寺山観音寺(てらやまかんのんじ)は、栃木県矢板市にある真言宗智山派の寺院。高原山の中腹標高450m前後の比較的高い場所に位置する。山号は与楽山、院号は大悲心院。詳名は与楽山大悲心院観音寺と言い、寺山観音寺は通称である。本尊は千手観世音菩薩(国の重要文化財)。寺伝によれば、高原山(最高峰・釈迦ヶ岳1,795m)の一峰・剣ヶ峰(1,540m)の頂上近くに724年 (神亀元年)、 聖武天皇の勅願により行基が建てた法楽寺が始まりであるという。その後法楽寺は803年(延暦22年)雷火により焼失するが、この際、観音堂は焼け残り本尊は安泰であったという。806年(大同元年)、平城天皇の勅願により、徳一が本尊を現在の地に移し、七堂伽藍を建立し現在の寺山観音寺に至るという。本尊は秘仏であり、60年に1回、甲子年の旧暦9月10日より7日間のみ開帳される。正治2年(1200年)頃、法橋行縁が入寺し、荒廃していた観音堂を中興した。寺山観音寺縁起によれば、法橋行縁が荒廃していた寺山観音寺の観音堂を修造・中興したのは、正応6年(1293年)10月18日(修造開始)から正和2年(1313年)10月17日(修造終了)のこととしている。しかし、その縁起では、行縁は北条時政により遣わされたとされ、年代的に符合しない。その一方で、寺所蔵の木造行縁僧都坐像(栃木県指定有形文化財)の胎内の墨書銘には、「正治元年(1199年)己未十月十八日始之、正治二年(1200年)庚申十一月十七日修理之也」と記されており、北条時政により派遣されたという伝承とも年代が符合し、縁起に記された中興年は「正治」と「正応・正和」の年号が、何らかの理由で誤って伝わった可能性が大きい。寺山観音寺の縁起に次のような記述がある。当山二七フシギ(不思議)アリ。第一霊湯、第二牛石、第三白土、第四赤根土、第五青ノリ、第六盗賊不入、第七バン字水夏冬絶エズ、是ハ寺山七不思議ト申シツタワルナリ。寺山観音寺の周辺には、第一に霊湯、第二に牛石、第三に白土、第四に赤根土、第五に青ノリ、第六に一度も盗賊が侵入しない不思議、第七にバン字池の水が年中絶えない七不思議があると伝えている。詳細には次の通りである。
出典:wikipedia
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