Z項(Zこう、)とは、岩手県水沢の緯度観測所初代所長であった木村栄により自転軸の傾きに関する式に加えられた項のことである。表現に記号Zを使うことからZ項という。木村項ともいう。地球の自転軸は形状軸(南北軸)とは完全に一致せず、一定の周期で形状軸の周囲を移動する。その式はΔφ = X cos λ + Y sin λとされていたが、観測データにそれでは説明できない誤差が発見され(当初は観測ミスとされた)、補正項を木村栄が提案、それをZとし、式をΔφ = X cos λ + Y sin λ + Zと修正した。修正した式で他の観測データを再検討した結果、より正確な近似であると評価され受け入れられた。1899年、極運動観測を直接の目的として、国際緯度観測事業(ILS)が開始された。当時の新興国日本も早くから名乗りを上げてこの事業に参加し、北緯39度08分線上にある水沢に、木村栄を初代所長とする臨時緯度観測所を設け、同じ緯度線上に置かれたアメリカ3ヶ所、イタリア、ロシア各1ヶ所の観測所とともに、天文緯度変化の観測を始めた。1901年、ドイツのポツダムに置かれていたILS中央局は約1年半の観測データをもとに計算した極座標 x,yおよび各観測所における観測値の残差を発表したが、その内容は水沢にとってまことに厳しいものであった。水沢の残差は他の観測所に比べて特に大きく、系統的誤差を持つおそれがあるから、整約にあたっては半分の信頼度しか与えられないというものであった。しかもときのILS中央局長のアルブレヒトは、「これは何か間違いがあるか、もしくは器械に故障があるかと思われるので督励を厳しくして欲しい」という手紙を測地学委員長に送ってきた。委員会はさっそく木村に上京を命じて説明を求めたといわれる。逆境に立った木村は、恩師の田中舘愛橘とともに天頂儀の全面点検を行った。16項目におよぶ報告書には、観測器械にも観測方法にもなんら欠陥はなかったことが簡潔に述べられている。これで自信を得た木村は、水沢の残差の原因が自然現象にあるのではないかと考えて、世界各地の観測結果を再検討した。そこで各観測所に共通な天文緯度変化が存在し、その大きさが年周的に変化していることを見出したのである。アルブレヒトはこの発見の意義をただちに認めて、木村の式を受け入れた。そして1900年から1902年にかけての2年間の観測結果についてZ項を含む式に基づいて整約したところ、水沢の観測は悪いどころか最も優秀なものであることがわかったのである。木村はその功績により、1911年の学士院恩賜賞、1937年の文化勲章のいずれも第1号受賞者となった。しかし、その後半生の大部分を費やして解明に努めたZ項の本質の研究は遅々として進まなかった。気象変化の影響説、地球重心の南北移動説など、さまざまな説が早くから唱えられたが、いずれも原因とするには小さすぎ、約70年間の間謎に包まれたままであった。晩年の木村を知る人は、彼がZ項の原因を問われたとき、床を踏み鳴らして、「この下にあるのだよ」と答えたと語っている。木村の提案による1晩6時間(以前は1晩4時間)の観測が実現したのは、彼の死後10年以上経過した1955年のことであった。さらにそれから10年以上が過ぎて1晩6時間の観測の結果が統計的解析に耐えるほど十分に蓄積された段階でこれを解析し、ついにZ項の主な原因が半年周章動の補正の不十分さにあることをつきとめたのは、緯度観測所の若生康二郎であった。
出典:wikipedia
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