大迫 勇也(おおさこ ゆうや、1990年5月18日 - )は、鹿児島県加世田市(現南さつま市)出身のプロサッカー選手。ブンデスリーガ・1.FCケルン所属。元日本代表。ポジションはフォワード。全国高等学校サッカー選手権大会における最多得点記録保持者。3歳から加世田市(現南さつま市)のスポーツ少年団でサッカーを始め、主にトップ下でプレーしていた。中学進学前にプロを目指すことを決意。鹿児島城西高校の提携校である鹿児島育英館中学校へ進学した。中学途中からFWに転向する。鹿児島城西高校では1年からレギュラーで活躍し、高校入学と同時にU-16日本代表にも選出された。2007年の2年次にはJFAプリンスリーグU-18九州1部で個人得点ランキング5位の成績を残した。U-17代表候補には選ばれるものの最終選考で落選し、FIFA U-17ワールドカップの出場を逃す。2008年、第61回鹿児島県高校総体サッカー競技大会の決勝で鹿児島実業高校を相手に5ゴールの活躍で優勝。更にJFAプリンスリーグU-18九州1部では8試合で10ゴールを記録し、得点ランキング1位に輝く活躍でチームを優勝へ導く。同年8月の埼玉総体では大会優秀選手の一人に選ばれた。同年9月の高円宮杯全日本ユース選手権準々決勝ガンバ大阪ユース戦ではハットトリックを達成した。同年秋の高校サッカー選手権鹿児島県大会では全5試合で11得点を挙げる活躍で、部史上初の鹿児島県大会3冠(新人戦・高校総体・選手権)の達成に貢献。第87回全国高等学校サッカー選手権大会では初戦から大会史上初の4試合連続2得点を成し遂げる。準決勝でも1得点を挙げ、第78回大会の石黒智久(富山第一)と第82回大会の平山相太(国見)が持つ個人最多得点記録の9得点に並んだ。2009年1月12日に行われた広島皆実との決勝戦でも1大会最多得点記録を更新する10得点目となる先制点を挙げながらも、チームは2-3で惜敗し、決勝戦で涙を呑む結果となった。最終的に10ゴール10アシストの成績を残しチームの準優勝に大きく貢献した。当時のチームメンバーには、大迫希、鮫島晃太らがいる。Jリーグの6クラブが争奪戦を繰り広げたが、大迫自身が「チームの雰囲気が自分の成長に一番繋がる」と判断し、鹿島アントラーズへ入団。鹿島のスカウト担当部長である椎本邦一は、大迫のプレースタイルや総合力の高さから柳沢敦以来の衝撃を受けたと評した。2009年、開幕戦となったFUJI XEROX SUPER CUPのガンバ大阪戦でベンチ入りし、後半44分から途中出場し公式戦デビュー。鹿島において高卒新人選手で同大会ベンチ入りは、中田浩二、青木剛以来3人目、途中出場は青木以来2人目であった。AFCチャンピオンズリーグ2009のグループリーグ上海申花戦では、公式戦初先発でプロ初ゴールを記録した。同年4月12日の第5節FC東京戦でJリーグ初得点を挙げ、鹿島での高卒加入者では1996年の柳沢と並ぶ高卒加入選手のシーズン最多得点(6得点)を記録した。2年目となる2010年は、新人ながらコンスタントに試合に出場し3連覇に貢献したことや、9番を付けていた田代有三がモンテディオ山形に期限付き移籍したこともあり、背番号を34から9に変更。新人が2年目でレギュラーナンバー(11番以内)を付けるのは内田篤人(20→2)に続いて、チーム史上2人目であった。2013年8月7日、スルガ銀行チャンピオンシップのサンパウロFC戦で、プロ入り初のハットトリックを達成。また、同月のリーグ戦で6試合6得点の活躍を見せ、初の月間MVPを受賞。さらに、自己新記録の19得点を挙げる活躍を見せ、Jリーグベストイレブンを受賞した。なおこの年、リーグ戦最終節の広島戦で、プロ入り初の1試合2枚の警告を受け退場した。2014年1月6日、ドイツ2部のTSV1860ミュンヘンへの完全移籍が鹿島から発表され、2017年7月までの3年半の契約を結んだ。移籍後リーグ戦初出場となった2014年2月10日のデュッセルドルフ戦で初得点を決めた。加入当初は公式戦6試合で4ゴールと結果を出したものの、その後チームは低迷、自身も6試合無得点となる。監督交代後は、トップ下で起用されることが多くなるものの5試合2ゴールと復調をみせ、最終的に後半戦全試合に出場し15試合6ゴール3アシストという成績を残した。2014年6月5日、ドイツ1部に復帰が決まった1.FCケルンと3年契約での移籍が発表された。移籍後リーグ2試合目の2014年8月30日・VfBシュトゥットガルト戦で、1部リーグ初得点を挙げた。リーグの終盤戦にかけてチーム事情から2トップに変わり、2トップの一角としてレギュラーに定着した。2015-16年、開幕戦のVfBシュトゥットガルト戦に途中出場して1得点をあげる活躍を見せた。2016-17年、今季初の公式戦となったDFBポカール1回戦では6部のBFCプロイセンと対戦し、途中出場から2得点をあげる活躍を見せた。2016年9月16日、第3節のSCフライブルク戦では1アシストで勝利に貢献した。9月21日、第4節のシャルケ04戦ではミドルシュートを決めて今シーズン初得点。10月20日、ケルンとの契約を2020年6月まで延長することが発表された。2007年のU-17ワールドカップに臨む日本代表の有力候補であったが、城福浩U-17代表監督からはポジションを奪う闘志に欠けると判断され選外になった。2013年7月、東アジアカップ2013のメンバーに選出され、21日の中国戦で代表初出場果たし、25日のオーストラリア戦で初ゴール含む2得点を記録。11月の欧州遠征では、16日のオランダ戦で1得点1アシストを記録した。2014年5月12日、2014 FIFAワールドカップ本大会メンバーに選ばれ、各年代のFIFA主催本大会での代表入りは初選出となった。第1戦コートジボワールと第2戦ギリシャ戦ではスタメンで起用されたが、持ち味のポストプレーは冴えず相手に脅威を与えられないまま両試合とも後半途中に交代。第3戦は出場機会がなく、チームも敗れグループリーグで敗退した。高校時代には、正確な技術と冷静な判断から多くのゴールに絡むオールラウンドな超高校級FWと評されていた。身体の入れ方や手の使い方などが上手く、裏への抜け出し、反転や足の振りなども速い選手である。ヘディングはあまり得意ではない。尚且つ視野も広くパスセンスにも優れているので、くさびの部分から様々な展開が期待でき、所謂ポストプレーからの柔軟性も兼ね備えている。得点後に飛行機ポーズをとりチームメイトを呼び寄せる。139||40||20||12||14||5||173||5753||4||colspan="2"|-||3||0||56||415||6||colspan="2"|-||colspan="2"|-|||15||6207||50||20||12||17||5||244||67その他の公式戦|2009||rowspan="3"|鹿島||34||5||3!通算!!colspan="2"|AFCその他の国際公式戦|-!通算
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