天山丸(てんざんまる、Tenzan maru)は、鉄道省の関釜航路の鉄道連絡船。天山丸型の第1船である。中国西部の天山山脈の名をとり命名。関釜連絡船には金剛丸型(金剛丸・興安丸)が1936年 - 1937年に就航していたが、日本軍や満蒙開拓団などを乗せて大混雑に見舞われていた。そこで、新たに金剛丸型とほぼ同一の天山丸型4隻の建造が決定される。日中戦争と、それに続く太平洋戦争の影響で軍艦建造が優先される中、第1船の天山丸は三菱長崎造船所第880番船として1940年(昭和15年)11月19日に起工し1941年(昭和16年)8月8日に進水、1942年(昭和17年)9月10日に竣工。第2船の崑崙丸は天山丸よりおよそ1年半ほど遅れて起工し1943年(昭和18年)3月に就航したが、第3・4船の建造は中止された。金剛丸型とほぼ同じ姿であるが、船体は一回り大きかったという。しかし、戦時色が濃くなってきたこともあり、船体は連絡船標準色には塗られず、灰色一色の戦時警戒色であった。1945年(昭和20年)7月28日午後2時頃、退避のため大社港から隠岐諸島へ航行中、西ノ島三度崎灯台沖でアメリカ軍戦闘機のロケット弾の攻撃を受け炎上。沈没は免れたが機関室が破壊され、自力航行できなくなる。修理のため曳航されていたが、7月30日午前5時30分頃、日御崎沖約26キロ地点付近で浸水し、沈没した。アメリカ側の記録では、沈没緯度経度はとしている。
出典:wikipedia
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