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電力ビル

電力ビル(でんりょくビル)は、仙台市青葉区にある複合ビル。仙台市都心部のビジネス街である東二番丁通りに面して建ち、東北電力の関連会社である東日本興業が所有・運営し、オフィス・商業施設・コンサートホールなどが入居している。電力ビルは、東を国道286号(東二番丁通り)、北を仙台市道青葉1170号・広瀬通2号線(広瀬通)、西を仙台市道青葉1233号・大町五丁目新丁線(1.5番町)、南を仙台市道青葉1229号・一番町大町線に囲まれるブロックの南側半分以上を占めて建つ百尺規制時代のビル。本館・別館・新館の3つに分かれている。エナジースクエア完成前は、東北電力の本店ビルであった。本館のグリーンプラザや電力ホールなどの集客装置、あるいは、多くのバス系統が集まる「電力ビル前」バス停留所などにより、仙台市民にとっては知られたビルである。古くからの仙台市民にとっては、高度経済成長前にあたる1960年(昭和35年)の完成当時、北日本最大規模の床面積を誇る9階建ての電力ビルは、2階建て程度の建物しかなかった当時の東二番丁通りにおいてランドマークとなった。また、1970年代半ばまで市内の高級ホテルの1つとして君臨し、現在は廃業してしまったグランドホテル仙台も、電力ビルの存在を知らしめたものであった。本館内1階には東西に通り抜けられる通路があり、「電力ビル前」バス停と一番町との間のショートカットとして利用されている。ポピュラー音楽やクラシック音楽のコンサートホールとしての利用や、民謡、日本舞踊、演劇、バレエなどの興行、あるいは、講演会など幅広く利用されている多目的ホールである。仙台市都心部における民間のホール・劇場としては歴史が長い部類に入る。「仙台電力ホール」と案内されることも多い。東北電力の関連会社である東日本興業が運営している。「ワンフロア構造」であるが、客席は7階から8階に及び、天井は9階まで及ぶ。ただし、出入口が7階にあるため、案内では「7階」に所在することになっている。開場当初は座席数が1,380席あった。開業当初は、コンサート開催自体が少ない時代である一方、ラジオやテレビが娯楽として興隆していたため、当ホールではそれらの公開収録の開催が多かった。また、クラシックバレエと古典日本舞踊の開催が当ホールの特徴となっていた。1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催されると、来日する外国人アーティストが増加し始め、当ホールでの開催も増加し始めた。その後、クラシック音楽のコンサートの増加も著しかったが、1980年代になるとポピュラー音楽の開催が目立つようになった。1986年(昭和61年)、当ホールの稼動日数は288日を数えて過去最高となるが、バブル景気と政令指定都市化などをバックに石井亨仙台市長(在任期間:1984年(昭和59年)12月23日 - 1993年(平成5年)7月3日)が箱物行政を行って、仙台に次々と大規模ホールなどを建設していったため、当ホールの地位は相対的に低下していった。2002年(平成14年)、東北電力の本店がエナジースクエアに移転するのに合わせ、大幅なリニューアルを施した。これにより座席数は1,000席に減少したものの、バリアフリー化や改装による施設の近代化がなされた。東北電力グリーンプラザは、東北電力のPR施設および文化施設であり、本館1階に設置されている。エレベーターホールによって大きく「グリーンプラザ」と、「電化ショールーム」および「IHクッキングスタジオ」に分かれる。「グリーンプラザ」入口にはアントワーヌ・ブールデルの彫刻がある。中には一部に「電力情報コーナー」「エネルギーキューブ」といったPRコーナーがあるものの、「プラザギャラリーSおよびN」と「おしゃべりウインドウS」での展示会、「コミュニティールーム」でのセミナー、「アクアホール」での月2回、週末に開催される仙台フィルハーモニー管弦楽団のミニコンサートなど、特に文化施設としての面で市民には知られている。その他、東北電力の営業地域である東北7県(東北6県と新潟県)に関する情報や伝統工芸品の展示コーナー、親子休憩コーナーなどがある。「電化ショールーム」はオール電化住宅の相談窓口、「IHクッキングスタジオ」は電磁調理器のショールームである。「グランドホテル仙台」は、かつて電力ビルの上階に存在したホテルである。1950年代の仙台には、賓客対応が出来るホテルが仙台ホテルと青木ホテルしか無かったため、賓客対応出来る国際観光ホテルとして、グランドホテル仙台が電力ビル開業翌日の1960年(昭和35年)8月5日に7階〜9階の南側部分に開業した。開業日は、仙台七夕(8月6日・7日・8日)の前日に合わせたもの。1962年(昭和37年)、初めて皇族が宿泊した。翌1963年(昭和38年)には天皇および皇后が宿泊し、さらに1972年(昭和47年)には皇太子および皇太子妃も宿泊した。その他、タイ王国の王妃の宿泊実績もある。高度経済成長により、札仙広福(支店経済都市)の1つとして経済的中枢管理機能が高まりつつあった仙台では、ビジネス客も含めた宿泊需要が増大し、1974年(昭和49年)から翌1975年(昭和50年)にかけて、主に地元資本による「第1次大型ホテル開業ラッシュ」が起こった。更に、1982年(昭和57年)6月23日の東北新幹線開業をも見越して、1978年(昭和53年)には中央資本による「第2次大型ホテル開業ラッシュ」も起きた。グランドホテル仙台は、まず「第1次大型ホテル開業ラッシュ」の影響を受けて、1975年(昭和50年)度から稼動率が低下した。「第2次大型ホテル開業ラッシュ」の到来時にはさらなる業績悪化が予想され、1976年(昭和51年)に電力ビル7階を占めていた不採算部門のバンケットなど(大宴会場・結婚式場・売店)を廃止した。しかし、宿泊に特化したにも関わらず、1982年(昭和57年)の東北新幹線開業効果での業績回復が出来ず、翌1983年(昭和58年)3月31日を以って廃業した。ヒートアイランド現象対策として、屋上緑化がなされている。屋上緑地の名称は「D-ガーデン」。入居企業の関係者のみ利用可。屋上には鉄塔や機械室が入る塔屋もある。

出典:wikipedia

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