アルドラゴンとは日本の競走馬である。元JRAの栗東・昆貢厩舎所属、2008年にNAR・兵庫県競馬に移籍して園田・田中範雄厩舎の管理馬。おもな勝ち鞍に、名古屋大賞典(JpnIII・2007年)、六甲盃、兵庫大賞典、園田金盃(いずれも2008年)がある。2003年12月7日、阪神競馬場の2歳新馬戦でデビュー勝ちを収める。その後一貫してダートレースに出走し、2007年1月7日の門松ステークスを制してオープン入り。ダートグレード競走初挑戦となった同年3月28日の第30回名古屋大賞典で、5番人気ながらブルーコンコルド・チャンストウライらを退けて重賞初制覇を飾ったが、JRAでのレースでは精彩を欠き、11月17日のトパーズステークス(10着)を最後に中央競馬登録を抹消、兵庫県競馬に移籍する。JRA時代は初期から中期までは主戦騎手は定まっていなかったが、2006年に藤田伸二を主戦に据えた。2007年以降は四位洋文らが騎乗したものの、再び主戦騎手を定めていなかった。アルドラゴンはJRA時代はゲートで躓く癖もあった。移籍後初出走となった2008年2月22日のオープン特別競走で快勝すると、続く3月6日の六甲盃で2着に5馬身の差をつけ圧勝、兵庫県重賞初制覇となった。連覇を懸けて挑んだ3月20日の名古屋大賞典はメイショウトウコンに半馬身差で惜敗するも改めて底力を誇示した。さらに5月5日の兵庫大賞典も快勝した。2008年に西日本で初となる地元・園田競馬場でのJBC開催に向けては、当初はJBCクラシックに参戦する意向であった。ところが夏期休養明け初戦となる9月18日の1400メートル競走で、兵庫の短距離ナンバー1と目されていたベストタイザンに7馬身の大差をつけて圧勝したことで、陣営は急遽JBCスプリントへの参戦を決意する。白山大賞典を回避し、臨んだ本番の11月3日、JBCスプリントでは7番人気と低評価であったが、スタート直後から終始3番手の好位置をキープし、逃げ切ったバンブーエールから0.5秒差の3着と健闘、圧倒的な1番人気に推されていたブルーコンコルド(4着)に先着した。翌12月4日の園田金盃は圧倒的1番人気に応えて6馬身差の逃げ切り勝ち、同25日の兵庫ゴールドトロフィー(JpnIII)では、JBCクラシック2着のスマートファルコンに4馬身差の差をつけられ完敗したが、過去同レースで地元馬最高となる2着に入った。2009年は3月20日の黒船賞(JpnIII)から始動したが、4着だった。連覇を懸けて挑んだ5月5日の兵庫大賞典では1番人気に支持され、チャンストウライ・ベストタイザンとの兵庫三強対決となったが、惜しくも3着に敗れた。続く5月27日のさきたま杯では7着だった。その後、7月1日の園田フレンドリーカップに勝利した。続く7月16日のオッズパークグランプリは3着に敗れるも、8月20日の摂津盃では1番人気に応えて快勝した。その後休養を挟んで12月の特別戦に勝利し、2009年シーズンを終えた。2010年は白銀争覇から始動したが2着に敗れた。その後、近畿・中国・四国交流特別と六甲盃を連勝した。続く3月22日の黒船賞(JpnIII)では4着だったが、地元兵庫に戻り兵庫大賞典、A1特別戦、園田フレンドリーカップと再び連勝した。7月15日のオッズパークグランプリではキングスゾーンを抑えて優勝。これは兵庫移籍後の兵庫県外での初優勝である。8月11日の摂津盃では木村に再び手綱が戻り、初の59キロも克服して優勝した。その後11月16日の特別戦を勝ち、園田金盃では2着。12月28日の兵庫ゴールドトロフィー(JpnIII)では6着に敗れ2010年シーズンを終えた。2011年はA1特別戦から始動、これを逃げ切り快勝するも兵庫大賞典ではレッドゾーンに完敗の2着。続いて出走したA1特別戦を58キロで優勝し、10歳になってもまだまだやれるところをみせたがその後9月に引退することが発表された。今後はオーナー関連の牧場で余生を送るとのこと。同年10月20日最終競走終了後に引退式が行われた。兵庫県生え抜きの競走馬ではないものの、兵庫県に移籍してからひときわ存在感を増した馬である。地元の園田競馬場においては兵庫県所属馬には無敗であったが、2009年兵庫大賞典で3着に敗れ対地元馬無敗記録は途絶えた。兵庫移籍後は一貫して木村健が主戦騎手(アルドラゴンにとっては2人目の主戦騎手)として騎乗していたが、2010年5月31日以降腰痛のため長期欠場となったことから田中学、下原理といった騎手が代打騎乗をつとめた。2014年の8月30日の手術後に心臓麻痺で死亡
出典:wikipedia
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