杉谷 拳士(すぎや けんし、1991年2月4日 - )は、東京都練馬区出身のプロ野球選手 (外野手、内野手)。北海道日本ハムファイターズに所属。練馬区立大泉西中学校時代は東練馬シニアでプレーしていた。杉谷の一歳上の兄・翔貴(東京農業大学生物産業学部硬式野球部を経て、現在は旭鋼管工業軟式野球部に所属)も進学していた名門・帝京高校で1年生からセンスを買われ正遊撃手を任され、甲子園には春夏通算で3度出場した。夏の第88回選手権大会では準々決勝・智弁和歌山高校戦の大逆転した直後の9回裏に監督の前田三夫から度胸を買われ投手として緊急登板もしているが、先頭打者に死球を与えてしまいわずか1球で降板となり、結果的に敗戦投手となった(詳細は『第88回全国高等学校野球選手権大会智辯和歌山対帝京』を参照)。なおこの模様は、2016年放送のMステにもこのシーンが起用されている。夏には外野のレギュラーに昇格した兄の翔貴と共に連続出場し、前年と同じベスト8に進出。2年生の時の秋からは主将に就任し、スイッチヒッターへ転向した。東東京大会では優勝した関東一高に敗れ、3年時は甲子園出場は無かった。高校通算25本塁打。高校卒業後の進路は社会人野球に決まっていたがプロが諦めきれず日本ハムの入団テストを受け合格、2008年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから6位で指名され11月11日に契約金1,000万円、年俸450万で仮契約した。なお、この年の同ドラフト会議では杉谷の帝京高校の同級生の高島祥平も中日ドラゴンズに4位で指名されている(高島は2012年に戦力外通告を受けて引退している)。は1年目から二軍で打率.269と、高卒ルーキーとしてはかなり優秀な数字を記録した。にイースタン・リーグで133安打を打ち、1998年に高梨利洋(ヤクルトスワローズ)が打ち立てた同リーグのシーズン安打記録を12年振りに更新したほか、リーグ3位の打率.313、本塁打6、打点52、盗塁22とリーグトップレベルの成績を残した。2日間だけ一軍登録もされるが、出場機会は無かった。6月29日に一軍初出場を果たした。田中賢介の故障離脱で空いた二塁手のポジションをボビー・スケールズらと争い、7月2日の西武戦では3打数2安打2盗塁の活躍で初のお立ち台にも上がった。また、7月21日のフレッシュオールスターゲームで優秀選手賞を受賞している。シーズン後半は外野手としても起用し、先発起用の際は主に二番打者を任され閉幕まで一軍に帯同した。打席数の増加とともに打率は落ち最終的には50試合で打率.185に終わった一方で、走塁面では7盗塁をマークし足でもアピールした。この年も二軍では打率.336をマークしており、二軍レベルからは完全に脱した。は田中の復帰でまた開幕二軍となったが、6月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で小谷野栄一の負傷により途中出場し、川井貴志からプロ入り初本塁打を記録した。この杉谷の本塁打はその試合におけるチーム唯一の安打でもあった。7月14日の楽天戦にて自身初の猛打賞を獲得した。8月8日の福岡ソフトバンクホークス戦には同点で迎えた9回裏二死一、二塁に代打で出場し、森福允彦から左中間を割るサヨナラ適時二塁打を放った。田中の負傷後は主に二塁で西川遥輝と併用され、主に相手の先発が左のときに出場し58試合で打率.235、2本塁打12打点という成績だった。は開幕一軍入りを果たす。二塁に西川が定着したため、糸井嘉男がオリックス・バファローズに移籍して抜けた右翼のレギュラー候補として序盤はスタメン起用されたが打率1割台と低迷し、一軍と二軍を往復することになった。結局、55試合で打率.199に終わった。も開幕一軍入りは果たし、自身最多の87試合に出場したが打率が伸び悩み.203に終わった。は、杉谷にとって大ブレイクの年となった。序盤から主力の陽岱鋼がケガで離脱し、陽の穴を埋めるように中堅・右翼を中心に先発出場する機会を増やした。交流戦終了時点で規定打席未到達ながら打率.322、盗塁6、さらに一時は交流戦で首位打者に立つなど打撃面で大きな飛躍を見せた。特に課題としていた左打席の打率を大きく上げ、年間成績で3割に乗せた。最終的に規定打席に満たなかったが、自己キャリアハイの打率.295をマークしている。より背番号が「61」から「2」へと変更された。杉谷はパンチ力よりもシュアな打撃と俊足・堅実な守備・リーダーシップが大きな武器で、高校2年の冬に右打ちから両打ちに変更した。ポジションは主に二塁手だが、三塁や外野も守るユーティリティープレイヤーでもある。二軍では遊撃も守っている。2014年以降は外野での出場が多い。父の杉谷満は函館市(旧南茅部町)出身の元プロボクサー(協栄ボクシングジム所属)で、日本フェザー級王座獲得ならびに同級での世界挑戦も経験した。杉谷は非常に明るい性格でもあり、日本ハムのOBで野球解説者の岩本勉から「うるさ杉谷」と呼ばれるほどのいじられキャラでもある。2011年の春季キャンプ中には、『報道ステーション』(テレビ朝日)内スポーツコーナーの特集企画「規格外」にて、大声を上げて打つという点をキャスターの栗山英樹(当時)に取り上げられた。なお、栗山とは後に日本ハムの監督と選手という関係として再会することになる。2011年まで日本ハムに在籍したダルビッシュ有にはまだ「すぎや」は早いということで「すぎたに」と呼ばれていた。元チームメイトの木田優夫が『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』の生放送当日に、杉谷が木田の元を訪ねてきて勝手に付き人兼運転手として帯同しフジテレビに入ってしまったという。日本ハムでは1年先輩の中田翔の「世話役」として、主に中田にいじられることが多い。自身のSNS上で中田との写真を公開するなどお互いに気心の知れた関係である。また、珍しい所では球団の枠を飛び越え、敵地・西武プリンスドームでの試合前での打撃練習中に同球場のウグイス嬢からもいじられている。なお、西武プリンスドームのウグイス嬢による口撃は2014年9月から行われているが、そのきっかけは杉谷が知人団体の同球場での観戦に際し、リクエストしたことである。2015年より『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』内の1コーナー、「リアル野球BAN」にとんねるずの石橋貴明率いる石橋JAPANの一員として参加している(ちなみに、石橋は杉谷の帝京高校野球部の先輩でもある。)。ゴルゴ松本と共にTIMのネタを披露したり、対戦相手として出演している先輩の中田に対し暴言を吐くなど、明るいキャラを生かし活躍を見せている。理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボして、2007年より毎年の最新ヘアデザインのモデルを若手選手の中よりファン投票にて選出している企画「ファイターズスタイル」の2011年度モデルに選ばれた。
出典:wikipedia
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