で誕生日パーティーと記念ライブを開催。「失恋レストラン」など15曲を披露し「最近は薬も、運転もしていません」と自虐ネタを交えながら、映画監督として再起を果たしたい意向を語った。2014年10月10日、個人事務所の社長を務める18歳年下の女性と三度目の結婚を発表。約11年ぶりとなるアルバムCD「リスタート(再起動)」をリリースした。その後、埼玉や大阪でライブを行い、10月29日にはSoundScanの週間チャートで「リスタート(再起動)」が96位になったことを自身のブログで発表した。『ぎんざNOW!』出演時は、同じく準レギュラーだった小堺一機に対して、よく物陰で腹にボディーブローを入れるなど、「かわいがり」を行っていたという。小堺は後年、関根勤との「コサキン」でのラジオ番組で、その際に清水が発した「小堺〜、腹殴らせろぉ」との口ぶりが「ほら貝〜、腹殴らせろぉ」にしか聞こえなかったとのエピソードを話題にしている。大滝詠一が清水用に曲を書いたが、清水には提供されず「ロンリー・ティーンエイジ・アイドル」と言うタイトルで西田敏行に提供された。
出典:wikipedia
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