フィル・ゴフ(Phil Goff、本名:Philip Bruce Goff、1953年6月22日 - )は、ニュージーランドの政治家。オークランド市長(第2代)。元ニュージーランド労働党党首(第12代)。オークランド出身。パパトェトェ高校卒業。家庭が貧しかったため16歳で実家を離れ冷凍倉庫会社での季節労働や掃除夫をしながら大学へ進学。1973年にオークランド大学バターワース賞(法学)を獲得し上席研究員として政治学を教える。1975年から1979年までオークランド大学講師。1979年にオークランド大学政治学修士号を取得。1980年から1981年までの2年間、保険労働者協会の組合員として労働組合の仕事に従事する。1969年、16歳の時にニュージーランド労働党に入党。党内の仕事に従事し1981年の総選挙にロスキル地区より出馬し初当選を果たす。1984年の総選挙でニュージーランド労働党は政権を奪還し、ゴフは住宅大臣・雇用大臣として初入閣する。1987年の総選挙後は青少年問題担当大臣 兼 観光大臣に就任し、その後、教育大臣に就任する。1990年の総選挙ではロジャーノミクスの失態によりニュージーランド労働党は大敗しゴフ自身も議席を失う。1991年から1993年までオークランド工科校(現在のオークランド工科大学)に職位を得て上席講師に就任。1992年、英国連邦奨学生としてオックスフォード大学ナフィールドカレッジ留学中に総選挙に再出馬する意向を持つ。1993年の総選挙で政界へ復帰。ヘレン・クラークがニュージーランド労働党新党首に就任。クラークはゴフを法務報道官に起用する。この頃より党内反主流派と行動を共にし1996年にはクラークの党首辞任を要求する。クラークは党首に留まり側近たちはゴフの更迭を要求するもクラークはゴフの更迭を見送る。1996年の総選挙ではニューリン地区より出馬し当選するも比例名簿入りは見送られた。 1999年の総選挙でニュージーランド労働党は政権を奪還しゴフはマウント・ロスキル地区(選挙区名変更)から出馬し再選を果たす。クラークはゴフを外交貿易大臣 兼 法務大臣に起用する。2002年より環太平洋問題担当大臣を兼務する。2005年にウインストン・ピータースが外務大臣に就任したため国防大臣 兼 貿易大臣 兼 軍縮管理担当大臣 兼 貿易交渉担当副大臣に就任する。2008年の総選挙でニュージーランド労働党は野党に転落しクラークは党首を辞任。労働党議員総会を経て、2008年11月11日に第12代ニュージーランド労働党党首に就任。しかし国民的な人気を博するジョン・キー国民党党首を前に劣勢な状況は続き、2011年の総選挙で労働党は9議席を失う。同年11月29日の労働党議員総会を経て、同年12月13日付けで労働党党首を辞任すると発表した。党首辞任後は労働党防衛担当報道官 兼 貿易担当報道官 兼 民族問題担当報道官 兼 退役軍人担当報道官 兼 外交問題担当副報道官に就任した。2010年11月の行政区画再編後、初代オークランド市長を務めたレン・ブラウンが二期目の任期満了後に退任を発表。ゴフは2015年11月に翌2016年10月に投開票されるオークランド市長選挙へ出馬する意向を正式発表した。2016年10月8日の同選挙では圧倒的な知名度で圧勝し、第2代オークランド市長に当選した。
出典:wikipedia
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