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国鉄117系電車

117系電車(117けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1979年から製造した直流近郊形電車。1979年から1986年にかけて、主に老朽化した153系の代替用として216両が製造され、1987年の国鉄の分割・民営化時には東海旅客鉄道(JR東海)に72両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に144両がそれぞれ承継された。京阪神地区の東海道本線・山陽本線で運行している新快速には、1972年(昭和47年)からそれまでの113系に代えて、山陽新幹線岡山駅開業に伴う山陽本線急行の淘汰で余剰となった153系が投入されていた。153系はこの時点では113系と異なり、既に冷房装置を搭載していたが、製造初年が1958年(昭和33年)と古く、座席がボックスシートであり、並行する阪急電鉄京都線や京阪電気鉄道京阪本線の特急車両がいずれも転換クロスシートを採用していたのに比べると見劣りしていた。また、本来は急行形車両として設計された車両であり、デッキを有する客室構造はラッシュ時の輸送に難点があった。117系は153系のこうした問題点を解消し、かつ、並行私鉄に対抗できる客室設備を備え、京阪神地区の輸送事情に適合する車両として設計された。客室設備は1975年(昭和50年)に北九州地区に投入されたキハ66・67系を基本としており、それまで一貫して車両の標準化を推進してきた国鉄が地域の事情に応じて設計、製造した嚆矢となっている。新造開始後、本系列による新快速には153系時代の「ブルーライナー」に対して、「シティライナー」という新たな愛称が与えられた。さらに、1982年(昭和57年)には東海道本線名古屋地区の快速に使用されていた153系の置換え用として、「東海ライナー」という愛称で名古屋地区にも投入されている。※ここでは0番台製造当時の構造について述べる。全長20 mで、各種の腐食対策が施された鋼製車体に片側2か所の半自動対応の両開扉を設置する。屋根部分は張り屋根となっており、車両妻面上部には押え用金具を確認することができる。車体番号は、車両側面にステンレス製の切り抜き文字を張り付けている。側面のレイアウトは先行するキハ66・67系・阪急2800系などに類似しており、戸袋部を除いて2段上昇式の窓を2セットずつ1組としたユニット窓が並ぶ。このため、窓配置は制御車がd1(1)D(1)2222(1)D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)、中間電動車が2(1)D(1)2222(1)D(1)2という独特の形態である(下図参照)。客用扉窓および戸袋窓に設置するガラスの支持方式を、従来のHゴム式から押え金式に変更した。前面形状も独自のもので、157系に類似する「鼻筋」の通った流線形の構体に高運転台、左右各2灯を腰部に備えた前照灯、中央窓下に設けられた列車種別表示器とタイフォン(警笛)、と従来にないデザインとなっている。塗装はクリーム(クリーム1号)を基本とし、マルーン(ぶどう色2号)の細帯が窓下に入る構成である。このクリームとマルーンの2色塗装は新快速のルーツである急行電車に使用されていた52系や、戦後の1950年(昭和25年)に製造された80系の塗装に類似した、大阪鉄道管理局伝統のカラースキームに則った塗色が選ばれている。従来、国鉄の近郊形電車は電気方式が同じであれば同一の塗装を施すルールとなっていたが、本系列ではそのルールを打破して系列専用色が採用され、以後、105系などで地域固有色が採用される先駆けとなった。冷房装置は国鉄標準のAU75B集中式冷房装置を屋根中央に搭載するが、その前後にキハ183系や781系などと同様に新鮮外気導入装置を設置している。そのため、従来の車両に取り付けられていた押込式通風器は廃止されている。座席は全席転換クロスシートでつり革は一切設けられず、車内妻面の化粧板を木目調の仕上げとして、さらに蛍光灯には乳白色のグローブ(カバー)が取り付けられるなど、近郊形電車としては破格の高級感を演出している。天井は平天井となったが、両隅(荷棚上部)に境目があり角張っている。この処理は製造初年が近い781系や185系も同様であり、本系列以前では新幹線0系や京成旧AE形にも見られた特徴である。また、編成中に1か所、和式便所を備える。