笠原 将生(かさはら しょうき、1991年1月9日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(投手)。父は元プロ野球選手の笠原栄一。福岡ソフトバンクホークスに所属する笠原大芽は弟。埼玉県浦和市(現:さいたま市)で生まれ、福岡県福岡市育ち。保育園時代は隣家に大道典嘉が住んでいた。小学2年生から香椎浜サンダースで野球を始め、中学校は地元を離れ全国的な強豪校である明徳義塾中学校に進学。3年時に4番・左翼手として第27回全国中学校軟式野球大会で優勝。高校は、地元福岡の福岡工大城東高に進学。当初は一塁手であったが、1年秋から投手に転向。3年時の夏は、福岡県予選準々決勝で沖学園高に敗退。全国大会出場は果たせなかったが、父親譲りとされる肘の柔軟性と、190cmの長身から投げ下ろす直球が高い評価を受ける。10月30日、プロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから5位指名され、11月18日に契約金3500万円、年俸480万円(金額は推定)で仮契約した。チームメートとなった笠原に対し大道は「まだ保育園児だった子と一緒にプレーすることになるなんて」と驚いた。は二軍の開幕投手を務め、イースタン・リーグで13試合に先発した。シーズンオフには台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた。も二軍で先発ローテーションに入り、公式戦初完封勝利をマークするなど安定した成績を残した。オフには球団初のプエルトリコウィンターリーグへの派遣メンバーに、同僚の辻内崇伸、小野淳平、朝井秀樹とともに選ばれた。は二軍の開幕戦で先発。4月20日に初めての一軍昇格を果たした。4月26日に9回の救援として一軍初登板を果たした。最初の打者を空振り三振に仕留めたと思いきや、投球動作が止まったと球審に「イリーガル」を宣告された。 仕切り直しても、また空振り三振。1安打は許したものの1回を3奪三振で抑えた。5月3日の広島東洋カープ戦でプロ初先発。父・栄一は13試合に先発した経験を持ち、親子での先発登板は史上初。この試合で前田智徳に適時2塁打を打たれるなど4回で降板しているが、父・栄一も2月24日のオープン戦で前田と対戦していることから、親子2代で同一打者との対戦となった。5月3日の先発登板の後、ファームでの調整を経て9月12日の広島東洋カープ戦にプロ2度目の先発登板で6回無失点の投球を見せ、味方の援護もあって父がプロ生活12年で成し遂げられなかった初勝利を挙げた。はロングリリーフ要員として初の開幕一軍を果たした。その後も、先発と中継ぎで合計4勝を挙げた。も同様のポジション(先発・ロングリリーフもこなすビハインド中継ぎ)として起用されており、先発が崩れていた5月中盤には連投し、更に登板を回避した菅野智之に代わる先発や、内海哲也・杉内俊哉とエース級の投手がゲーム序盤で危険球退場のアクシデントに見舞われた後、スクランブルでロングリリーフをして試合を作り、原監督から高い評価を受けた。オフの10月21日に、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された事が発表された。はリリーフで20試合に登板。10月5日、球団が福田聡志が野球賭博に関与していた事を発表。その時点で笠原は、福田を賭博常習者と疑われている知人に紹介したものの直接賭博には関わっていないとされたために告発対象にはなっていなかったが、その後球団から告発を受けて調査していた日本野球機構(NPB)の調査委員会は10月21日の中間報告で、笠原と松本竜也も野球賭博に関与していたと発表した。さらに笠原は福田と共に知人男性と賭け麻雀やバカラなどの賭博を行っていたことも明らかにされている。福田とは最も仲が良く、読売ジャイアンツ球場の練習から帰る際には一緒のことが多かったという。球団は11月9日に契約解除の方針を決定。翌11月10日にNPBの熊崎勝彦コミッショナーは福田、松本とともに無期失格処分とすることを決定、黒い霧事件以来の野球賭博による処分となった。処分後は軟式野球チーム・Naughtyに所属し、11月29日の試合に登板した。ポジションは投手で、背番号は17。2016年4月29日、前述の野球賭博問題による賭博開帳図利幇助容疑で警視庁に逮捕された。最速151km/hの威力のある直球を軸とし、カーブ、スライダー、シュート、フォーク、チェンジアップを投げ分ける。一方変化球の制球に難があった。
出典:wikipedia
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