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中根正親

中根 正親(なかね まさちか、1890年10月16日 - 1984年8月16日)は、中根式速記法の創案者。学校法人両洋学園創立者。要体教育と呼ばれるユニークなアイディアを取り入れた学習法の研究と実践をはじめ、時代をリードする斬新な教育活動に生涯を賭けて打ち込んだ熱血校長。生徒からライオン校長の異名で畏敬された。現役校長70年間の経歴はギネスブック級の超人的記録。1966年(昭和41年)には京都新聞五大賞「第一回教育賞」を受賞。弟に東京の中根速記学校を創立した中根正雄がいる。中根正親は1890年(明治23年)10月16日、長崎県島原市の城下町(現在の島原市2261番地)に、元島原藩士・中根正秀、母・てふの長男として生まれた。旧制長崎中学を卒業後、単身上洛し翌年、京都三高理科甲類に学び、更に京都帝国大学工科大学土木科に進んだ。1914年(大正3年)、京都大学在学中、23歳の若さで画期的な速記法の新案発明をし、京都速記学校を創立、速記の改良と普及は、弟・正雄に任せ教育界に転身、1915年(大正4年)に京都市左京区聖護院に京都正則予備学校を開校し学校長に就任、以来1983年(昭和58年)5月、両洋高等学校(現京都両洋高等学校)長を退職するまで、70年の長きに亘って終始一貫学校長としての生涯を貫徹した。速記法の発明は、インツクキ法や逆記法など日本語の特徴を生かした、これまでにない便利なもので速記術のスピード革命であったため、中根式速記法として一世を風靡した。日本の文字文化史上、類例のない偉業であった。中根式速記法は以来今日までおよそ90年以上の永きに亘り常に速記界をリードし、多くの人々に恩恵をもたらし、日本の文字文化の向上に多大な貢献をした。京都正則予備学校は1918年(大正7年)、両洋学院と改称され、1925年(大正14年)に両洋中学となり、1953年(昭和28年)、学校法人両洋学園として幼稚園から高等学校に至る総合学園に発展した。この間、中根正親は終始一貫学園長として教育現場の第一線に立ち、類例のない誇り高き熱血校長として学園の経営に全身全霊で取り組んだ。学生時代には日本語の講義を英語で筆記するなどの奇才を発揮した中根正親は、速記法の発明をはじめとする諸々のアイデア教育、学生演劇の指導、ヴァイオリン演奏や吹奏楽団の指導など、多方面に亘って独創的な新境地を開くユニークな教育活動を実践した。特に教育法の研究には力を入れ、学習苦に悩む青少年のために学問の王道を求めて「要体教育」と呼ばれるユニークなアイディアを取り入れた学習法を創案・実践し、1947年(昭和22年)、両洋新教授法研究所を設立して研究活動に邁進した。その研究活動の多くの業績の中から一例を挙げると、1918年(大正7年)、京都帝国大学言語学会における英語の解析訳法の発表、1922年(大正11年)、文部省、1925年(大正14年)、文部省及び教育審議会、1982年(昭和57年)、英国エジンバラに於ける国際応用心理学会での発表など、各方面に大きな足跡を残した。中根正親は「東西文化の融合は日本民族の世界史的使命である」との信念に基き、国際社会に雄飛する東西文化の体得融和者の育成を両洋学園の建学の使命とし、多くの人材を育成した。例えば、1925年(大正14年)と1926年(大正15年)の2回に亘って2名の留学生を英国に派遣したのをはじめ、朝礼時などの号令に英語を採用したり、他校に先駆けて大正時代から折り襟・ネクタイの制服を取り入れるなど、常に進取の気象に富んだ教育活動を実践した。また早くから学園の門戸を広く開放し、経済的に就学困難な苦学生を受け入れ援助したり、戦前、台湾や朝鮮の海外出身者を快く引き受け、それぞれの国に約1000名の卒業生を出すなど、肉親も及ばない仁愛の精神に基き国家内外の子弟の育成に奮戦し、カナダの聖公会牧師・中山吾一、神風串呂の創始者三浦芳聖(共に両洋学院時代の卒業生)をはじめ多くの人材を輩出した。途中、1934年(昭和9年)の室戸台風禍により校舎倒壊焼失・生徒21名死亡という不幸な出来事や、第二次世界大戦による物心両面にわたる痛手など多くの苦難を経験したが、忍耐強い明治人の気骨を以って一つ一つ確かな足取りで克服した。1952年(昭和27年)9月23日、日本速記発表70周年記念式典で、中根式創案者として表彰され、1966年(昭和41年)には京都新聞五大賞「第一回教育賞」の栄誉に輝き、また1982年(昭和57年)10月28日、日本速記百年記念式典に於いて表彰された。   元来、日本文化は輸入文化、模倣文化。民族精神は独立でも文化は従属、借りものである。これを逆転して主導自立の文化にすることが、明治百年を迎える日本民族の心意気であり、悲願でなければならぬ。/微力の両洋学園が、五十年の長期にわたり建学の使命として、新教育樹立のため、学園の運命を賭して、研究実績に全力を傾注してきたのもその淵源は、実はここにある。その所産たる要体教育なる新理論は厳然たる科学性に立脚、世界のマンネリズムを強力に破砕する。/およそ、今日の文化はアイディアの競争、新しいアイディアによって文化は向上し、世界は変動する。/われらは、教育に関し日本人の創成した新しいアイディアの見本として、敢えて自薦、世界の教育アイディアに挑戦する。(「両洋学園教育革新宣言要体教育」1968年(昭和43年)11月2日発刊の京都新聞より)要体教育とは、学習苦に悩む者のために、如何に労苦を少なくして能率的に学習させるかを研究した教授法・学習法・記憶法のことで、その範囲は多岐にわたっているので、一口で定義することは難しい。参考のために「要体教育に関する創案項目」を掲げた。1968年(昭和43年)11月2日発刊の京都新聞第5面より。番号は便宜的に付した。

出典:wikipedia

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