なお、当初計画された車体は前面形状が異なり、客用ドアは実際に採用されたものより各々910mm車端寄りにあり、車体塗色は711系に倣い赤2号にクリーム4号で、車端部にロングシート、室内化粧板は薄茶色6号、屋根に押し込み式通風器があるというキハ66に近いものであった。設計当時の標準品を多用しているが、最高速度が従来の近郊形電車の標準である100km/hから110km/hに引上げられた関係から、その多くは上位機種を採用している。MM'ユニットを採用し、M車(モハ117形)には主制御器・抵抗器 (MR136)・集電装置が、M'車(モハ116形)には電動発電機・電動空気圧縮機が搭載される。主制御器は CS43(381系)の流れをくみ、信頼性と保守性を考慮して417系で使用し、実績のあった電動カム軸式の CS43A で、抵抗制御と直並列制御を組み合わせて加減速を行う。勾配抑速ブレーキや条件が整っていれば並列段からの再加速が可能である。当時すでに16 - 17年に亘って増備が継続していた113系では153系と共通のCS12系が、115系では165系と共通のCS15系がそれぞれ最終増備車まで搭載されたが、新形式の本系列には、カム軸機構の改良などにより内部動作の多段化が行われスムーズな加速を可能とした、当時最新のCS43Aが採用されることになった。主制御器1基で2両8基分の主電動機を制御する1C8M方式である。主電動機は当時の国鉄電車の標準機種の一つであり、113系などと共通の直流直巻式整流子電動機であるMT54Dを装備し、歯車比も従来の近郊形と同様の1:4.82とされた。制御用や冷房用電源として、東芝が原設計を担当した電動発電機 MH135-DM92 を採用する。103系や113系・115系などで採用された実績のあるタイプであり、集電装置からの直流1,500Vを電源として三相交流440V 60Hz(定格容量160kVA・4両給電)を出力する。空気圧縮機は、集電装置からの直流1,500Vを電源とした2段圧縮直結駆動式の MH113B-C2000M を搭載する。台車は高速走行時の走行特性やDT24系空気バネ台車を装着していた153系からの置き換えであることなどを考慮し、近郊形標準のDT21系金属バネ台車ではなく、特急・急行形で使用実績のあるインダイレクトマウント空気バネ台車であるDT32E(電動車)・TR69H(制御車)を採用する(右図)。集電装置は設計当時に直流形電車の標準品であったPS16系菱形パンタグラフであるが、アルミニウム製の枠を使用し、湖西線での運用を考慮してばね部分にカバーを施した耐寒耐雪仕様のPS16Jが採用されている。連結器は国鉄標準の柴田式密着連結器を採用するが、153系の運用形態を踏襲し、ラッシュ時に6両編成を2編成組み合わせて12両編成で運用する計画であったことから、増解結作業の容易化のために、連結器には国鉄初となる自動解結装置と電気連結器が採用されている。本系列の編成、および構成する諸形式を以下に示す。本系列は、電動車4両・制御付随車2両によるMT比2:1の6両編成を基本として計画・製造された。これは設計当時における国鉄の標準的な構成である。後年の編成組み換えにより、電動車2両・制御付随車2両による4両編成(MT比1:1)と電動車6両・制御付随車2両による8両編成(MT比3:1)が加わった。本系列においては、各派生番台も含め中間付随車は存在しない。1979年から製造された基本番台である。1979年9月12日に川崎重工業兵庫工場で量産先行試作車となる第1編成6両が竣工し、各種性能試験と習熟運転の合間に鉄道記念日イベントの一環として同年10月13・14日に大阪・京都・神戸・姫路の各駅で車両展示会を開催した。各編成の竣工日とメーカーは以下のとおり。営業運転は1980年1月22日に第1編成を当時運行されていた新快速・快速の内、分割併合を伴わない単独運用に充当する形で開始された。その後は同年3月末までに8編成48両が宮原運転所(現:網干総合車両所宮原支所、以下同じ)に出揃って同数の153系(クハ165形を含む)が捻出され、このうち状態不良の25両を廃車、名古屋鉄道管理局へ19両、長野鉄道管理局へ1両、広島鉄道管理局へ3両をそれぞれ転属し、各局に在籍する153系老朽車との置き換えや車両増に充当された。これにより新快速は本系列8編成、153系13編成となった。さらに同年4月から7月にかけて2期目の置き換え作業が実施され、本系列が13編成新造されて予備編成を含めた新快速運用の必要数である6両編成21本(126両)が宮原運転所に揃ったことで、1980年7月10日には全新快速運用の本系列への置き換えが完了し、1972年3月以来約8年に渡って新快速に使用されていた153系が完全に淘汰された。