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マートルウッド

マートルウッド(、1932年 - 1950年)は、アメリカ合衆国の競走馬、および繁殖牝馬。競走馬として1936年の北アメリカ最優秀短距離馬に選ばれたほか、繁殖成績においても現代まで残る名牝系の一端となった。1979年にアメリカ競馬殿堂入りを果たしている。1932年、ブラウネル・コムズ所有のビライアーファーム(後のジュドモントファーム)でマートルウッドは誕生した。父ブルーラークスパーはベルモントステークスなどに勝った一流の競走馬で、まだ種牡馬入りして間もない新米種牡馬であった。母フリジュールはフランスに渡った名牝フリゼットの産駒の一頭で、競走馬としては一般戦2勝のみに終わったが、マートルウッド以前にもステークス競走勝ち馬を3頭出す優秀な繁殖成績を収めた牝馬である。半姉にブラックカール(テストステークス勝ち)などがいる。マートルウッドは短距離路線において活躍し、その高い競走能力から3歳時にはダート6ハロン(約1207メートル)のアメリカレコードを、4歳時にはデトロイト競馬場の6ハロン戦・1 1/16マイル(8.5ハロン・1710メートル)戦で世界レコードを樹立している。ステークス競走での勝鞍も多く、ホーソーンスプリントカップを1935・1936年で連覇したほか、1936年には同年創設されたアッシュランドステークスに出走し、12馬身差という大差をつけて第1回の優勝馬となっている。また、マートルウッドの戦績中には2度のマッチレースがある。最初のマッチレースは当時の6.5ハロン(約1308メートル)戦のレコードホルダーであった騸馬のクラングが相手で、マートルウッドはこれを1/4秒差で破ってその強さを証明した。しかし、それから17日後に再び対戦した時にはマートルウッドが敗れている。2度目のマッチレースはマートルウッドの引退レースで、相手はインターボローハンデキャップなどの勝鞍がある同じく短距離路線の名牝ミスメリーメントであった。マートルウッドはこれを破り、22戦15勝2着4回の戦績で引退した。後の1979年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館はマートルウッドの競走成績を評価し、同馬を殿堂馬の一頭として選定している。競走生活からの引退後、マートルウッドは牧場に戻って繁殖入りし、生涯で12頭の競走馬を生んでいる。競走馬として活躍した産駒の代表に1939年生のミスドッグウッド(父ブルドッグ)がおり、同馬はケンタッキーオークスなどに勝っている。ほか、1941年生のドゥラズナ(父ブルリー)は2歳時にプライリーステートステークスなどを勝って、その年の最優秀2歳牝馬に選ばれている。競走成績のほか、繁殖成績・牝系として優秀な成績を残した牝馬も多い。ミスドッグウッドからは3頭のステークス競走勝ち馬が出ており、そのうちの一頭シークエンスから出たステークス勝ち馬ゴールドディガーが、後に大種牡馬ミスタープロスペクターの母となっている。ドゥラズナの牝系からは3代先にタイプキャストが、5代先にバーリが出ている。マートルウッドの第1子に当たるクリープマートル(父エクイポイズ)は競走成績こそ1勝どまりであったが、繁殖入りして1948年の最優秀2歳牝馬に選ばれたマートルチャームを出している。牝系としても優秀で、4代先にアメリカ三冠馬シアトルスルー、同じく4代先にイギリス2000ギニー優勝馬ロモンド、5代先にジョリーズヘイローなどがこの牝系に名を連ねている。1950年、マートルウッドは17歳の時にスペンドスリフトファームで死亡した。その遺骸は同牧場内にある、母フリジュールの墓の隣に埋葬された。

出典:wikipedia

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