平 将恒(たいら の まさつね)は、平安時代中期から後期の豪族、武将。桓武天皇6世で、武蔵国の名族・秩父氏の祖。諱は将常とも。父は平忠頼、生母は平将門の娘・春姫。母方の祖父が平将門であり、将恒の「将」の諱も将門から引き継いだものと思われる。官位は武蔵権大掾。治安3年(1023年)、武蔵介の藤原真枝が勅命に反し武蔵国にて兵を起こした。将恒は藤原真枝征伐の命を受けて相模・上総の兵を率いて豊島で戦い、藤原真枝は自害、将恒はこれを鎮圧した功で駿河・武蔵・上総・下総に領地を得たという。長元元年(1028年)、兄の平忠常が房総半島で大規模な反乱(平忠常の乱)を起こしたが、将恒はこれに加担せず、勢力を大きく減退させることはなかったと伝わる。武蔵国秩父郡において秩父氏を称し、将恒の子孫は秩父平氏として武蔵国各地に勢力を拡大した。長男・武基の生母は武蔵武芝の娘(『西角井系譜』より)、次男・武常と三男・常任の生母は平忠通の娘とされる(『桓武平氏良文系全系図』より)。前九年の役にて、51歳で戦死したと伝わる。
出典:wikipedia
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