153系は状態不良車39両が廃車され、27両は名古屋鉄道管理局へ、12両は東京南鉄道管理局へ転属となり、それぞれ153系状態不良車との置き換えが実施された。さらに1982年には、名古屋地区用として、扉の半自動機能使用停止措置(戸閉機械は従来車と同一)および自動解結装置の省略、パンタグラフの暖地仕様化、クハ117形へのトイレの設置など一部仕様を変更の上、大垣電車区に6両編成9本(54両)が投入されている。国鉄の分割民営化直前に実施された1986年11月1日のダイヤ改正にともなう、京阪神地区の新快速増発用および名古屋地区の編成短縮(6両→4両)による快速増発用に投入された増備車である。4年ぶりの増備であることから、その間の技術の進歩や運用実績を反映し、各部の設計が変更されている。主な変更点は以下の通り。本番台車は京阪神地区用に6両編成3本(18両)、名古屋地区用に先頭車のみ18両(クハ117形、クハ116形各9両)、計36両が投入された。クハ117形は、0番台では名古屋地区向けの増備車においてトイレ付きに変更されていたが、京阪神地区向けは従来車に合わせて再びトイレなしに変更された。一方、名古屋地区向け車は従来の6両編成を3両ずつに分割の上、それぞれに新造の先頭車を連結するという方式で投入されることとなった。よって、名古屋地区向けでは全ての編成で1両だけ形態の異なる先頭車が連結されることになった。なお、編成中のトイレを1箇所とするため、クハ117形100番台は京阪神地区向けと同仕様のトイレなしで、クハ116形は京阪神地区向けと異なるトイレなし仕様の200番台として投入された。なお、名古屋地区向けは編成短縮と同時に神領電車区に転属し、中央西線快速の増発にも充てられた。本系列は新造以来国鉄分割民営化まで、京阪神・名古屋両地区において新快速・快速を中心に運用された。国鉄の分割民営化に際しては、京阪神地区への投入車は全車JR西日本に、名古屋地区への投入車は全車JR東海に承継され、両者間でのやりとり(連結・譲受など)は現在まで皆無となっている。2013年(平成25年)3月16日のダイヤ改正で、JR東海所属車は全て定期運用を失い、2013年度中に全て廃車された。JR各社での運用状況は以下の通り。JR西日本発足時、144両(6両編成24本)が宮原電車区に配属されていた。1988年3月13日ダイヤ改正で運用範囲を彦根から米原まで延長するなど勢力を拡大し、翌1989年3月11日ダイヤ改正では朝ラッシュ時間帯に2編成連結した12両編成「新快速」での運転を開始した。しかし、同時にJR221系電車が登場し、徐々に新快速での運用を縮小することとなる。1990年3月10日のダイヤ改正から新快速の最高速度を115km/hに引き上げた。また、新たに福知山線(JR宝塚線)での運用を開始することになり、48両(6両編成8本)が福知山色(クリーム10号に緑14号の帯)に塗装変更された。1991年3月16日ダイヤ改正では早朝深夜を除いて新快速の最高速度が120km/hとなった関係で、新快速運用は米原 → 大阪と大阪 → 野洲の2本のみとなり新快速の運用が縮小したことから、6両編成10本(C11 - C20編成)を8両編成5本と4両編成5本に組み替え、4両編成は奈良線快速に、6・8両編成は米原 - 網干・播州赤穂間の快速列車に充当した。同年9月14日に北陸本線(米原 - 長浜)直流電化が完成したことから、運用範囲が長浜まで拡大している。1992年3月14日ダイヤ改正では、岡山・広島地区の115系非冷房車置き換えと岡山地区の快速「サンライナー」(岡山地区への転用を参照)充当のため岡山電車区・広島運転所(現下関総合車両所廣島支所)へ転属した。サンライナー向けに投入する編成は4両編成であり、その他組み替えで発生した余剰車を115系へ改造し組み込み115系非冷房車を置き換えた(115系3500番台への改造を参照)。これにより、117系として、初めて車両数が減少がした。また、福知山線混雑対策として座席のセミクロス化を行った(300番台への改造を参照)。新快速用に残った117系も、片側2扉という構造で乗客数の増加に対応できず、さらに120km/h運転に対応できないことから日中とラッシュ時の新快速運用への充当が困難になり、1992年3月14日のダイヤ改正以降は新快速運用は原則的にダイヤと輸送力に余裕がある朝晩のみ、それも大阪駅 - 京都方面間限定とした。