株式会社シントクは、かつて東京・秋葉原を中心に4店舗を展開していた家電量販店。1993年(平成5年)に特別清算を申立て、倒産した。シントクは1933年(昭和8年)に創業、1955年(昭和30年)に株式会社新徳電気商会を設立し、新徳電気、シントク電気、シントクと社名を変更してきた。当初は重電関連を扱っていたが秋葉原の盛況とともに家電販売に転じ、JR秋葉原駅前の中央通りに面した一等地に地上9階、地下1階建ての本店を構え、長らく秋葉原の家電量販店群の一角を成していた老舗である。外国人観光客向け免税品販売にも注力し、1984年には中央区日本橋箱崎町の東京シティエアターミナルにも出店した。秋葉原では本店のほかに電気街口の南側にシントクエコー店を擁し、最盛期の1989年2月期には102億円を売り上げるまでに成長した。しかし、それまで売上げを牽引していたAV機器・高級家電の不振に加え、郊外型量販店やディスカウントストアとの競合による秋葉原の集客力の低下、さらにはメーカー販社がヘルパー(派遣店員)やリベートの圧縮策に転じ、家電販売の収益は低下していった。そうした1989年の状況のなか、シントクは業界に先立って非家電業態への転換を推進。シントクエコー店の4階を玩具売り場に改装し、さらに10月31日、本店の一軒おいた隣に非家電分野中心のホットリスト(HOT LIST)を開店した。若者や女性をターゲットに輸入雑貨やプレイガイド、美術品まで手掛けた新業態店であり、中堅家電量販店の生き残り策として注目された。しかし、目標としていた年商30億には届かずホットリストは失敗、全面改装して1991年9月1日にAVソフト専門店に衣替えし、1992年10月10日にはセガ・エンタープライゼス(現:セガ エンタテインメント)と業務提携して本店をゲームセンターに業態転換。翌1993年1月にはドラッグストアを開店してチェーン展開に乗り出すなど、非家電部門の強化と事業の多角化を推し進めていった。このように非家電業態への転換と多角化を急いだ背景には、1991年3月にメーカー販社からのヘルパーが全廃になったことが大きいといわれている。本店のゲームセンターは当初の売上予測を上回り好調であったが、度重なる店舗の改装投資の負担が重くのしかかっていた。一方で本業の家電販売は2年連続の冷夏による夏物商品の不振など長引く家電不況で売上げが低下、ヘルパー廃止による人件費の増大が追い討ちをかけ、資金繰りが悪化した。借入金の増加でまかなっていたが、ついに金融機関の支援を得られなくなり、1993年10月13日に63億円の負債を抱えて東京地方裁判所に特別清算を申立てて倒産した。家電量販店大手各社がそろって非家電部門の強化を図っていた当時、秋葉原の量販店のなかでも特に非家電部門に力を入れていたシントクの倒産は同業者に衝撃を与えた。シントクが倒産して間もなく、同じく秋葉原で家電量販店「ヒロセムセン」を展開する広瀬商会の廃業も報じられ、秋葉原の集客力低下の話題が当時のマスメディアを賑わせた。
出典:wikipedia
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