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河合純一

河合 純一(かわい じゅんいち、1975年〈昭和50年〉4月19日 - )は、静岡県浜名郡舞阪町(現・浜松市西区)出身の元競泳選手。日本パラリンピアンズ協会会長。先天性ブドウ膜欠損症のため生まれつき左目の視力はなく、右目の視力も非常に弱かった。3歳の時に手術を受けることにより右目は一時わずかながらも視力を取り戻したが、15歳には右目の視力も完全に失い、全盲となる。筑波大学附属盲学校高等部を経たのちに早稲田大学教育学部に入学、卒業後は母校でもある舞阪町(現・浜松市)立舞阪中学校に赴任した。舞阪中学校を2年間休職し、早稲田大学大学院教育学研究科学校教育に進学・専攻後、舞阪中学校に復職。2008年(平成20年)、静岡県総合教育センター指導主事として着任。2010年(平成22年)7月に実施された第22回参議院議員通常選挙に、みんなの党公認で静岡県選挙区から出馬するが、落選。2012年(平成24年)12月に実施された第46回衆議院議員総選挙に、みんなの党公認で静岡7区から出馬するが、再び落選。2013年(平成25年)7月に実施された第23回参議院議員通常選挙に、みんなの党公認で比例区から出馬するが、またも落選。生まれた頃は右目の視力しかなかった。5歳から水泳を始め、トレーニングを続け17歳の時にバルセロナパラリンピックに出場、銀メダルを2枚、銅メダルを3枚獲得した。 その間、15歳のときに全盲になる。早稲田大学入学後もトレーニングを続け、アトランタパラリンピックでは50m自由形B1、100m自由形B1で初の金メダルを2枚と銀メダルと銅メダルを1枚ずつ獲得した。教員となってからも、シドニーパラリンピックで金メダル2枚、銀メダル3枚、アテネパラリンピックで金メダル1枚、銀メダル4枚、銅メダル1枚獲得し、全盲の50m自由形の3連覇を成し遂げた。4連覇がかかった北京パラリンピックではスペインのエナメド・エナメドに敗れ銀メダルに終わり、他種目も銅メダル1枚に終わった。2016年、IPCからパラリンピック殿堂入りを果たす。2009年(平成21年)11月、天皇陛下御在位二十年記念式典に出席した。同式典では、今上天皇と皇后が関心を持つ分野の代表者の一人として、河合が紹介された。彼の半生を綴った「夢追いかけて」は映画化もされ、自身が本人役を演じたほか、三浦友和、田中好子、船越英一郎などが出演、少年時代の彼は勝地涼が演じた。

出典:wikipedia

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