そして、1999年5月11日のダイヤ改正から新快速の西明石 - 草津 間130km/h運転開始に伴い、定期新快速運用が終了した。2016年現在、原形をとどめるのは、吹田総合車両所京都支所(旧:京都総合運転所)の8両編成2本16両のうちの12両。残り4両にはトイレの増設とバリアフリー対応化改造が行われた。2004年10月10日に「リバイバル新快速」として、限定運用ではあったが再び新快速運用に充当された。また、2009年4月には湖西線の臨時列車で再び新快速運用に充当された。しかし他線区へ転用された車両も、福知山線(JR宝塚線)では221系による丹波路快速が2000年3月11日に運転が開始されたことによって運用が削減。奈良線では2001年3月3日から221系によるみやこ路快速の運転開始に伴って運用が終了する一方、紀勢本線・和歌山線・山陽本線下関地区で運用が開始するなど、さらなる運用範囲の変化が発生している(下関地区の運用は2016年1月に終了)。福知山線(JR宝塚線)へ転用された編成は、当初塗装を変更したのみで客室設備は変更しなかった。しかし、片側2扉では乗降に時間を要することから、通勤時間帯を中心に慢性的な遅延が発生していた。そこで、混雑緩和対応策として改造されたグループが本番台である。車両番号は元番号+300となり、1992年3月以降に計58両が改造された。改造内容を以下に示す。新旧番号対応300番台改造が施しても福知山線(JR宝塚線)のラッシュ輸送に対応しきれないため、ラッシュ時には乗客の比較的少ない朝晩の列車が運用の主体になり、2000年3月から同線から撤退を開始。JR福知山線脱線事故を受けたATS-P保安装置設置を期に、機器未搭載だった残りの車両も運転再開(2005年6月19日)を前に全て撤退した。これらの車両を転用したのが始まりである。当初は宮原運転所所属のままだったが、2006年5月から6月にかけて京都総合運転所に転属した。湖西線・JR嵯峨野線(現在は運用終了)・JR琵琶湖線・草津線運用されている。(2006年10月21日の湖西線・北陸本線永原から敦賀での直流転換がなされたが、地上設備の関係で従前の通り湖西線永原が北限である。)2002年から2009年にかけて福知山色の車両は順次オリジナル塗装に戻されたが、現在は緑単色塗装への変更が進んでいる。なお、2007年から2009年にかけてATS-P保安装置の取り付けが行われた。1992年に0番台4両編成6本(24両)が岡山電車区に転用され、快速「サンライナー」などで使用開始した。転用に際して、吹田工場で外部塗色を白に赤のグラデーションに塗り替え、トイレの汚物処理装置を循環式からカセット式に交換している。これらは1999年に後藤総合車両所でワンマン運転対応改造を施工されたが、車内で運賃を収受しないことから運賃箱などは設置されていない。転用車は次のとおり。100番台4両編成3本(12両)を宮原総合運転所から借入し、E11 - E13編成として岡山地区でのローカル運用を中心に米子地区での多客輸送臨時列車としても運用した。しかし100番台に装備されていたトイレの循環式汚物処理装置の抜き取り設備が岡山電車区にはなく、設備のある後藤総合車両所を拠点とする米子地区での運用時以外はトイレ使用停止状態で使用したため運用上の制約を生み、2005年10月までに下関車両管理室(現下関総合車両所)へ転用した。2010年2月8日に網干総合車両所に検査入場していたE05編成が濃黄色一色に塗り替えられて以降、暫時塗装変更を行っていたが2016年7月のE04編成への施工をもってサンライナー色は消滅となった。2015年に下関総合車両所運用研修センターから100番台4両編成3本(12両)が転入し、0番台4両編成3本(12両)を廃車とした。転入に際しては、汚物処理装置のカセット式への換装とE08・E09編成の濃黄色への塗り替えが行われた。2016年7月から、サンライナー色消滅に伴いサンライナーのイラストが描かれた前面幕の表示を中止し、種別文字のみを表示するようになった。同年10月19日から2017年9月までの予定で、E05編成が地元のサッカークラブ「ファジアーノ岡山FC」のラッピングを施した「ファジアーノ岡山ラッピングトレイン」として運行されている。1992年に本系列を「サンライナー」へ転用する際、短編成化(6両→4両)によって発生した余剰中間電動車が山陽地区で使用されている115系の先頭車と混結できるよう改造されたものである。新旧番号対応2000年3月に、福知山線(JR宝塚線)用の300番台4両編成2本が福知山色のまま日根野電車区へ転属し、G801編成、G802編成として和歌山線全線で使用されるようになったのが始まりである。