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桜井政博

桜井 政博(さくらい まさひろ、1970年8月3日 -)は、日本のゲームクリエイター。ゲーム制作会社有限会社ソラの設立者で代表。『星のカービィシリーズ』と『大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ』の生みの親で、主にディレクションを手がける。東京都武蔵村山市出身。幼少期からコンピュータゲームを嗜んでおり、雑誌のインタビューで、5歳頃にパドルコントローラでボールを跳ね返すテニスゲームを遊び、その物理法則を無視した世界観に「すごい!」と思ったと述べている。中学生になると貯金をためてファミリーベーシックを購入。ビデオゲームを作る楽しさを教わった、とも語っている。ゲーム制作への関心は人一倍強かったものの、中学卒業後はおぼろげな専門家という職業への憧憬を抱いて電気工学系の高等専門学校に進学した。しかし次第に高専での授業と自分自身の描いていた将来とのギャップに気付き始め、自分の見通しの甘さを省みて、改めて進路を考え直すことにした。純粋な興味の強さ、また1988年3月にセガ主催のファンタシースターIIストーリー募集キャンペーンでゲームシステム大賞に思いがけず入賞した経緯もあって、ゲームクリエイターを志すことを決心して高専を中退、普通高校に編入した。高校在学中はアルバイトをしながら資金を貯め、それをゲームソフトの購入に注ぎ込んでひたすら研究をした。後にこれがきっかけで現在も膨大な数のソフトを買い、遊ぶ(研究する)習性がついたと語っている。研究したゲームソフトの中で、HAL研究所制作の『ガルフォース』の作り込まれたエンディングを見た桜井は、そこから制作者の熱意と信念を汲み取り、高校卒業後の1989年に同社へ入社した。入社してまもなく社内で募集された「だれもが楽しめるゲームの企画」から構想を練っていったのが、その3年後の1992年、当時22歳にして初のディレクターを務めたゲームボーイソフト『星のカービィ』である。同作は日本のみならず全世界累計500万本以上を売り上げるヒットとなり、同時にこれが会社の経営危機を救済することにもなる。『星のカービィ』は主役のキャラクターデザインから吸い込み、吐き出し、ホバリングといったゲームシステムの大部分を桜井が企画し、グラフィックを描き起こした。会社再建をかけた次回作『星のカービィ 夢の泉の物語』もディレクターを務め、前作でウィークポイントに挙がった難易度の低さをコピー能力の導入や大幅なボリュームアップで補った。その結果1993年発売時は既にハード終焉期だったにもかかわらず、ファミコン最後のミリオンセラーを達成するほどであった。1996年には、『夢の泉の物語』以来の大幅なシステムとコピー能力の増強を図ったスーパーファミコン用ソフト『星のカービィ スーパーデラックス』を制作指揮した。同作品は宮本茂から「横スクロールアクションゲームで二人同時プレイができるようにしてほしい」との課題を出され制作したもので、ゲームシステムだけでなく、グラフィックも2Dという制約の中で(社員も認めるほど)無駄のない完成度となっており、未だに高い人気を誇っている。1999年に発売されたNINTENDO64用ソフト『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』は、1996年10月当初から4人同時対戦型の体力ゲージの存在しない独特の2.5Dアクション格闘ゲームとして企画していたが、コンシューマの格ゲーはオリジナルキャラクターでは売れないというジンクスがあったため、桜井はマリオやサムスといった任天堂のキャラクターを使用させてもらえないか、本社及び宮本茂らへ交渉しに行った。また上司だった岩田聡の人脈も相当頼っていたようである。発売時は任天堂キャラが殴り合うことに社内で戸惑いもあり、目立ったメディアへの露出はされなかった。しかし自らが「スマブラ拳!!」なるオフィシャル攻略サイトを立ち上げたり、口コミが広がったことで、本作は最終的に国内で200万本近いメガヒットを記録した。桜井はこの頃から「ゲームクリエイターとしての制作活動だけでなく、広告含めたユーザーに対する認知・理解のための活動」を強めるとともに「開発者とユーザーのコミュニケーション・双方からの意見交換」に関する活動を積極化させてくる。自身が開いたウェブサイト『スマブラ拳!!』では「アンケート集計拳!!」というある種のメールフォーラムを開き、ユーザーから桜井宛のメッセージを送れるようにするとともに、桜井もそれらの一部に対してコメントを掲示するなどして、双方からの交流を図っていた。下記の雑誌コラムにおいても読者からの手紙への返事や、開発者側としての業界の現状表明などを行っている。なお、桜井はゲーム製作者となった後も、熱心な現役ゲームユーザーであり続けている。ゲーム雑誌『週刊ファミ通』で2003年から連載を始めたコラム『桜井政博のゲームについて思うこと』の内容は今なお現役ユーザーだからこそ書けるという側面があり、さらに連載のきっかけも桜井がオンラインゲーム『ファイナルファンタジーXI』で一般のプレイヤーとして遊んでいる際に『ファミ通』編集者が発見し、桜井だと気づいたのが始まりである。2003年には「売れなかったらダメという責任ある立場で仕事がしたい」「ゲーム業界に貢献したい」という理由でHAL研究所を退社。フリーのクリエイターとして執筆活動やゲーム制作に参加する。2006年、自分の今後を決めるため、ゲームショウであるE3 2006を訪れる。そこで任天堂が「スマブラをレボリューション(Wiiのコードネーム)のWiFi対応タイトルとしてプッシュしている」というニュアンスの発表をしたところ、誤ってスマブラがレボリューション向けに開発中であると伝わってしまう。桜井にとっては寝耳に水であったが、ショウの期間中に社長の岩田聡に呼ばれ、そこで正式にオファーを受け「大乱闘スマッシュブラザーズX」をディレクターとして開発することとなった。2009年1月22日、「スマブラではない特命」を岩田から受け、任天堂の子会社である新会社『プロジェクトソラ』のディレクターとなった。後に作品は2010年6月16日、アメリカで開催されたE3にてニンテンドー3DS『新・光神話 パルテナの鏡』として公開される。2010年、『日本ゲーム大賞』において「ゲームデザイナーズ大賞」を自身が発案。2012年10月頃、右手に石灰沈着性腱板炎を患う。2014年頃には左腕、左肩にも症状が発生し、2015年4月現在も完治していない。これに関連してTwitterでは「#YouCanDoItSakurai」というハッシュタグが出現。世界中から励ましのメッセージが寄せられ、桜井は自身の書籍にて感謝の意を述べている。2015年、『日本ゲーム大賞』において「経済産業大臣賞」を受賞。

出典:wikipedia

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