それまでの和歌山線専用の同区113系湘南色車(G416編成・G417編成)による朝夕ラッシュ時の運用をそのまま移管する形で運用された。なお、運用の間合いで阪和貨物線の路線維持回送列車(錆取り列車)としても使用された。運用上の常駐先であった新和歌山車両センター(現:吹田総合車両所日根野支所新在家派出所)のトイレ汚物処理設備が同車の循環式に対応しておらず、トイレは使用停止とされていた。2編成配置2運用使用であったため、日根野電車区での検査実施時には同区113系(阪和色車または湘南色車)が代走した。2001年3月、先述の通りみやこ路快速の運転開始によって宮原総合運転所所属車による奈良線運用が消滅したため、同所0番台の6両編成1本(C14編成)が原色のまま日根野電車区へ転属前提で貸し出された。このうち4両が予定通りG803編成として就役し、上記113系の検査代走の置き換えに使用された。同年12月、宮原総合運転所で余剰となった300番台先頭車(ともに308号)の2両と、上記G803編成とならなかった2両(40号電動車ユニット)が接客設備が異なったまま組み合わされ、ワンマン運転対応改造と外部塗装のオーシャングリーン地にラベンダー帯化が施工された上で、「G804編成」として翌年1月から和歌山線で運行を開始した。その後同区配置の残りの編成も順次ワンマン改造・塗装変更が行われた。2002年3月、宮原総合運転所から下関車両管理室に貸出され、宇部線「きらら博」臨時快速列車として使用されていた4両編成1本(C12編成)が返却時に転入し、4両編成5本の陣容(G801 - G805編成)となった。この時日根野電車区所属車の運用範囲が阪和線日根野 - 和歌山間、紀勢本線(きのくに線)和歌山 - 紀伊田辺間にも拡大。同時に全編成がワンマン対応、塗装変更され、和歌山線でワンマン運転を開始した。ただし、4両編成のために無人駅でも全扉開放となることから不正乗車の確率が上がるので、扉扱いや車内放送を行わない特別改札車掌が乗務して車内改札を行うことが多い。この際、運用上の拠点も循環式汚物処理装置の抜き取り設備が設置されている日根野電車区になったことから、トイレも使用可能となった。同年11月、所属が新和歌山車両センターに変更され、阪和線と紀勢本線御坊 - 紀伊田辺間での定期運用が消滅した。この際に各編成のトイレの汚物処理装置を循環式から使い捨てのカセット式へ交換し、トイレの使用可能状態を維持している。さらに2008年8月、所属が日根野電車区に戻された。2012年現在は和歌山線で運用されているが、日根野電車区の113系の臨時検査入場などで編成不足が起きた場合、代走として紀勢本線を走行することもある。ただし、不足が2本以上の場合は本系列は使用されず、奈良電車区の221系を使用する。しかし日根野区所属の117系は2014年春のダイヤ改正できのくに線(和歌山 - 御坊)での運用が減少した。吹田工場に検査入場していたG3編成(現:SG3編成)が青緑色一色に塗り替えられ、2012年4月2日に出場した。2015年11月と2016年1月に300番台4両編成2本(8両)が下関総合車両所運用研修センターから転属。転属車のうち先頭車4両を廃車した上で、中間車4両をSG1・SG2編成に組み込み、代わりに0番台4両を廃車した。転用車は下記のとおり。括弧内は日根野電車区所属の2002年3月までの編成番号2005年3月ダイヤ改正にともない、新山口 - 下関間の車両数不足により宮原総合運転所所属車を転用して運用を開始した。2005年3月ダイヤ改正以前は、新山口 - 下関間でJR九州が所有する415系電車を一部便で使用していた。しかし同ダイヤ改正にて415系の下関以東への乗り入れは中止となり、新山口 - 下関間で車両が不足する事態となった。この事態に伴って宮原総合運転所所属の100番台2編成を岡山電車区に転属、岡山電車区から下関総合車両所への貸出という形で下関地区での運用を開始した。その後、100番台1編成と300番台2編成が下関での運用に追加される。2007年11月より正式に下関総合車両所の所属となった。転用に際しての塗装変更は行われず、100番台はクリーム地にマルーン帯のオリジナル塗装、300番台は白地に緑色の2本帯を巻いた福知山線塗装のまま転用された。ただし前面の表示幕は使用されなかった。2015年に、岡山電車区へ100番台4両編成3本(12両)が、吹田総合車両所日根野支所新在家派出所へ300番台4両編成1本が、それぞれ転出した。2016年1月に最後まで残った300番台4両編成1本が吹田総合車両所日根野支所新在家派出所に転出し、2016年4月時点では下関地区への配置はなくなっている。転用車は下記のとおり。民営化直後は、JR東海名古屋地区都市圏輸送(東海道本線、中央西線)の主力車として重用された。しかし、混雑の激しい中央西線ではその車体構造ゆえ乗客を捌き切れなくなり、1988年には3扉ロングシートの新製車211系5000番台に置換えられて撤退し全車が大垣電車区に転属した。東海道本線においては、後継の311系の登場によりメインの新快速を同系に譲ったものの快速用の主力として使用されてきた。しかし、1999年の313系投入に伴う運転速度引き上げが行われると、東海道本線の日中のダイヤは快速が最高速度120km/hとなり、また普通についても211系5000番台3両編成 (2M1T) の走行性能を基準とするダイヤ編成となったため、最高速度、起動加速度ともに対応できない117系は日中の運用がほぼ皆無となり、朝晩のラッシュ時における金山 - 米原間の快速が中心となり、主に4両編成を2本連結した8両編成で運転された他、平日、あるいは土休日に1本程度の新快速運用が復活した。日中には浜松 - 豊橋間や大垣 - 米原間の運用が見られたが、ほとんどの編成は大垣車両区や熱田駅、大府駅、豊橋駅構内などに留置されるようになった。2006年10月改正以降は大垣 - 米原間の日中の普通運用の大半を占めるなど、多少運用が増加した他、2008年3月改正以降は平日朝に増発された岡崎駅発着の新快速列車にも使用されるようになった。2009年からは一部の編成にはATS-PT設置工事が施されたが、2010年に313系4次車が投入されると、捻出された311系によって一部の運用が置き換えられ、ATS-PT未設置車から廃車が開始された。2011年3月改正では一部の快速、新快速運用は残存したが、岡崎以東の運用は消滅している。車内は、運転席直後や車端部の転換クロスシートをロングシートに改造された車両が存在したが、特に改番等は行われていなかった。また、晩年当時の運用状況を鑑みた追加改造や、転落防止幌および車椅子スペース整備改造も行われなかった。塗装は311系登場の1989年にJR東海のコーポレートカラーであるアイボリーにオレンジ帯の試験塗装編成が登場したあと、全車が塗り替えられた。当時は雨樋に1本、窓下に太帯と細帯各1本の計3本の帯が入っていたが、1999年頃より試験塗装と同じ塗り分けに変更され、側面帯が窓下1本に簡略化された。また前面の快速幕は、当時は白地に黄色で「快速」と表記され、文字の周りが黒く縁取りされており、利用客から見にくいと苦情があったため塗装簡略化とほぼ同時に交換された。列車番号表示器はJR東海では本来の目的では使用されないため、当系列の場合には大垣車両区における編成番号を表示していた (S1 - S18) 。S11編成は2009年8月に落成当時のクリーム地にマルーン帯の車体塗装に変更された。これは同年10月に佐久間レールパークで開催される見学ツアーでの運行に合わせ、登場時の塗色を再現したものであった。S9編成は2010年8月1日から同年9月26日までの土曜日・休日に飯田線で運行される観光列車「そよかぜトレイン117」用として、同年7月に改造工事が施工された。2号車に組成されるモハ116-45は客用扉部分に走行中でも外気を取り入れることが可能な展望柵を設置し、客用扉間の座席を撤去した上で窓に向けてベンチを配した「ウィンディスペース」に改装され、他の3両についても一部の座席の背もたれ部を撤去し大型テーブルが設置されていた。2010年度中に5編成20両が廃車され、このうちS1編成が、旧塗装に戻したうえでリニア・鉄道館で静態保存されている。展示スペースの関係上、元の4両編成ではなくモハ116を外した3両編成での保存展示となっている。2013年3月16日に施行されたダイヤ改正で、JR東海の本系列は定期運用から退いた。2013年8月5日、JR東海の所有する本形式としては最後まで残った「トレイン117」が浜松まで回送された。同年12月27日と12月30日に残存していた車両のほとんどが廃車され、少数残った車両も2014年1月27日付で廃車され、ここにJR東海の117系は全廃された。元S1編成であるクハ117-30、モハ117-59、クハ116-209 - リニア・鉄道館(名古屋市港区)、2010年11月に同館へ搬入された。

出典:wikipedia

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